イントロダクション
チェルノブイリ原子力発電所から約4キロメートルに位置する街、プリピャチ。1986年の原発事故の後、原発の周辺30キロメートルが立入禁止区域「ゾーン」と呼ばれ、許可なく入ることができない「管理されたゴーストタウン」と化している。立入禁止区域は有刺鉄線で覆われたフェンスで区切られ、兵士が区域内に入るすべての人々をチェックし、区域内からいかなるものも持ち出すことは禁止されている。
原発や関連施設で働く人々や、許可を得て帰還した人々など、プリピャチの立入禁止区域で生きる人々を、『いのちの食べかた』のニコラウス・ゲイハルター監督がナレーションや音楽を排し、モノクロの映像で記録していく。 「チェルノブイリで起こったことは世界中に知られ、記録されてきた。だが、たまたまその地域で生まれ生活していた人たちが事故の結果と実際に向き合い、どう折り合いつけざるをえないかということは、これまできちんと提示されたことがなかった。私の映画は後の世代にとってある種の年鑑のようなものだと思っている」
監督インタビュー
──なぜボスニアの次にチェルノブイリを撮影したのですか?(ゲイハルター監督の前作はボスニア・ヘルツェゴビナの内紛後、デイトン合意がまとまり戦火が収まった後のボスニアを取材したドキュメンタリ ー『デイトンの翌年』(1997)) 。
まず言っておきたいことは、私は単に世界の絶望的な地域に興味を持っているわけではないということだ。チェルノブイリとボスニアに共通しているのは、戦争であれ原発事故であれ、それがいつでもどこでも起こりうる状況であるという事実だ。私の映画は人間に集中したいと思っていて、個人の運命を拠り所に歴史を物語ることを試みている。チェルノブイリで起こったことはこの間に世界中に知られ、記録されてきた。だがたまたまその地域で生まれ生活していた人たちが事故の結果と実際に向き合い、どう折り合いつけざるをえないかということは、これまできちんと提示されたことがなかった。その意味ではボスニアとチェルノブイリの間に平行関係がある。これら2作は既知の情報をすでに観客が持っていることを前提に、それを補完 するものであり、その時代に特徴的な事柄を ― 従来とは異なる視点から ― 記録に留めるものだと考えている。
──インタヴューした人たちをどのように見つけ出したのですか?
興味を引く人物を見つけ出し、その人とオープンな関係を築くためには、2つの事柄が必要だと思う。つまり時間と幸運だ。だから私はいつも撮影に出来るだけ長い時間をかけた。とりわけ今回は全ての会話で通訳を介さねばならず、私が彼らと直接対話する能力が非常に限られていたからなおさらだった。そうして撮ったものの多くは偶然の産物であり、予想できなかった事柄だった。この映画の撮影は、最後まで絶えず目を開いて探し続けることの連続だった。
──なぜ白黒の映像なのですか?
私の映像は直感や純粋な連想によって生まれるものが多い。ある映画のアイデアを思いついたら、それから具体的なコンセプトを考えるより、むしろフィクション的な構成を作ってゆく。白黒の映像はドキュメンタリー映画において真実味や本物らしさの感じを抱かせると思う。だが同時に観客は、日常に存在する色彩が欠けていることから、これがカメラによって撮影された映像であることを意識する。またもちろん白黒には美化する効果もあり、一見“神聖な世界”を生み出してしまうこともある。ゾーンが密室的であると同時に不条理な構築物であり、そこでは本来の危険は不可視であることを示すために、白黒は極めて適切な手段だと思う。それによりある種不条理すれすれの悲喜劇的な雰囲気が伝わってくることも、副次的効果として望ましいものだ。
──原子力をめぐって継続中の議論にご自身も参入しようと考えたのですか、それともむしろ喪失や不安という根源的な経験に興味をお持ちなのですか?
私は映画で政治を行うつもりはないし、このような映画が大きな影響力を持ちうるとも思わない。私としてはむしろ先例を手がかりに歴史を保存し資料化することを目的としている。私の映画は後の世代にとってのある種の年鑑のようなものだと思っている。一人一人の人間が大事なのだが、ここで紹介された人々は、30キロを区切る有刺鉄線の内側で生きるという共通の運命によって明らかに結びつけられている。私は「原発を即時停止せよ」と主張する人間ではない。この映画は一見すると明快な立場を取っていないように思われるかもしれないが、それでも本作が原子力をめぐる議論にささやかに貢献することになればと思っている。
登場人物