1965年、コペンハーゲン生まれ。1988年、ロンドンのセントラル・テレビジョンにて学び、1991年デンマークのオーフスにある、ジャーナリスト養成学校を卒業。Jersild & Co.という社会的・政治的キャンペーンに特化した広告代理店ではコピーライター及びアドバイザーとして、DR TVとTV 2/DANMARKのドキュメンタリー部門ではフリーランスのリサーチャー及びアシスタント・ディレクターとして働いていた。最初のドキュメンタリー作品『Johannesburg Revisited』はヘニング・カールセンの長編映画『A World of Strangers』(1962)が基になっており、1996年にTV2/DANMARK, NRK, Nordic Film & TV Fund, Danish Film Instituteのために製作された。
1991年、スウェーデン人ピアニスト、ヤン・ヨハンソンの映画『The Magus』の脚本を書き、監督した。『The Magus』は1999年のオデンス映画祭でベスト・ドキュメンタリー賞を受賞。その他に、アフリカの農薬についての作品『A Burning Issue』、ドキュメンタリー・シリーズ『Brothers in Spirit』、長編ドキュメンタリー『Malaria!』を製作、有名なデンマークのロックバンド、Gasolinのドキュメンタリー『Gasolin』は2006年に劇場公開されたドキュメンタリーの中で、最も成績のよい作品となった。ビルマのビデオ・ジャーナリストを追ったドキュメンタリー『ビルマVJ 消された革命』(2008)は、2010年のアカデミー賞長編ドキュメンタリー部門にノミネートされた。同年日本でも公開され、大きな反響を呼んだ。
『タンタンと私』は、エルジェの伝記です。1971年、彼は若い学生に自分をインタビューさせることになりました。そこで彼はごく自然に心を開き、自分の人生と自分の作った有名な漫画の関係について語ったのです。その学生は会話を録音していましたが、音源の入ったカセットは長い間安全な場所に保管されていました。『タンタンと私』を観ればそのインタビューを聴けますし、エルジェが子どものために作ったこの素晴らしい漫画に描かれている20世紀の出来事を知ることもできます。
またこの漫画は成長についての作品でもあります。エルジェは成長するのに時間がかかりましたからね。若いとき、彼はこのまま絵を描き続けてカトリックや右翼に執着し続ければ、周りの人たちは彼から離れていき、彼は想像の世界に留まることになるという取引を、世界としてしまったような気がしていました。しかし結果的に、世界は彼に忍び寄ってきます。現実が彼にその道を強いたのです。最初は第二次世界大戦、その次は愛でした。愛すべきでない女性と恋に落ちたのです。つまりエルジェが人生を語る『タンタンと私』は、成長すること、音楽と対峙すること、自分自身になるために下す人生の決断と向き合うことについての、とても長い物語なのです。
エルジェは『タンタンの冒険』の作者でした。すべてのヨーロッパの人たちにとって、タンタンは幼少期のアイコンなのです。彼らは世界、冒険、道徳、他の土地から来た人たちとの接し方などをこの漫画から学びました。またタンタンの友達、ハドック船長のとても人間的で無防備、かつ神経質なキャラクターは、この漫画にユーモアをもたらしました。エルジェはブリュッセルに留まり、人生を通してこの漫画を描き続けました。彼はブリュッセルをほとんど離れたことがなかったのですが、こうして世界中へ旅に出たのでした。
エルジェの興味深いところは、彼が何百万というヨーロッパの子どもたちの想像力を捉えることができたということです。表面的には彼は抑制され、内気な人間のようでした。エキサイティングなアーティストというよりは、事務員のような外見だったのです。彼はエレガントで頭もよく、ハンサムでしたが、超現実的なことを探求したり、『タンタンの冒険』で巻き起こるような空想的なことを作り出したりするタイプには思われていませんでした。私はそれこそが彼のおもしろいところだと思います。抑制されたような見かけを保ちながら、その背後に彼の神経質な面や芸術的な面を感じ取ることができる、というところです。
彼はスポンジのような人だったと思うのです。本人もそのように言っていたことがあります。身の回りの社会の雰囲気を吸い込んでしまう。そしてそれを自分のしていることに反映させずにはいられないのです。子ども向けの物語に、政治的内容を含ませるべきではないとしても。
だから彼の漫画には政治的内容が含まれていました。当時起こっていたことに、大きく影響を受けていたからです。1930年代の政治危機、1940年代の第二次世界大戦、1950年代の冷戦。そのすべての出来事が、タンタンの漫画に浸透していったのです。そうやって、その漫画は(彼が意図したわけではなく)戦争から月への旅行まで、大きな出来事をすべてカバーした、20世紀の年代記となりました。
私自身がタンタンのファンであったことと、いつも漫画の中では目に映る以上のことが起こっているように感じて、読むたびに自分の中に大きな疑問が残っていた、というのがこの映画を作った理由です。一見、子ども向けの純真なエンターテイメントのようですが、ハラハラするようなエネルギーとでも言うのか、なにか違った雰囲気がこの漫画にはあります。それで、これを作った男とは一体何者なのか、どのようないきさつでこの漫画が生まれたのか、ということに興味を持ったのです。そう いった疑問をもとに、このプロジェクトを始めました。
エルジェについての本も読みましたが、一番大きなきっかけは、彼の代表作のひとつである『タンタンとチベット』がいかに彼個人の危機とシンクロしていたか、という記事を読んだことです。その記事を読んだあと、アーティストの感受性を持ち、この小さく限られたフォーマットを通して自分自身を表現しようとした一人の男の、力強い物語だと気づいたのです。子ども向けのエンターテイメントと考えられていた漫画でしたが、エルジェは魂のすべてをそこへ注ぎ込み、非常に深い情緒的インパクトを持たせることに成功したのです。