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ディレクターズステートメント パルデン・ギャツォのことを、少しでも多くの人々に知ってほしい、そんな願いから、『雪の下の炎』を製作しました。
パルデンは、「良心の政治的囚人」として中国占領下のチベットの監獄で、むごい拷問を受けながら、33年間を生き抜いたチベット僧です。何も悪いことはしていないのに何十年もの間、自由を奪われる、そんな人生がこの世の中にあることを想像できますか?
チベットは、中国共産党軍による1949年の侵略により、中国共産党政府の支配下におかれるようになりました。 チベット人たちは、言論と信仰の自由を奪われ、「観音菩薩の生まれ変わり」と慕うダライ・ラマ法王の写真を保持することさえも禁じられています。今では政府の入植政策に奨励された中国人がチベットに大量移住し、チベット文化は絶滅の危機にあります。中国により莫大な経済恩恵を受ける国際社会は、チベット問題に同情的な態度を表明しても文化や人々を救うための具体的な政策は取ってくれません。
パルデン・ギャツォは1959年の民族蜂起の際に逮捕された、数千人に及ぶ「良心の政治的囚人」のうち生き残った、わずか30%の中のひとりです。脱獄を試みては捕まり、懲役を延期され、それでも危険を侵してチベット解放を訴える運動を続け、再逮捕され、さらに懲役を延ばされる、そんな繰り返しのなか、彼は決して自分の意志を曲げませんでした。釈放後、インドに亡命して10年以上たった今でも、彼は自らの命よりも大切なもののために闘い続けています。それは母国チベットの再独立、そしてその志を遂げられずに、彼の目の前で牢獄で死んでいった同胞たちに誓った約束です。
私がパルデンの話をはじめて聞いたのは大学時代です。12年前にアメリカに住み始めた私は、厳しいニューヨークの生活を過ごしながら、辛い気持ちになるにつけては、このチベット僧の話を思い出していました。そしてある日、彼の自叙伝”An Autography of a Tibetan Monk” (日本語訳:「雪の下の炎」)と出会ったのです。 読み終わり、本を閉じると、パルデンが両手を胸の前であわせ、優しく微笑む姿が表紙に写っていました。その晩、私は眠ることができませんでした。
人生の半分の自由を奪われ、ひどい拷問も加えられ、なぜまだこのように優しく微笑むことができるのでしょうか?この人のことをもっと知りたい、そんな思いから、インドはダラムサラに旅立ち、パルデンを訪ね、撮影を開始しました。
2005年夏、アメリカで行われた「フリー・チベット・ウォーク」にパルデンが参加する様子、さらに2006年2月には、チベット人青年会議団が主催した、イタリア、トリノでの断食ストライキの模様を撮影しました。2008年の北京オリンピックに対する抗議の意味を込め、冬季五輪開催にあわせて決行されたこの断食ストライキには、パルデン・ギャツォと2人の若いチベット人が参加しました。周囲の心配をよそに、自らの命をかえりみず、不屈のパルデンが時に涙や笑いをまじえながら、参加した若いチベット人たちを鼓舞する様子をカメラに収めたのです。
製作に際し、アメリカ及び日本の団体や賛同者から沢山の援助を受けることができ、インド、アメリカ、イタリア、そしてチベットでの撮影を終わらせることができました。およそ1年がかりの編集の後、2008年4月、やっと作品が完成し、ニューヨークはトライベッカ映画祭でのワールド・プレミア後、今も「雪の下の炎」は世界中の20以上の映画祭を巡回しています。
パルデン・ギャツォは自らの運命を受け入れましたが、断固として降伏しようとはしませんでした。彼にはハリウッド映画に登場するヒーローのような華やかさはありませんが、人間ひとりひとりが持つ精神のはかり知れない可能性を私たちに見せてくれます。だからこそ、パルデンのライフストーリーは国境や宗教を超え、苦悩と挫折を体験した全ての命に、雄弁に語りかけることができると思うのです。
いま、私たちが生きるのが苦悩と戦いに満ちた時代であるからこそ、彼の精神がひとりでも多くの生に触れることを祈りながら、この映画をお届けします。