プロダクションノート

2005年、本作の監督ジェイソン・コーンは、新居に引っ越すためインテリアの本を見ていた際、ミッド・センチュリーのモダン・デザインに魅了された。本業であるジャーナリストの性分でとことん調べていくうちに、彼はチャールズとレイのイームズ夫妻が、ミッド・センチュリー・モダニズムというムーブメントそのものを全て包含していると考えるに至った。そもそも彼がイームズについて興味を抱いたきっかけは、家具ではなく彼らの映画だった。

遡ること16年前、コーンはカリフォルニア大学バークレー校のジャーナリズム大学院に在学中、イームズ・オフィスから発売されていた6枚組DVDの映像作品集を観る機会があった。驚くほど美しい映像作品の数々は、単なる広告映像でもなければ、ドキュメンタリー映画でもアート映画でもない、どんなカテゴリーにもあてはまらないものだった。コーンは「映画評論家でもある映画監督のポール・シュレーダーが、かつてあるエッセイの中で、イームズの映像作品を"アイデアの詩"と表現したが、まさに彼らの映画にもっとも相応しい呼称は"アイデアの映画"だろう」と語る。

ジャーナリストとして長年、新聞や雑誌、TV、ラジオで記者をし、ドキュメンタリー番組のプロデューサーも務めてきたコーンは、自身初の長篇作としてイームズ夫妻のドキュメンタリーを手がけることを決意した。ベテラン・プロデューサーのビル・ジャージーと組み、まずイームズ・オフィスにコンタクトを取り、それから4年かけて資金調達に奔走した。本格的なプロダクションが行われたのは、2010年~2011年の2年弱である。コーンの念頭には、批評家たちの言葉ではなく、実際にチャールズやレイと一緒に働いた人たちを通して物語りたいという思いがあった。そこで、チャールズとレイのもとで働いていたスタッフを訪ね、ハンディカムで彼らに事前インタビューをし、脚本を書き進めていった。

もっとも苦心したのは、保管されている膨大な資料の中から、何を抽出するかだった。本作で描かれているとおり、約40年間にわたってチャールズとレイがスタッフたちと共に仕事をしてきたイームズ・オフィスは極めて多作であり、なおかつ夫妻はあらゆるものを記録して保存していた。レイの死後、イームズ・オフィスの所有物が寄贈されたワシントンDCにある米国議会図書館には、80万枚に及ぶスライドや写真、100本以上もの未完成の短編映画が保管されており、コーンは「まだまだ貴重な写真や映像が、あの箱の山に眠っていたはずで、すべてを確認しきれなかったのが心残りだ」と話している。