DICE+|ミニシアター・サブスク
魔都・上海で、各国の諜報部員が暗躍する太平洋戦争開戦前の七日間!魔都・上海で、各国の諜報部員が暗躍する太平洋戦争開戦前の七日間!

イントロダクション

ロウ・イエ監督の第11作目に当たる本作『サタデー・フィクション』は、2019年の第76回ベネチア国際映画祭コンペティション部門正式出品作である。

上海出身のロウ・イエ監督は国際的にデビューした『ふたりの人魚』(2001)で上海の蘇州川の水中ダンサーに恋する男を描き、『パープル・バタフライ』(2003)では、チャン・ツィイーと仲村トオルを起用し、1939年日本軍占領下の上海を描いた。

本作『サタデー・フィクション』は、再び上海を舞台にし、映画の冒頭「1937年11月に上海は陥落したが日本軍の侵入を免れた英仏租界は“孤島”と呼ばれていた」という説明が表示され、太平洋戦争開戦7日前の1941年12月1日から映画は始まる。

監督が一度は挑戦したかったという映画の原点でもあるモノクロ映像を用い、映画音楽を一切排したストイックなつくり。「蘭心大劇場」「キャセイ・ホテル」など当時からある選りすぐりの建物をロケ地として、スタイリッシュな本格スパイ映画が完成した。原作は、ロウ・イエ監督とプロデューサーのマー・インリーの友人でもあるホン・インの小説『上海の死』で描かれる女スパイの物語を脚色し、その脚色した物語の中での演劇公演の物語の主役に横光利一の『上海』中国共産党の女性闘士・芳秋蘭(コン・リー)の設定を採用している。

魔都と呼ばれていた上海は当時、欧米中日各国の諜報部員が暗躍する都市だった。フランス諜報部員に女スパイとして育てられたユー・ジンの使命は暗号変更のため上海にやってきた日本海軍少佐古谷三郎(オダギリジョー)から太平洋戦争の奇襲作戦の場所を聞き出すことだった。古谷の日本で亡くなった美代子にそっくりなユー・ジンを利用してのマジックミラー計画が始まるのだった。

物語

「マジックミラー計画を開始せよ」

1941年、日本軍の占領を免れた上海の英仏租界は、当時「孤島」と称されていた。魔都と呼ばれるこの上海では、日中欧の諜報部員が暗躍し、機密情報の行き交う緊迫したスパイ合戦が繰り広げられていた。

日本が真珠湾攻撃をする7日前の12月1日、魔都上海に、人気女優のユー・ジン(コン・リー)が現れる。新作の舞台「サタデー・フィクション」で主役を演じるためだ。一方、この大女優ユー・ジンには、幼い頃、フランスの諜報部員ヒューバート(パスカル・グレゴリー)に孤児院から救われ、諜報部員として訓練を受けた過去があり、銃器の扱いに長けた「女スパイ」という裏の顔があった。

そして2日後の12月3日、日本から海軍少佐の古谷三郎(オダギリジョー)が海軍特務機関に属する梶原(中島歩)と共に、暗号更新のため上海にやってくる。ヒューバートはユー・ジンに告げる。「古谷の日本で亡くなった妻は君にそっくりだ」と。それは、古谷から太平洋戦争開戦の奇襲情報を得るためにフランス諜報部員が仕掛けた“マジックミラー計画”の始まりだった……。

監督コメント

saturday

ロウ・イエ監督:コメント

私が子供だった頃、両親が裏方として働いていた上海の蘭心大劇院に、よくついていった。そこで、数多くの面白い経験をした。

衣装をつけた俳優と知り合い、また舞台で繰り広げられる彼らが演じる様々な役柄や、恋愛や憎しみ合い、そして生き別れや、死別を見た。そしてステージを降りてきた彼らと、楽屋でおしゃべりをしたりした。その後、俳優たちの後を追うと、劇場を出た後、彼らは何の変哲もないごく普通の暮らしに戻っていく…。

虚と実の世界を行ったり来たりする奇妙な体験だった。それから何年も経った後、ホン・インが書いた「上海の死」(上海の“孤島期”を描いた小説)を読んだ時、同じような感覚を味わった。

1941年12月の最初の週、世界の歴史が変わることになるんだが、もちろん当時の人は、そんなことを知る由もない。訪れる運命を知らないまま、彼らはいつものごとく日々の暮らしを過ごしており、それぞれの日課をこなし、ゴールを目指している。

上海の“孤島期”、劇場の内外で、また舞台の上や外で、彼らの運命が変わる“土曜日”が、ゆっくりと近づいてくる…。

『サタデー・フィクション』は、複雑な世界危機の時に様々な人の運命を描いた映画だ。また中国文学史上で最も重要な位置を占める“礼拜六派(サタデー派)”へのオマージュでもある。

  ロウ・イエ(2019)

スタッフ

監督

ロウ・イエ 婁燁

  • ロウ・イエ 婁燁

プロフィール

1965年生まれ。中国の脚本家、監督、プロデューサー。
1994年、『デッド・エンド/最後の恋人』で監督デビュー。2000年、『ふたりの人魚』は当局の許可なしにロッテルダム国際映画祭に出品したため中国では上映禁止となった。2003年、チャン・ツィイーを主演に1930年代の中国と日本の間の対立を描いた『パープル・バタフライ』は、カンヌ国際映画祭の公式コンペティション部門に選出。2006年、天安門事件にまつわる出来事を扱った『天安門、恋人たち』はカンヌ国際映画祭で上映された結果、再び5年間の映画制作・上映禁止処分となる。禁止処分の最中、検閲を避けるためフランスと香港合作で作られた『スプリング・フィーバー』は2009年カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞。その2年後、2011年タハール・ラヒム主演で『パリ、ただよう花』をフランスで撮影。2012年、カンヌ国際映画祭“ある視点部門”オープニング作品に選ばれた『二重生活』は、映画制作禁止後に、ロウ・イエが公式に復活を果たした作品。2013年、『ブラインド・マッサージ』はベルリン国際映画祭にコンペティション部門に選出され、台湾のアカデミー賞金馬奨で作品賞を含む6冠を受賞。2018年、広州・香港・台北を舞台にしたクライムサスペンス『シャドウプレイ』は金馬奨で4部門ノミネート。本作『サタデー・フィクション』はコン・リー主演、オダギリジョー共演による、1941年の太平洋戦争開戦前夜の上海租界を舞台としたスパイ映画で、第 76 回ベネチア国際映画祭コンペティション部門正式出品した。最新作は、『少年の君』のイー・ヤンチェンシー(易烊千璽)と『象は静かに座っている』のチャン・ユー(章宇)が出演する『三文字(原題:三個字)」(公開未定)と、日本及び欧米でも有名なバンド「重塑雕像的權利(Re-TROS)」のドキュメンタリー(公開未定)。

フィルモグラフィー

1993年
『周末情人(原題)』
2000年
『ふたりの人魚』
2003年
『パープル・バタフライ』
2006年
『天安門、恋人たち』
2009年
『スプリング・フィーバー』
2011年
『パリ、ただよう花』
2012年
『二重生活』
2014年
『ブラインド・マッサージ』
2017年
『シャドウプレイ』
2019年
『サタデー・フィクション』(本作)
2023年
『三文字』(公開未定)
2023年
『重塑雕像的權利「喝彩之後」南京』(ドキュメンタリー)(公開未定)
プロデューサー

マー・インリー 馬英力

  • マー・インリー  馬英力

プロフィール

1965年生まれ。中国の監督、脚本家、プロデューサー。
マー・インリーは、中国伝媒大学監督科を専攻。その後、ドイツ映画・テレビ大学を卒業。監督・脚本家として、長編映画『面的時節』(1996)や、『再見-你好』(1997)、『夜女郎』(2001)などのドキュメンタリーを制作。2000年以降、ロウ・イエ監督とコンビを組み、『天安門、恋人たち』(2006)と『シャドウプレイ』(2017)の共同脚本家として活躍。『ブラインド・マッサージ』の脚本を担当し、第51回台湾金馬奨最優秀脚色賞を受賞。2019年、『シャドウプレイ』の制作の裏側を追ったドキュメンタリー『夢の裏側』を監督。本作『サタデー・フィクション』(2019)において、脚本家とプロデューサーを務める。

コメント/寄稿

敬称略/順不同

コメント

  • 横幕智裕
    (脚本家/漫画原作者)

    太平洋戦争開戦直前、激動の時代の愛と謀略。モノクロで描かれる混沌とした魔都上海の世界観に強くつかまれ、引き込まれた。ひたすら夜を突き進んでいる感覚だ。銃を撃つコン・リーのなんと美しいことか。いつの時代も人は国家に翻弄され、呑み込まれていく。今はどうなのだろう。そう痛感した。

  • 曽我部恵一
    (ミュージシャン)

    ロウ・イエの映画の中では、いつも雨が降っている気がするのだ。
    あるいはそれは、年中心に雨を降らすぼくの思い込みだろうか。

    しかし、この映画も、やっぱりほら。

    365日雨が降り続くこの星で、ぼくらは恋をし、愛を知る。
    モノクロームのフィルムが、体温を持ってしまっている。

  • 鹿子
    (「満州アヘンスクワッド」漫画家)

    魔都上海。
    この時代は煌びやかな街、人々の生活が機能しているその一方、すぐ傍で各国の謀略と世界情勢が大きくうねっている。租界における多様な人種も相待って集約されたまさにカオスな舞台。
    ちょうど満州アヘンスクワッドも上海編佳境であるが、実際こんなヒリついた空気だったのだろうと思う。
    白黒の画面も当時を感じるのにいい雰囲気だった。
    大衆演劇のスター女優ユー・ジンは、周りの様々な思惑に利用されながらも最後まで自分自身を貫き美しかった。
    見応えのある作品でした。

  • 門馬司
    (「満州アヘンスクワッド」原作者)

    1941年の上海、混沌としたエネルギーに包まれる空気感をこの映画では存分に味わえます。まるで自分がこの地にいるようなリアリティ!風景の一つ一つが没入感に溢れていて、何を信じ、誰を愛するかという選択の重要さを教えてくれる。そして激動のクライマックス。血と涙で塗れる舞台の観客ではなく、キャストとしてそこにいたような感覚でした。素晴らしい作品に感謝を。

  • 上田早夕里
    (小説家)

    伝統的なスパイ映画の端正さと、登場人物の豊かな叙情性との融合に、深く心を揺さぶられた。日中欧の諜報機関が暗躍し、抗日派の重慶政府や対日協力派の南京政府に属する各々の下部組織もまた、ここで対立し、暴力をふるっていた時代。この複雑極まりない状況下で、諜報活動を行う中国人女優を演じたコン・リーから目が離せない。富裕層が経済を支配し、貧しい庶民がデモを起こしても生活水準が全く改善されなかった当時の上海では、謀略に関わる人間の命は紙屑同然に使い捨てられ、愛すら人を騙すために利用される。そんな世界で、主人公は戦争の時代の非人間性に自ら背を向けた。それは、真の意味で精神の自由を求めた行為だったのだと信じたい。

寄稿

  • 森直人
    (映画評論家)

    本作が採用した入れ子構造は、史実という枠組みの中に差し込む形で、いかに蠱惑的な「フィクション」を創造するかという試みの表象そのものと言えるだろう。もちろん、ロウ・イエが描き出す「個と社会」のメカニズムは他の現代劇と同様だ。『天安門、恋人たち』(06)の北京から始まるクロニクルや、『スプリング・フィーバー』(09)や『ブラインド・マッサージ』(14)の南京、『二重生活』(12)の武漢、『シャドウプレイ』(18)の広州……シンボリックな都市に住む個人と、ひりひりした政治や制度との軋轢。それを長い歴史的射程で描く硬質な姿勢は一貫しているのである。

  • 劉 文兵
    (大阪大学人文学研究科 准教授)

    国際映画祭のレッドカーペットでの華やかな立ち居振る舞いや、意思の強い鋭い眼光を特徴づける近年の出演作と一線を画し、『サタデー・フィクション』のコン・リーは、ナチュラルで深みのある演技を見せている。
    そして、ヒロイン像の重層性はそのまま上海のイメージの構築にも寄与し、当時の上海にまつわる国内外の複雑な歴史の位相を鮮やかに浮かび上がらせている。

  • 小谷 賢
    (日本大学危機管理学部教授)

    本映画の舞台は、1941年12月の上海だ。この時代の上海は既に日本軍の占領下にあったが、フランス租界と各国の共同租界が治外法権を維持したままの「孤島」として存在しており、物語はこれら租界内で進展していく。当時の上海は日中のみならず欧米各国のスパイが暗躍する都市でもあり、本作のテーマの一つがまさにこのスパイ戦だ。……本作は複雑な様相を呈しているが、スパイ映画としてはかなり上質で、それぞれの関係を知っておくとより楽しめるのではないだろうか。

  • 樋口裕子
    (翻訳家)

    ロウ・イエはなぜ、横光利一の『上海』を劇中劇にはめ込んだのだろうか。
    『上海』が単行本になった時に横光はこう書いている。「この作の風景の中に出て来る事件は、近代の東洋史のうちでヨーロッパと東洋の最初の新しい戦いである五三十事件であるが、外国関係を中心としたこののっぴきならぬ大渦を深く描くということは、描くこと自体の困難の他に、発表するそのことが困難である。(中略)私はこの作を書こうとした動機は優れた芸術品を書きたいと思ったというよりも、むしろ自分の住む惨めな東洋を一度知ってみたいと思う」気持ちからだったというのだ。
    時代の渦に吞み込まれてなすすべもなく悲劇の淵に堕ちていく、そういう人間を見つめて撮ってきたロウ・イエにすれば、横光利一と想いは重なるような気がする。マルローの『人間の条件』を今撮れないのであれば、劇中劇の形でも『上海』は入れておきたい、そう考えたのではないだろうか。

  • 晏 妮
    (日本映画大学特任教授)

    これこそが実験性に満ちているロウ・イエの斬新なスパイアクションであるが、英語のタイトル通り、文学と映画を自由に闊歩して出来上がった、ロウ・イエでしか撮れない歴史のフィクションとなっている。本作を観た後は、アン・リーの『ラスト、コーション』に描かれた太平洋戦争勃発後の上海史に、ロウ・イエはいつか挑戦するだろうという期待を膨らませるばかりである。