この映画は、1964年に56歳で世を去ったアメリカの海洋生物学者でベストセラー作家レイチェル・カーソンの物語です。レイチェル・カーソンは、農薬のような化学物質を無思慮に撒き続けることによって生ずる、環境汚染がもたらす危険性を世に先駆けて警鐘をならした書『沈黙の春』の著者として広く知られています。
画面のレイチェル・カーソンは、オフ・ブロードウェイの女優であるカイウラニ・リーが演じ、亡くなる8ヶ月前のレイチェルが、インタビューに答えるかたちをとっています。そしてレイチェルの生涯を振り返りながら、母や養子のロジャーのこと、作品について、自らの執筆への思いを静かに語りかけています。撮影は、メイン州の岩礁海岸に面した森の中にあるレイチェルの別荘と、メリーランド州にある自宅で行われています。10年前、私はグループ現代が制作した『センス・オブ・ワンダー レイチェル・カーソンの贈り物』というドキュメント・フィルムの撮影のために、同じ場所に四季それぞれを訪ねていますが、当時と変わらぬ佇まいに懐かしさにいっぱいになって画面をみつめました。
レイチェル・カーソンは、『沈黙の春』を出版する以前、海の三部作といわれる『潮風の下で』『われらをめぐる海』『海辺』を出版し、そのいずれもベストセラーになるという科学読み物作家としての輝かしい賞賛のなかにいました。
しかし、殺虫剤のような化学物質を使い続けることによる環境汚染、生命への影響について警鐘をならした『沈黙の春』を執筆したことによって、映画の中で語っているように賛否両論の渦に巻き込まれます。けれども、彼女は決してくじけませんでした。生物学者として、多くの学術論文をよみ科学的根拠にもとづいて書いた内容には自信がありました。また、なによりも愛してやまない自然界の生き物たち、人間をふくめたあらゆる生命の尊厳のために書いているのだという信念に支えられていたからです。また、没後の1965年に出版された『センス・オブ・ワンダー』は、この映画の題名になっていますが、私たちへの最後のメッセージとして、子どもたちに豊かな感性を培おうと語りかけています。
"私は、子どもにとっても、どのようにして子どもを教育すべきか頭を悩ませている親にとっても、「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要でないと固く信じています。子どもたちが出会う事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生みだす種子だとしたら、さまざまな情緒や豊かな感受性は、この種子を育む肥沃な土壌です。幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです" (新潮社『センス・オブ・ワンダー』より)
私は、レイチェル・カーソンの著作や伝記を紹介し、彼女の思いを語り継ぐことをライフワークとしてきました。けれども、生前のレイチェルに会ったことはありません。私が、その作品に出会ったとき、すでに彼女は故人だったのです。この映画を見ながら、私はレイチェルに会っているような気持ちになりました。そして、ガンに冒され病気のカタログのような辛い生活のなかで執筆をつづけた信念の強さに圧倒され、特に遺していくロジャーへの深い愛情には涙を禁じ得ませんでした。
出演しているカイウラニ・リーさんとは、1992年にアメリカのレイチェル・カーソン協会を訪ねたときのパーテイで、初めて会いました。若々しくちょっと恥じらい含んだ表情のリーさんは、そのころからレイチェル・カーソンの生涯を「センス・オブ・ワンダー」と題した脚本を書き一人芝居の舞台をやっていると語っていました。いつの日かその舞台をみたいと思っていたところ、2004年メイン州での環境文学学会の夜、願いは実現しました。シンプルな構成の中にレイチェルの思想がしっかりと表現されていて感動的でした。そして、2005年7月には愛・地球博覧会メッセージイベントにEco move世界環境映像フェステイバル実行委員会の招待で来日し、万博会場と東京で上演してくれました。その時は成人した息子さんも一緒で、1997年地球温暖化防止会議(COP3)京都会議に出席した夫君のすすめもあって、忙しい上演の合間を縫って京都を二度も訪れるほどの日本好きです。生粋のアメリカ人である彼女のカイウラニという珍しい名前の由来を尋ねると、ハワイの王女の名前でお祖母さまがつけてくれたのだと語ってくれました。
画面に少年のロジャーが映っていますが、彼もすでに50歳をとうに越えています。背の高いがっしりした風貌のロジャーは、二人の男の子の父親で、"レイチェルを誇りに思うとともに、子どもたちに「センス・オブ・ワンダー」を伝えていきたい"と語っていたことを思い出します。前出のドキュメント映画『センス・オブ・ワンダー レイチェル・カーソンの贈り物』では、ロジャーの七歳の息子イアン君に夜の海辺でカニを探したり、霧の深い森を駈ける役で出演してもらったことも忘れられないひとこまです。
レイチェル・カーソンは、"地球は、生命の糸で編み上げられたネットで覆われている。人間もその編み目の一つなのだ。"と言っています。自然界の一員にすぎない人間は科学技術という強大な力を持ったことによって、自然を破壊し汚染しつづけてきました。そして、自然という力の源泉から遠ざかってしまったのではないでしょうか。彼女は『沈黙の春』の最終章「別の道」の冒頭にこう書いています。
"私たちは、いまや分かれ道にいる。だが、ロバート・フロストの有名な詩とは違って、どちらの道をえらぶべきか、いまさら迷うまでもない。長いあいだ旅をしてきた道は、素晴らしい高速道路で、すごいスピードに酔うこともできるが、わたしたちはだまされているのだ。その行きつく先は、禍であり破滅だ。もうひとつの道がある。そこは、あまり<人も行かない>が、この分かれ道を行くときにこそ、私たちの住んでいるこの地球の安全を守れる、最後の、唯一のチャンスがあるといえよう。どちらの道をとるか、きめるのは私たちなのだ"(青木簗一訳 新潮社『沈黙の春』)
この映画をご覧になった方々が、立ち止まり地球の叫びに耳を傾け自然と共に生きる「別の道」を選ぶ勇気と希望を持っていただきたいと思います。