1995年8月26日アルマトイ市生まれのウイグル人。
アルマトイ市にあるカザフスタン国立ウイグル民族劇場の座付き女優の母と、舞台美術係の父との間に生まれる。学校に通いつつ、ウイグル民族劇場で生活し、芝居は身近な存在だったが、全く映画出演経験も舞台での経験も無く、ウイグル民族劇場で行った役者オーディションに居合わせ、主役に抜擢される。近所の友達と遊ぶことと携帯電話に夢中の、純粋無垢な少年。母サフィーラ・シャリコバはウイグル民族劇場では有名な舞台女優で、本作品でもアユブの母の声を演じている。
1992年8月24日アルマトイ市生まれ。
幼少の頃より子役として活躍。現在までに8本の映画作品に出演している。将来の希望は役者で、そのための努力を惜しまない少年。現在は学校(日本の高校に相当)に通いつつ、役者として映画に出演する多忙な毎日を送っている。本映画ではナチュラルだが安定した演技をみせた。撮影時には、自分で自分の役の動きを提案し、破滅に向かう現代カザフ青年の憂鬱を見事に演じ、強い印象を残している。
1994年1月3日アルマトイ市生まれ。
映画・テレビ・舞台の世界で役者として活躍する両親の間で育つが、本人は役者になる気はなかった。バイアクターとしてカザフ映画界で有名な母親の推薦で、今回のマーシャ役に抜擢される。本作撮影時、彼女は学校(日本の中学校に相当)に通っており、成績が抜群で、撮影の空いた時間には必ず何かしらの本を読んでいた。将来はビジネスの世界で活躍したいと当時は語っていたが、本作で演じることの楽しさを知り、映画の仕事にも興味をもったという。
1958年3月15日生まれ。
本来の職業は映画監督。モスクワ映画大学卒業監督作品が短編『Shilde』。その後、92年に『カイラート』で長編映画監督デビュー。
この作品でロカルノ国際映画祭銀豹賞を受賞し、一躍世界的にも注目を集める。長編2作目の『カルディオグラム』がヴェネツィア国際映画祭コンペティションに選ばれ、長編第3作『キラー』が98年カンヌ国際映画祭ある視点部門でグランプリ。
また、日本のNHK が出資した『ザ・ロード』は2001年カンヌ国際映画祭上映時、ジャン=リュック・ゴダール監督から21世紀に最も期待する監督として指名された。映画監督として既に世界的に有名で、殆ど毎日世界中の映画祭に招待され、審査員やレトロスペクティブ等での講演に忙しく不在しがちであるが、本作では無給で役者として出演を決断。インテリ崩れの名も無い中年のチンピラという難しい役所を、存在感を持って快演した。これまで国内外の様々な有名監督から映画出演を求められながらも断って来たが、本作の出演で役者として開眼したように思われる。今後役者ダルジャン・オミルバエフが見られるかもしれない。本作自体は彼の映画スタイルとは異 なるものだが、シナリオ構想段階から関わり、編集段階でも彼が様々な意見を出し、映画を成立させるために努力してくれた。
セリック・アプリモフ監督の妻で、過去には『アクスアット』『3人兄弟』『ハンター』といった作品を手がけて来た。6年近く映画から遠ざかっていたが、本作に関わることになった。
彼女の母方がウイグル人(グルミラはウイグル人の血を引いているが、父方はカザフ人で戸籍上はカザフ人)で、彼女の親戚もウイグル人が多く、彼女が本作の撮影に協力したウイグル人及び、カザフスタンのウイグル社会と本作を結びつけてくれた。1990年代に佐野監督がウイグル人との接点を持ち、本作のコンセプトを思いついたのも、彼女のお陰だった。本作は彼女の、自分の血の中に流れるウイグルの誇りが作らせたといっても過言ではない。
ボリス・トロシェフが過去に関わった作品は殆ど35mm 作品が中心で比較的オーソドックス。ある意味古典的な手法で撮影するタイプのカメラマンだが、小さいカメラの良さを120%引き出しつつキッチリと撮影してくれた。彼は良く機材の特徴を掴み、まるで特機を使っているかのような滑らかな撮影を行っている。彼はカンヌ国際映画祭のカメラ・ドール作品を撮っているカメラマンだが、本作はボリス・トロシェフというカメラマンの良さを最も良く発揮している。
これまで、数々の映画で助監督を務めてきた若手映画人。
かつて佐野監督がカザフスタンで大使館に勤務していた頃アルマトイ芸術大学映画コースの学生で、佐野監督がダルジャン・オミルバエフの依頼で小津安二郎を講義したときの学生だった。そんな関係もあり、本作のスタッフに加わった。学生時代からもう10年も過ぎ、彼も昨年東京国際映画祭でグランプリをとった『トルパン』や多くの作品を手がけ、助監督としてはカザフ映画界で重要な位置を占めている。
本作では、カエサル役やマーシャ役、外国人役等重要な役者の選定から、別班で撮影しなければならない場合の演出。また、ラストシーンの路上での撮影においては、エルランが手早く、そこにいる人、あるいはパレードに参加している集団に声をかけて撮影許可をもらい、快く出演してもらうことができラストシーンが成立した。実を言えばカザフ人はカメラに先を争うように写りたがった。そういった中、最後に子供と父親が抱き合うシーンは、敢えて自分の息子と一緒に自ら演じてくれた。