監督・脚本 エズミール・フィーリョ
1982年ブラジル、サンパウロ生まれ。
2004年、FAAP映画学校を卒業。 以後、短編映画の監督として輝かしいキャリアを築く。 短編『Alguma Coisa Assim(Something Like That)』は2006年カンヌ映画祭批評家週間で最優秀脚本賞を、またビアリッツ映画祭では最優秀作品賞を受賞。『Ímpar Par (Paired Off)』は2005年キエフ国際映画祭で最優秀作品賞を受賞。ビデオ作品『Tapa na Pantera (Slap the Panther)』はYouTubeで1000万回以上見られた作品と言われる。彼の最新の短編『Saliva (Saliva)』は2007年のカンヌ映画祭批評家週間に選出され、シッチェス・カタロニア国際映画祭で短編作品グランプリを受賞。この『名前のない少年、脚のない少女』は彼にとって最初の長編作品となる。
フィルモグラフィー
- 2004年
- 『Ato II Cena 5』(短編)
- 2005年
- 『Impar Par (Paired Off)』(短編)
2005年キエフ国際映画祭 最優秀作品賞受賞 - 2006年
- 『Tapa Na Pantera』(短編)
- 『Alguma Coisa Assim(Something Like That)』(短編)
2006年カンヌ映画祭批評家週間 最優秀脚本賞受賞
ビアリッツ映画祭 最優秀作品賞受賞 - 2007年
- 『Saliva』(短編)
2007年カンヌ映画祭 批評家週間選出
シッチェス・カタロニア国際映画祭 短編作品グランプリ受賞 - 2009年
- 『名前のない少年、脚のない少女』
第62回ロカルノ国際映画祭 インターナショナル・コンペティション部門出品
第60回ベルリン国際映画祭 ジェネレーション14plus 長編部門出品
監督インタビュー
―『名前のない少年、脚のない少女』を作ろうと思い立ったのは?
「原作となるイズマエル・カネッペレの『ザ・フェイマス・アンド・ザ・デッド(原題)』を初めて読んだ時、その詩心と感受性に魅了された。すばらしい物語で、ヴァーチャルな世界に直面しているこの現代に十代でいることのリアルな感情を教えてくれたんだ。彼はその原作の中で、自分自身や自分の町に対して懐疑心を抱き、答えを求める少年の通過儀礼を描いていた。生まれた土地に住みながら、そこが自分の居場所ではないように感じること、これこそが思春期というものだ。僕は彼に本を出版することを勧め、同時に僕のために脚本を書いてくれないかと頼んだ。そして、そのすべてが実現したんだ。僕は彼の生まれた町に行ってそこに数ヶ月住み、彼が著作の中で書いた場所と、そこに住む若者たちとを知ろうとした。部分的にはドイツ文化に染まりながら、ブラジルのティーンエイジャーである彼らの気持ちも強く感じた。年寄りがドイツ語を話し、ドイツの伝統に従う中で、ティーンエイジャーはなにも起こらない町でインターネットだけが唯一の逃げ道を開いてくれるものだと信じている。これらのすべてを撮りたいと思ったのが、この映画の出発点だった」
―映画の中の若い俳優たちをどうやって見つけたのですか?
「どうしても物語の設定である土地で暮らしているティーンエイジャーたちに演じてもらいたくて、その地域に住む子たちのブログやフォトログ、フリッカーを調べることから始めた。それが、現代のティーンエイジャーたちを知るには最適な場だったからだ。彼らがネットの上でどのように見られたがっているかを発見することは興味深かった。ネットを通して、僕は彼らが写真を使って世界をどのように描写しているかを知ることができたし、ブログに書かれた言葉によって、どのような心情でいるかを知ることもできた。僕は彼らと連絡を取り、その地域で面接をする計画を立てた。400人以上のティーンエイジャーと話して、40人を選んだんだ」
―過去の短編作品も含め、こんなにも思春期の題材を重要視しているのはなぜですか?
「ティーンエイジャーの世界の捉え方が好きなんだ。感情が強くて、人生に起こる様々な出来事に幻惑されやすい。そこで自分自身について多くの発見をし、心の奥底にひそむ感情と戦おうとする。思春期に起こったことはすべて、成長してみると些細なことにしか思えない。しかし、それは僕たちみんなにとって恐るべき時代であると共に、純粋な時代なんだ。だから僕はこの時のもたらす、十代の苦悩や、悲しみや、反抗心や、不安感や、孤独を語るのが好きなんだ。そして、新しいものに対する恐れもね!」
―『名前のない少年、脚のない少女』は、例えば物語の舞台などブラジルの特殊性を持ちながら、世界に共通のことを物語っていますね。映画制作者としてコスモポリタンであることは非常に重要なことだとお考えですか?
「コスモポリタンという観念は、やっぱり僕にインターネットを思い起こさせる。そこには境界もなければ最前線もない。クリックひとつで世界とつながることができる。人々はつながり合い、思いを分かち合う。世界中のティーンエイジャーが互いを理解し合うんだ。そして僕は自分のことを、いまだにティーンエイジャーのように感じるよ。自分の領分を理解しようと努め、自分の思いを世界と分かち合おうとしながらね」