ストーリー

OM SHATI OM

シャー・ルク・カーンは私の前作『僕がいるから』の撮影中に、次は腹筋を割るって約束してくれたの。セクシーな歌も、私のためなら歌ってくれるって。「ざわめくディスコ」の曲ができた時にその約束を持ち出したら、彼はやると言ったのよ。そしてすごく頑張ったわ。なりふり構わずやりとおした。3ヵ月間、炭水化物を抜き、狂ったようにワークアウト。撮影に入ってからも、むくむとラインが崩れるからって水さえ飲まなかった。「ざわめくディスコ」の撮影が終わると彼は言ったわ「あとは演技に集中するよ」とね。だから、目の保養として彼を撮るのはそこで終わりにしたの。シャー・ルクの代わりになる俳優はいないわ。ちょっとした写真撮影にさえ、ずば抜けて豊かな経験が生かされる。映画を撮るならなおさらよ。

ディーピカーは “70年代のヒロイン”にぴったりだったの。イメージが固定した女優より、新人を使ったほうがやりやすいと思ったの。そのほうが、シャンティプリヤというスター女優が本当にそこにいるような感じがするからよ。ディーピカーは大人びているしね。まだ21歳だけど、ちょっと前までティーンエイジャーだったようにはとても見えない。シャー・ルク・カーンという実力者が出るなら、それ以上の安全パイは要らないわ。キャストで冒険する絶好のチャンスよ。

そして、とにかく大勢のスターに出演してもらったわ。まずは35人に声を掛けて、30人からは即時にOKの返事をもらったの。ベテラン俳優から新人俳優まで、みんなシャー・ルクと共演したいのね。彼らの90%はシャー・ルクを尊敬していて、残りの10%は私のことを愛してくれていたからだと思います。

撮影中の私のキレっぷりがウワサなのは知っているわ。誰が広めた話なのかしら(笑)。確かにたまには怒鳴るけど、そういう性分ってだけのこと。悪意はないの。ただ、監督をする時は機嫌がいいけど、振り付けの時はそうでもなくて、監督やプロデューサーを喜ばせなきゃと焦ってる。でも自分で監督する映画なら、みんなが楽しめるように、いい気分で力を発揮できるように頑張るだけよ。

私にとって70年代は、最もロックな時代で、ボリウッドでも独特なヘアスタイルやファッション、メイクアップなどが流行ったの。だから本編にもたくさんの70年代ネタを潜ませているけど、それを知らないと楽しめないという、観客を排除するような映画は作りたくなかった。ユーモアを詰め込んで、とにかくハッピーでマッドな作品になったと思っているわ。私自身、ボリウッドは最高に楽しくてすばらしい場所だと思っているの。

監督:ファラー・カーン Farah Khan

1965年1月9日生まれ。父はアクション映画監督で、母の姉妹は脚本家ハニー・イーラーニー(ジャーヴェード・アクタルの前夫人で、監督のファルハーン・アクタルとゾーヤー・アクタルの母)と子役で有名だったデイジー・イーラーニーという一家に生まれる。両親の離婚後、聖ザビエル大学に通うかたわら、マイケル・ジャクソンの「スリラー」に影響されてダンスを始める。ダンス・グループ結成後、『勝者アレキサンダー』(1992年)の振り付けを当時のトップ女性舞踊監督サロージ・カーンの代役として担当。斬新な振り付けが評判を呼んで、以後人気舞踊監督となる。『ディル・セ 心から』(1998年)や香港映画『ウィンター・ソング』(2005年)など、これまでに担当した作品は約90本。2004年の『僕がいるから』で監督としてもデビュー、本作『恋する輪廻』、そして『30人殺しのカーン』(2011年)と3本の作品を世に出している。また、『シーリーンとファルハードの成功物語』(2012年)で女優としても本格的にデビュー。私生活では編集担当であり、監督でもあるシリーシュ・クンダルと2004年12月に結婚。ちょうど本作が公開された直後に、男の子と女の子2人の三つ子を出産した。

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