シーモア・バーンスタイン

シーモア・バーンスタイン


ピアニスト、作曲家、教師、作家。1927年、アメリカ・ニュージャージー州ニューアーク生まれ。
わずか15歳で人にピアノを教え始める。17歳でグリフィス・アーティスト賞を受賞、アレグザンダー・ブライロフスキー、サー・クリフォード・カーゾン、ヤン・ゴルバティ、ナディア・ブーランジェ、ジョルジュ・エネスクといった著名な音楽家に師事し、演奏家としての名声を築いた。朝鮮戦争中は兵役に就いたが、その間も各地の前線で、また軍の幹部向けに、数々の演奏会を行った。

50歳で現役のコンサート・ピアニストとしてのキャリアに終止符を打つ。以降の人生を「教える」ことに捧げる。

米国内外で引っ張りだこの“ピアニストの臨床医”である一方、多作な作曲家であり、その曲は初心者から上級者まで、さまざまなレベルの生徒を対象とした教材から、極めて洗練された演奏会用まで多岐にわたる。また定期的に、多くの国際コンクールの審査員も務めており、ニューヨーク大学の音楽科と音楽教育科で、准教授(非常勤)を務める。2004年12年12月18日、シェナンドア大学から名誉博士号を授与された。

【著作】
(すべてシーモア・バーンスタイン著)
『セイモアのピアノの本:音楽的感情に合わせた体の動き――初心者のために』
大木裕子、青木礼子訳/ショパン/1992・2008年
『心で弾くピアノ――音楽による自己発見』
佐藤覚、大津陽子訳/音楽之友社/1999年
『ピアノ奏法20のポイント――振り付けによるレッスン』
大木裕子、久野理恵子訳/音楽之友社/2003年
『ショパンの音楽記号――その意味と解釈』
和田真司訳/音楽之友社/2009年


シーモア・バーンスタインの言葉

Quotes

劇中での
シーモア・バーンスタインの言葉

音楽に情熱を感じていたり、楽器を練習する理由を理解していれば必ずできる――音楽家としての自分と普段の自分を、深いレベルで一体化させることが。するとやがて音楽と人生は相互に作用し、果てしない充実感に満たされる。

音楽の教師が生徒にできる最善のことは、生徒を鼓舞し 感情的な反応を引き出させること。音楽のためばかりではない。人生のあらゆる場面で、重要なことだから。

音楽に対する最初の反応は、知的な分析なしに起こる。たとえば才能豊かな子供は、音楽の構造的なことや背景を知らずとも、音楽をとても深く理解できる。こうした無知さには、大人も学ぶことがある。だからこそ練習の時は、過剰な分析を避けるべきだ。そして音楽そのものの美が現れるままにする。さらに自分も、その美に感化されるままにする。禅の思想家は言った。“菊を描く者がすべきことは、自身が菊になるまで10年間、菊を眺めることだ”

私は生まれつき知っていたのだろう――人生とは そういうものだと。衝突も喜びも調和(ハーモニー)も不協和音もある。それが人生だ。避けて通れない。音楽も同じで、不協和音もハーモニーも解決(レゾリューション)もある。解決の素晴らしさを知るには、不協和音がなくては。不協和音がなかったらどうか? 和解の意味を知ることもない。

誰もが皆、人生に幸せをもたらすゆるぎない何かを探している。聖書に書いてある――救いの神は我々の中にいると。私は神ではなく、霊的源泉と呼びたい。大半の人は、内なる源泉を利用する方法を知らない。宗教が腹立たしいのは、答えは“我々の中にはない”と思わせていること。答えは神にあると。だから皆、神に救いを求めようとするが、救いは我々の中にあると私は固く信じている。

私の年齢になると、ごまかしを一切やめる。人にウソを言わなくなり、自分の心のままを語るようになる。相手が喜ぶことを言うのではなく、真実を言うことこそが、相手にとって最高の褒め言葉だと分かる。

自分と音楽とのつながりを考える度、いつも同じ答えに行きつく。普遍的な秩序だ。夜空の星座が普遍的秩序を目で確認できる証拠ならば、音楽は普遍的秩序を耳で確認できる証拠と言える。音楽を通じて、我々も星のように永遠の存在になれる。音楽は悩み多き世に調和しつつ、語りかける――孤独や不満をかき消しながら。音楽は心の奥にある普遍的真理、つまり感情や思考の底にある真理に気づかせてくれる手段なのだ。