高野孟さん(ジャーナリスト)
結末は、プツンとブチ切れるように唐突で、「タリバンがいなくなったのだから、もう少し明るい終わり方をすればいいのに」と、やりきれない思いが苦く長く残る。聞けば、最初の予定ではラストシーンは美しい虹のシーンになるはずだったのに、土壇場で監督がそのシーンを使うのを止めたのだと言う。語られる希望よりも語られない現実を敢えて選んだ監督の胸の内に思いを馳せることで、アフガニスタンの今が痛いように透けて見える。

カヒミカリイ(ミュージシャン)
この映画を知ったのは夜中に偶然に観たNHKのドキュメンタリーでした。この様な想像するだけでも制作するのが困難な作品の為に動き完成させた人達の勇気に驚き、そして少女マリナの余りにも悲しく深く澄んだ瞳が強く心に焼き付き、そして先日この作品を観た訳ですが。今まで感じた事のない感覚に圧倒されてしまった!役者が、役をする者、を全く超えてしまっている。そのような作品は今までに観た事がなかったのです…。

樫山文枝さん(女優)
全身を覆うブルカの女達。このブルカの意味は?生きる為に少年になった少女。戦争のもたらした悲劇、タリバン政権下に生きる女達がたどる運命に息をのむ思いで見続けた。私達は、見えるものを見ないでおくことは罪だ、と知らされる。この映画を日本中の人に見てほしい。

姜尚中さん(東京大学 社会情報研究所)
誰も少女の涙を拭ってやることはできないのか。底なしの絶望が重苦しく全編に漂っている。少女の、そして女たちの人生を台無しにしたのは誰だ。圧制と内戦で荒廃したアフガニスタンに生きる女たちの深い悲しみと憤りが切々と伝わってくる。希望の虹はどこにも見えない。それがアフガニスタンの現実なのだ。目を背けないで欲しい、少女の悲しみに沈んだ顔がそう語りかけている。

最相葉月さん(ノンフィクションライター)
「みんな自分だけが不幸だとわめきたてる」。女たちにすがりつかれた男の一言に、この国の“不幸”の意味を気づかされた。哭き声は聞こえるのに、どこで誰が哭いているのかわからない。23年間の戦争は、怯えも、怒りも、悲しみさえも一緒くたにしてブルカの下に閉じこめてしまったのだ。結末に希望がない、などと嘆いているひまはない。今は、虹のシーンの封印を解くために自分ができることを一刻も早く探さねばならないと焦るばかりだ。

土本典昭さん(映画監督)
『アフガン零年』を見た衝撃は大きい。ハッピーエンドはおろか、“起承転結”の劇映画の文法を断ち切り、“結”を提示しなかったセディク・バルマク監督の破格な意図はなにか?その驚くべき高さの演出と編集に導かれてラストに至り、“少女マリナの運命はいかに”と固唾を呑んでいた私は突き放された。監督はあえて“結”を描く事を断って、「このマリナの将来をまだ語り得ない」とアフガン社会の今を語ったという。“その後のマリナ”を想い描くこととは、同時にアフガンの今後を見続けることに尽きるという世界へのメッセージだ。「マリナを記憶せよ!」その一事に賭けた、いわば捨て身ともいえるバルマクの映画的冒険に改めて感動を禁じ得ない。

池田香代子さん(ドイツ文学翻訳家)
ディテイルはリアル、語り口は抽象的、ストーリーはシンプル、そして繰り返される隠喩。隠喩とは虹と、虹の代替物である縄跳びの縄だが、縄はまた束縛の象徴ともなりうる…これらは典型的な寓話のスタイルだ。映画は寓話と相性がいい。この作品は、映画の原点に立脚している。そこに原題の「オサマ」が、紛れもない歴史的意味を帯びて、複雑な陰影を投げている。あなたはここからどんな寓意を読み取るだろう。

岡留安則さん(『噂の真相』編集長)
暗く息苦しくなるタリバン政権下のアフガンの首都・カブールで生き抜くために少年の姿をした少女の物語。母は兄を殺され、女達は「タリバンなど地獄に落ちればいい」とつぶやく。やがて少女は少年を装った罪であやうく石打ち処刑にされるところを「神の恵みとして」あまりにも逆説的な方法で救われることになる。「神は偉大なり」との祈りがむなしく響く、戦火の中の重く悲しい現実を描く。

吉野寿さん(eastern youth/ミュージシャン)
スクリーンの向こう側からジッと見据える眼球は常に潤んでいました。その眼差しが俺の眼鏡に映り、その同じ眼鏡が東京の曇天を映す。東京とカブール。今日、見上げるこの空が彼女達の現実と確かに繋がっている事を実感する事が出来るだろうか。その上で潤んだ眼球を持ち得る事が出来るだろうか。

shing02さん(ヒップポップアーティスト)
「オサマ」と呼ばれた少女、彼女の痛みを知ることは、とても難しい。アフガニスタンの土地に生まれずして、同じ人として感情を手探る。かわいそう、ではかわいそう。少女が少年にならざるを得ない背景。埃が落ち着けば、消化不良の過去は、現実という廃墟に隠れてしまった。では、服装の自由や社会の平等がある先進国に、男女差別はないのか。目に見えない、奥深いところでは共通のものではあるまいか。
「女性を守るため」の決まりを男が決めている以上、不平等は続くのだろう。「終わり」が消えたこの映画は、観た者を捕らえている。私達は、レンズ越しに一ドルを渡すカメラマンの役を、既に演じている。

A. O. スコット(ニューヨーク・タイムズ紙)
マリナ・ゴルバハーリの素朴で無防備なもろさと、監督の力強くそれでいて詩的な作風によって、『アフガン零年』はただのセンチメンタルな作品になることを逃れた。そればかりか、美しくて思慮深く、耐え難しい程までに悲痛な作品に仕上がっている。

リチャード・コーリス(TIME誌)
バルマク監督のストーリーテリングの技術と新しい若いスターの飾り気ないオーラによって、一つ一つのフレームに至るまで、真実というものが光り輝いている。

デボラ・ヤング(VARIETY誌)
歴史的な関心を抜きにしても、この宗教的原理主義や女性蔑視から起こる悲劇を描いた物語は、観客を感情的に捕らえるに足る素晴らしい映画である。

ピーター・ブルネット(indieWIRE)
セディク・バルマクは、ジャン=リュック・ゴダールやアッバス・キアロス
タミと言った現代映画監督の巨匠達と名を連ねるにふさわしい監督である。

リッチ・クライン(Shadows on the Wall)
もしこの映画に描かれている様な状況が、我々の国に起こらないと思うなら、
我々は、無知で盲目な世界に生きていると言わなければならない。