映画『ノーコメント by ゲンスブール』

この映画について

キャスト

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ジェーン・バーキン JANE BIRKIN

1946年12月14日、イギリス・ロンドン生まれ。1963年、17歳でグレアム・グリーンの戯曲『彫像』に出演。1964年映画『ナック』のオーディションに採用さた。1965年ジョン・バリーと結婚しケイト・バリーを産み、後に離婚。1967年、出演した『欲望』がカンヌ映画祭パルム・ドールを受賞。1968年、フランスに渡り、『スローガン』で共演したセルジュ・ゲンスブールと結婚。1969年、ゲンスブールとのデュエットによるシングル『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』を発表する。1977年にゲンスブールとは離婚するが後に和解、1991年にゲンスブールが病没まで仕事で共演するほか、私生活でも交流を続けた。2人の間に生まれた娘シャルロット・ゲンスブールも女優となる。1982年、映画監督ジャック・ドワイヨンと3度目の結婚をするが後に破局。ドワイヨンとの娘のルー・ドワイヨンも女優。エルメスの「バーキン」は、エルメス社の社長が偶然飛行機でジェーンと隣り合わせた際、ジェーンが籐のカゴに無造作に物を詰め込んでいるのを見て、何でも入れられるバッグをジェーンに贈ったものが最初。2011年、日本の東日本大震災の発生を受けて、同年4月6日という早い段階で来日し震災支援のチャリティーコンサートを行う。また2013年3月もセルジュ・ゲンスブールの曲を歌うライヴを日本で行った。



 
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シャルロット・ゲンスブール CHARLOTTE GAINSBOURG

1971年7月21日イギリス・ロンドンでセルジュ・ゲンスブールとジェーン・バーキンの間に生まれる。1984年の『残火』でカトリーヌ・ドヌーヴの娘役に抜擢され、映画デビュー。1984年、父セルジュとのデュエット曲「レモン・インセスト」で歌手デビュー。1986年には父のプロデュースで初のアルバム『魅少女シャルロット』をリリース。1986年にクロード・ミレール監督の『なまいきシャルロット』でセザール賞の有望若手女優賞を受賞。2000年にダニエル・トンプソン監督の『ブッシュ・ド・ノエル』で最優秀助演女優賞を受賞。以後も順調に女優とて活動を続け、2009年にラース・フォン・トリアー監督の心理ホラー作品『アンチクライスト』でヒロイン役を演じて、第62回カンヌ国際映画祭女優賞を受賞。2009年12月にはベックのプロデュースによる『IRM』を発売した。



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ジュリエット・グレコ JULIETTE GRECO

1927年2月7日、フランス・モンペリエ生まれ。第二次世界大戦中は母親とともに対ナチスのレジスタンス活動に身を投じ、祖国解放後にパリで歌手活動を開始。黒い長い髪をなびかせ、黒ずくめの衣装で歌うのがトレードマークで、哲学者ジャン・ポール・サルトルや前衛的な作家・詩人ボリス・ヴィアンらをはじめとするパリの知識人たちのアイドルとなった。あの伝説的なジャズ・トランペッター、マイルス・デイヴィスと恋愛関係にあり、1949年に結婚したと言われている。その後、フランスを代表する性格俳優ミシェル・ピコリと1966年に結婚、1977年に離婚している。映画界でも活躍し、『恋多き女』(1956年)、『日はまた昇る』(1957年)、『自由の大地』(1958年)、『悲しみよこんにちは』(1958年)、『ルーヴルの怪人』(2001年)などに出演している。



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ブリジット・バルドー BRIGITTE BARDOT

1934年9月28日、フランス・パリ生まれ。ファッションモデルとして雑誌のカバーガールをしていたときに、かねてより実家に出入りがあったロジェ・ヴァディムの進言で、女優を志すことになる。1956年、ヴァディムの監督作品『素直な悪女』で男達を翻弄する小悪魔を演じ、セックス・シンボルとして有名になった。歌手として1967年にはセルジュ・ゲンスブールの提供による「ハーレイ・ダビッドソン」「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」「ボニーとクライド」などを歌った。1968年初頭には、ゲンスブールとの連名のアルバム『ボニーとクライド』も発表。当時ギュンター・ザックスと結婚していたバルドーは、ゲンスブールと不倫の関係にあったが、「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」はそれを露骨に示す内容で、バルドーとゲンスブールのデュエットに加え、バルドーによるあえぎ声の演技を含んでいる。そのことからバルドーはこの歌のリリースを拒否、ほどなくゲンスブールとの関係も解消された。動物保護活動家としても知られる。



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アンナ・カリーナ ANNA KARINA

1940年9月22日、デンマーク・コペンハーゲンに生まれる。デンマークではキャバレーで歌ったりモデルなどをするようになる。14歳の時にデンマークの短編映画に出演しているが、その作品はカンヌ国際映画祭で賞を獲得している。17歳の時にフランス・パリに移る。パリに付いた当時はフランス語を話す事が出来なかったが、スカウトされてモデルとして活躍する。「アンナ・カリーナ」という芸名は当時出会ったココ・シャネルが授けた。1960年、ジャン=リュック・ゴダール監督の作品『小さな兵隊』に抜擢。以後もゴダール作品に数多く出演している。二人は1961年に結婚し、1964年には共同で映画製作会社「アヌーシュカ・フィルム」を設立した。第一回作品は『はなればなれに』(1964年)。しかし、1967年に破局。その後4度の結婚歴がある。1970年代後半にはライナー・ヴェルナー・ファスビンダー作品の常連だったドイツ人俳優兼映画監督ウリ・ロンメルと交際し、共に映画製作を行っている。1961年の『女は女である』で、ベルリン国際映画祭女優賞を受賞している。



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バンブー BAMBOU

1959年にナチスの指揮官フォン・パウロスの甥と中国人の母の間に生まれる。本名カロリーヌ・フォン・パウロス。パリでモデルをしていた1980年の春、ジェーン・バーキンとの離婚が成立したばかりのセルジュ・ゲンスブールと出会い、同棲生活を始める。、麻薬中毒に苦しんでいた彼女を再生させるためにセルジュは同年、彼女の写真を撮り、写真集『BAMBOU et les poupees』を出版した。1986年1月4日、バンブーとセルジュの間に男の子が誕生。セルジュは息子の名前を彼の本名と同じくルシアンと名づけた。同年、セルジュは息子の誕生を歌った「ルル」という曲をバンブーに歌わせ、シングルとして発表した。1989年にはアルバム『Made in China』を制作。



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