映画の出発点は何でしたか?この作品を執筆したくなった動機は?
子供の頃、私はゲンスブールのレコードをすべて万引きしました。今でも、店を出る時の罪悪感を思い出します。その罪悪感はすぐに雲散霧消しましたが、代償として何かしたいという願望は常にありました。何か負債を返すということではなく、“セルジュ、ありがとう”という感じです。
“セルジュ・ゲンスブールに関する映画がまた一つ”という事態にならないために、あなたは作 品の執筆に取りかかる前に、彼について作られたものすべてを見なければならなかったわけで すね?
もちろん、そうです。でもリサーチの段階で、セルジュが監督した数分の映像に行きあたることができました。クロード・ヴァンテュラ製作のテレビ番組「Cinema, cinema」の“映画作家への公開状”の枠内で撮られた映像です。セルジュは、カメラと白紙委任状を与えられました。彼はパリ9区のシャプタル通り、子供の頃を過ごした界隈、母校、コンセルヴァトワール、ピガールを撮り、すべてに一人称でコメントをつけていました。そのフィルムはたった10分程度のものでしたが、そこに膨大なものが凝縮されていました。もっと彼に時間をあげたら、さらにすばらしいものになるはずです。実際、セルジュが私に一人称ナレーションのアイデアを与えたのです。“他人”の介入なしに、彼自身が自分の“異質さ”に向き合い、彼の声だけが映画全体に流れるのです。
セルジュは自分についての物語をでっちあげるのが好きでした。例えば、“自分は私的な日記を書いていて、それをいずれガリマール社が出版する”といったようなことです。もちろん、実際にはそんなことは起きませんでした。
そこで私は彼がもしその日記を書いたなら、という風にこの映画を想像しました。私はこの映画を一種のスケッチブックのように考えました。画家のノートブック、景色の水彩画、肖像画の素描、なぐり書きされた詩の最初の数行、白いページの間に挟まれた押し花。これは画家のノートであると同時に詩人のノートでもあります。脈略のない覚書、引き出しの中に置き忘れて数か月後に再び取り出してみるノートです。そこには明白な時間軸のないままに、次から次へと印象が書き継がれています。それらすべてが、一つの内面のポートレートを構築しているのです。
シナリオですが、リサーチの前、途中、後のいずれの段階に書き始めましたか?
マリアンヌ・アンスカとの執筆作業は、リサーチと平行して行いました。実際、その点が一番の驚きでした:すべての要素を把握しているかのようにスクリプトを作成しながら、徐々にその要素に関する事実を発見していったのです。セルジュが語ったという事実を私たちがすでに知っていたことはもちろんありました。その一方で、シナリオに書いたものの、サウンドアーカイブで見つけることができるかどうか分からないこともありました。私たちはしばしば、あたかも見つかったかのように進めました。それからその他に、私が“彼がこう言ったらよかったのにな”と思ったことがあります。
ここでも、私はあたかも彼がそれを言ったかのように進めました。
そして、非常にすばらしいことに、後になって本当にそれらの発言は見つかるのでした!
では、当初あなたが掴んでいなかったいくつかの要素は、結局は明らかになったのですね。
そうです。例えば紙媒体のインタビューを見た時、私は彼に同じことを言わせるのは不可能だと思ったものです。
ある種の執念で、我々は、ジャーナリスト自身が、なくしたと思ったり忘れていた資料を見つけ出しました。特に、ジル・ヴェルラン[訳注:ゲンスブールについての本を書いたジャーナリスト]の例を思い出します。彼はセルジュに関してすばらしい集大成を書きました。ジルがゲンスブールとの会話を録音しなかったとは考えられませんでした。マイクロカセットか何かに録音したはずです。そして、ジルは最終的に録音を発見したのです。彼自身が残っていることを忘れ果てていたと思います。
他にも、ありそうにもない方法で忘却の彼方から救い出された録音があります。
それでもそれらの発言は、純粋なる直感によって、発見前にスクリプトに記されていたのでした。
プロデューサーのミリアナが、楽曲の権利所有者探しを担当したのですか?
そうです。作品にはゲンスブールの曲110曲が使われています。彼女が要したエネルギーを想像してください。
それに、サウンドアーカイブ、映像アーカイブ、映画の抜粋がありますね。非常に膨大で複雑な仕事です。作品の問題点、製作にかかった時間がうかがえます。
そうです。もし味わった苦杯について話しだしたら、本10冊分くらいの話になるでしょう。
ゲンスブールの声はどこから来るのですか?
まずは、彼の腹の中からです!それから、引き出しの奥から。それにミキサーが奇跡を起こしてくれました。でも彼の声は天からも降って来るのです。
例えば、フランス・キュルチュール局の元ジャーナリストが私たちのために掘り起こしてくれた音声資料の中で、ゲンスブールはナボコフの「ロリータ」を暗唱しています。それから彼はもし権利を持っていてこの詩を歌うなら、どんな音楽がいいだろうと自問します。その話の流れでゲンスブールは、作品の権利を握っていて16歳の“ババア”をロリータ役に選んだキューブリックをののしります。彼はマーラー、ラフマニノフ、ショパン、ドビュッシーの名前を列挙します。それから急にアート・テイタムを思い出します。そこで私たちは、前代未聞のゲンスブールとアート・テイタムのデュオを耳にするのです。
まさに天から降って来た彼の声です!
映画の製作中、どんな観客を想定していましたか?
私は、たくさんの若者がゲンスブールを愛している事実に驚いています。特に生前のゲンスブールを知らない若者たちが彼を愛しています。それは彼の声が今も毎日ラジオで流れ、多くのCMが彼の曲を使い続けているからです。つまりセルジュは、いまだにそこにいるのです。でもこの若者たちは、彼がどんな人間だったか本当に知っているでしょうか?ジョアン・スファールの映画で若者たちは少しゲンスブールを発見しましたが、あれはフィクション映画でした。 セルジュのオマージュ映像は定期的にテレビで流れますが、それらはほとんど同じ映像の使い回しです。私にとってこうしたものは、若者に、彼らの前の世代にとってのゲンスブールを知らしめるには、不十分なように思えました。私はまずこの若者たちのために、作品を想定しました。それからもちろんのこと、その若者の親世代つまり私の世代の人々、あるいは祖父母世代の人々にも見てもらえる作品として、監督しました。
ゲンスブールを愛する人々が、(この映画で)彼をもっとよく知るようになりますか?
彼のメロディーや詞とは別に、繊細で慎み深く傷ついた人物像とは別に、皮肉でダンディで挑発者で反逆者でアーティストであることとは別に、あらゆる人々が“それ以上の何か”を感じるはずです。それが彼らがセルジュを好きな理由なのです。
ではそれは何なのか?この映画は、その“何かそれ以上のもの”について絶えず触れ続けているのです。
■ピエール=アンリ・サルファティ プロフィール
1980年に映画監督としてのキャリアをスタート。1989年にルパート・エヴェレット出演の長編デビュー作『グルメ・アカデミー』でセザール賞にノミネートされる。1995年、長編2作目となるチェッキー・カリョ出演のコメディ『Zadoc et le bonheur』を発表。その後フィクションからドキュメンタリー映画の世界へ移行。旧ソ連のトランペッター、エディ・ロズナーについてのドキュメンタリー『The Jazzman from the Gulag』(1999年)でエミー賞を受賞。2011年に今作『ノーコメント by ゲンスブール』を完成させた。