私は1952年にチベット第二の都市シガツェで生まれました。父はチベットでとれる岩塩をインドやネパールへ運び米と交換する、いわゆる「塩の道」の交易を仕事としていました。ところが59年の動乱で、人民解放軍はチベットの指導者たちを次々と逮捕していき、私たちの平穏な生活はあっという間に崩れていきました。その頃、仕事でインドに滞在していた父は、危険を感じひとりインドに亡命しました。
それから三年間、私は中国政府がつくった小学校に通いました。そこで学んだ中国共産党の教育は、“洗脳”ともいえるものでした。今では信じられませんが、幼かった当時の私はダライ・ラマ法王を“反逆者”、“国家分裂主義者”だと信じていたのです。
1962年、私は家族と共にチベットからインドへ亡命しました。10歳のときでした。すでにインドに亡命していた父が、近所の人に見つからぬようボロボロの服装で、家族を迎えに戻ってきたのです。但し、両親は私に「温泉に行くよ」とだけ告げました。洗脳教育に染まっていた実の子を、両親は騙さねばならなかったのです。
チベットの国境地帯に配置された中国政府の警備隊に見つからぬよう、月が出るのを待って夜間に歩き、眠るのはいつも山の中の洞窟です。もう春先でしたが、ヒマラヤ越えは寒い道行で、膝くらいまで残っていた雪でズボンがびしょぬれになり、凍傷にならなかったのが幸運なくらいでした。こうして、雪に覆われた3000メートル級のヒマラヤを、約一ヶ月かけて越えました。
インドのダージリンにあるチベット難民センターに収容された後、英国系の全寮制学校に入学し、私の生活は一変しました。そこでの授業はすべて英語でおこなわれ、近代的な教育を受けました。次に大きな転機が訪れたのは1965年、13歳の時でした。毛呂病院(現・埼玉医科大学)の前理事長・丸木清美先生の働きかけで、初めて日本の地を踏みました。そこでようやく中国とチベットの関係や、政治の事情がわかってきました。ダライ・ラマ法王が初来日した67年に、初めて法王にお会いしました。その時法王が言われた「将来、チベット人のためになる専門分野を持ちなさい」という言葉を胸に、私は医学の道を選び、医者になりました。数年前、中国からきた若い研修生たちに指導をしたことがあります。「実は私はチベット人です」と告げると、彼らは一様に驚いていました。研修生たちはチベット人を無教養で野蛮人だと思っていたのです。“チベットを中国共産党が解放した”としか教わっていない。中国政府は中国国民に対しても、都合のいい様にしか教育していないのです。
私は日本の若い人たちに、チベットを様々な角度から知っていただきたいと思っています。一般的にチベットというと、政治的な問題や宗教的なイメージがありますが、それだけを強調されると私は悲しくなります。チベットには長い歴史と文化があり、伝統があるのです。例えば、チベットの民族衣装やアクセサリー、アートなどの側面からもチベットを知ってもらいたい。また、チベットにはダライ・ラマ法王という素晴らしい指導者がおりますし、私はチベット仏教を世界の財産だと思っています。殺伐とした日本の現代社会に於いて、精神的な面で貢献できるものの一つはチベット仏教だと思います。
法王は今、精神的な部分は科学的に証明する事ができるという、チベット仏教科学に力を注いでいます。幸せは祈りや瞑想だけではなく、人間の中の感情や本質を見極め、それを明らかに認識すること、信心の心だけではなく科学的アプローチで訓練することによって生まれてくるものだと考えます。チベット仏教というのは、何かを崇めたりするのではなく、もっと哲学的な側面が強いのです。その中で精神的な瞑想も含めて、心の平安が如何に重要かを説いています。心が平安だと免疫力が上がるというような理論です。
チベット仏教の伝道は2000年あるといわれています。信仰を土台とした魂はチベット人の生活の基盤になっています。2000年近くあるチベット人の魂を、たかだか50年、60年で表面的に抑圧しても、心の中までは抑圧できないと思います。この状況が長くなればなるほど、中国の罪は重くなる。歴史というのは変化しますからいつか歪みが生じます。その時、中国に様々な問題が出てくるでしょう。
『風の馬』を観て、50数年前からチベットの問題は全く変わっていないのだと、改めて実感しました。この映画こそ真実だと思います。
映画に登場する3世代それぞれには心の中にある“チベットの魂”を感じました。お祖父さん、お祖母さんは中国に対する感情をストレートに表現し、お父さん、お母さんは抑圧された状況の中で生活をしている。一方子供たちはというと、妹のドルカは中国の文化を好み中国人の恋人がいますが、兄のドルジェはそんな妹を疎ましく思っています。それぞれの世代で感じ方が異なりますが、チベット人のもつ気質や魂は歴然として、彼ら心の中にあるのです。
もう一つ印象的だったのは、チベット人も中国人もみんな犠牲者だという事です。ドルカの恋人の中国共産党員の青年も犠牲者でしょう。ドルカのお祖父さんは、文化大革命の際に中国人によって射殺されましたが、恋人のお父さんもまた、文化大革命の際に四川省で殺されております。投獄された尼僧のペマはチベット人の看守によって拷問されますが、その看守も犠牲者です。彼らにも生活があり、やらなければ搾取されてしまいます。恐らく看守としての役割を終えて家に帰れば、仏壇やタルチョがあり、チベット式の住居で生活しているはずです。
映画の登場人物の中で、個人的には中国指導部に一番同情しました。彼らは今起きている事に気づいてない。いずれ全てを精算する時がやってきます。今の状況では、チベット人にとって失うものはもう何も無く、闘うしかありません。闘うという事は決して暴力ではなく、仏教の慈悲の心を持ちひたすら耐える事です。チベット仏教の哲学は耐える事、憐れむ事、それが根底です。時間はかかるかもしれませんが、いつか中国が民主化し、今まで行った事が全て浮き上がれば、今度は彼らが裁判にかけられます。その事実を今の中国指導部は知っておかなければいけません。
しかし、今後も抑圧政策は続くでしょう。それを変えるためには、もっと国外の人々が声を大にしなければいけません。そのためにはこのような映画を通してチベット問題を多くの人々に知ってもらうことがとても大切だと思います。