解説
“王者”ランス・アームストロング
“プリンス”フランク・ヴァンデンブルック
“異色の新人”デイヴィッド・ミラー
“王者”ランス・アームストロング、“プリンス”フランク・ヴァンデンブルック、そして、“異色の新人”デイヴィッド・ミラー。彼らに共通することは、若くして溢れんばかりの才能を発揮し、端正なルックスと素晴らしいボディバランスを武器に、現代のエンターテインメント志向のプロアスリートとして、華々しいキャリアのスタートを切ったことである。
しかし、人生は順調な航海にしばしば荒れ狂う嵐を用意する。アームストロングには、生死の境をさまよう癌が襲いかかり、ヴァンデンブルックには、ガラスの心に潜む“闇の誘惑”が忍び寄る。そして、ミラーには、それまでの人生をグチャグチャに破壊する薬物使用と制裁が待っていた…
ツール・ド・フランスという地球上で最も過酷なスポーツイベントは、ヨーロッパの人々に“人生の教科書”として愛されている。それは、人生が持っている多くの喜び、悲しみ、誘惑、そして矛盾を見事なまでにこのレースが持ち合わせているからだ。
ツアー・オペレーターは、そんな“人生の舞台”で戦う彼らを中心に、周りにいる多くの人々の感情や立場、そして、それらが生み出す人間模様を生々しく描きだしている。
フランスの名門チーム“コフィディス”は、良くも悪しくもツール・ド・フランスの地元チームとして、誇りと伝統を持った“フレンチメンタリティ”のチームであった。奇しくも、アームストロングが癌を患う前の“イケイケ”の時期に所属していたチームでもある。コフィディスは、病に倒れたアームストロングを彼が闘病中に捨て、その後、アームストロングの強大な怒りを招くことになった。
一方、ヴァンデンブルックは、叔父も一流のプロ選手として活躍した自転車エリートの家系に育ち、10代で特別にプロのライセンスを取得して多くの勝利を挙げてきた、まさにロードレース界の“プリンス”だった。ベルギー出身の彼は、恐らく世界で最もロードレースに熱狂する国民性に後押しされ、“エディ・メルクスの再来”としてスーパースター街道をまっしぐらに突き進み、多くの人々にもてはやされていた。しかし、いつしか彼の人生にも綻びが見え始め、トップモデルと付き合うなど、華々しい姿が報道される一方で、ロードレースとは関係のないドラッグに手を染めるようになってしまう。
そして、自転車ロードレースでは“発展途上国”であるイギリスからやってきた“青年”ミラーは、ヴァンデンブルックとは対極の位置にある“プリンス”であった。ベルギー出身であるヴァンデンブルックは、プライベートも含め、彼の一挙手一投足がスキャンダラスにメディアで報道されていたが、ミラーに関しては、彼がプロのサイクリストだという事実を、イギリス国民の大半は知りもしなかった。そう、彼がツール・ド・フランスの初日にマイヨジョーヌを着るまでは…。その後、ミラーを襲ったドーピングのポジティブ判定と、長期の出場停止処分で彼は暗黒の時を味わい、別の意味で地元イギリスで有名人となってしまう。
三者三様に、優れた才能が生み出した快挙と歓喜を経験し、そして、それが生み出す自信過剰な時期を経て、地獄の底に叩き落される“長期離脱”を味わった。
人生は“やり直しの連続”である。日本には一度失敗を犯すと修正をしにくい文化が根付いているが、欧米では失敗者が這い上がってくることに多大な賞賛が送られることが多い。
ツアー・オペレーターが映し出す3人のエリート達の姿は、それぞれ“復活成功者”、“転落寸前”、“転落知らずの絶頂期”に分かれている。
この映像が訴えかけてくる真実とは、単に一つのプロスポーツの結果などではない。人類が長い間探し続けている“生きる”という難題に対しての答えにも見える。
ツール・ド・フランス、それは人が生きる姿をたった3週間で映し出す、“世界で最も優れた哲学書”なのかもしれない。
栗村 修(スキル・シマノ スポーツディレクター)