復興アフガニスタン第1作
実話をもとに、胸揺さぶる物語が生まれた。

23年にも及ぶ、長い戦争の続いたアフガニスタン。その最後の5年にあたるタリバン時代には、映画を作ることも観ることも禁止されていました。セディク・バルマク監督は、タリバン台頭以前からアフガニスタン映画界をリードするフィルムメーカーでしたが、戦火が激しさを増す中、難民としてパキスタンに亡命。しかし、再び故国で映画を作りたいという夢をいだき続け、亡命中に読んだ「学校へ行く為に髪を切り、少年になったアフガンの少女」という新聞記事を元に脚本を開始。これが『アフガン零年』誕生の発端となったのです。

バルマク監督は、復興アフガンの第1作に、あえてタリバン時代を描くことを選択しました。それは“アフガニスタンの悲劇を忘れないこと”こそが世界に悲劇を繰り返さないために必要だ、という監督の強い思いからの選択だったのです。


物乞いによって生き延びてきた少女:マリナの涙によって変えられた
悲しみのラストシーン

主人公の少女を演じるのは、バルマク監督が3,400人の中から選んだというマリナ・ゴルバハーリ。彼女は、内戦が最も激しかった時代に家と2人の姉を亡くしてカブールに移り住み、脚が不自由になった父親とまだ乳飲み子を抱える母親にかわって、5歳の頃から幼い弟とともに路上で物乞いをして生き延びてきた少女です。

当初、この映画は『虹』というタイトルでした。監督は脚本通り、少女が希望の象徴である虹をくぐり、自由と希望に向かうラストシーンを撮影しました、しかし編集中、戦時下を思い出すたび涙の止まらなくなるマリナの姿を繰り返し映像の中に見た監督は、悩んだ末に虹のシーンを全てカットしたのです。「アフガニスタンの悲劇はまだ終わっていない。今虹を書くのは嘘になる」という監督の思いが込められた新しいラストシーンは、泣くことすら出来ないアフガンの悲しい現実を痛いほど切実に物語っています。


言葉では語りつくせない映像力。
アフガンの思いはカンヌ・日本・そして世界へ

2004年ゴールデングローブ賞外国語映画賞受賞
2003年カンヌ国際映画祭カメラドール特別賞
2003年カンヌ国際映画祭 CICAE賞
2003年カンヌ国際映画祭 ジュニア審査員最優秀作品賞
2003年ニューデリー映画祭 シネファン最優秀女優賞
2003年釜山国際映画祭 ニューカレンツ特別賞
2003年釜山国際映画祭 観客賞
2003年ロンドン映画祭 最優秀作品賞(サザーランド・トロフィー)
2003年バリャドリッド国際映画祭 最優秀作品賞(ゴールデン・スパイク)


2003年/アフガニスタン=日本=アイルランド/35ミリ/カラー/82分/原題:OSAMA
監督・脚本・編集:セディク・バルマク
提供:アップリンク、ムヴィオラ、NHKエンタープライズ21
配給・宣伝:アップリンク、ムヴィオラ