魅惑的なイメージと音楽のコラージュがミュージック・ビデオの原型と言われるアンガーの最高傑作『スコピオ・ライジング』、男がただただ改造マシン
を磨き上げる『K.K.K.』、古き良き20年代のモード『プース・モーメント』、ほろ苦く甘いファンタジー『ラビッツ・ムーン』、アンガーが17歳で監督した『花
火』など、アンガーの憧れが詰まったフェティッシュ・サイド。
B1『スコピオ・ライジング』 (1963年/カラー/29分)
YZF1000Rサンダーエースは一九九六年にヤマハのワークスレーサーのシリーズ「YZF」を冠した同社のフラッグシップとして登場し、スーパースポーツのシーンを牽引してきた。時速三百キロを手もなく叩き出しながら、驚異の運動性能と走行安定性を実現している。破局は間もなく訪れた。四谷四丁目交差点で外苑西通りを右折せんと四車線を右端へ車線変更する。と前方に右折車が現れてゆっくりと白線を越えてきた。遅い。遅すぎる。ブレーキをかけるも見る間に距離を縮めていく。眼下のスピードメーターは時速百キロ近くを指していた。とっさの判断でサンダーエースを横倒しにして前方に放り出した。己の体はサンダーエースに少し遅れて同じように投げ出される。そしてサンダーエースは前方車のカマを掘り、おもちゃのように大破しながらフロア下にめり込んでいくのを目撃しつつ、自身も同様に前方車に向かって滑走していく。ケネス・アンガーの興味はしょせんバイクでなくバイク乗り。カウンターというよりアウトローバイカーという暴君の虜だ。 [釣崎]
B2『K.K.K. Kustom Kar Kommandos』 (1965年/カラー/3分)
初めて乗った単車はRZ250Rのノンカウルだった。2ストロークの官能を体現するYUZOクロスは、12000回転を超えてブラックゾーンまで回ってなお伸びる高い性能、ドライでメタリックな挑発的高音色もさることながら、そのヒトの〝はらわた〟のようにセクシーなクロスライン、曲面フォルムの美しさはほかに例えようがない。虹色に光る内臓を丸出しにしたネイキッドの車体にしがみついているあまりにも無防備な僕という存在は一体何者だろうか?単車とは実に不思議な乗り物だ。凶暴なスピードに全裸を暴露する趣味のための玩具だ。ブラックゾーンに突入したRZRは、過激でサディステイックに責め立てられた女のヒステリックな悲鳴を上げ、か細いフレームが尋常でなく過振動して、MDMAで沸騰死しそうな女のセクサロイド的誤作動で今にも臨界に達し、パーツというパーツがバラバラに空中分解してしまいそうだ。フェチの表現は精緻でなければ。筆者の美意識にかなうのは断然『暴力脱獄』の洗車シーンの方である。 [釣崎]
B3『プース・モーメント』 (1949年/カラー/6分)
プースとは、暗い茶色や紫がかった茶色のような陰りのある赤系統の色を指す言葉であるのだそうだ。この映画の女優が、色とりどりのきらびやかな衣装の中から選び出す一着のドレスの色。タイトル通り、この作品の根幹にあるのは色彩だ。プースのドレスが選び出されるまで延々観客の目の前をよぎっていく鮮やかな原色と、それについたラメやフリンジやドレープといった細部が、まるでその薄絹を直接肌に触れているかのような錯覚に陥らせる。ハリウッドで衣装係として働いていた祖母、彼女が働いていた20 年代のハリウッドへのオマージュが捧げられるこの作品。サイレント映画風に変えられた撮影スピード、プースという色や当時の香水瓶、そうした記憶の層の上に、ミッドセンチュリー的な色彩が咲き乱れる。さらにはそこに覆い被さるのがサイケデリックなサウンドトラックで、年代を飛び越えた幾つかの時間の層に包まれるのは、多分、祖父母の遺した衣類を戯れに身に纏ってみるような快楽なのかもしれない。 [結城]
B4『ラビッツ・ムーン』1950年バージョン (1950年/カラー/16分)
絶望的なまでに叶わない願いは人間を道化にし、その焦がれは胸焼けを起こさせ骨を溶かしかねないほどの甘さにでも包まない限り言い尽くすことができない。今では宇宙飛行士からIT 社長まで手が届くようになった月ではあるが、古来より月は遠近感を狂わせるような距離によって人を惑乱させ、冴え冴えとした青白い光で人心を射抜いてきた。それは、イタリアの即興喜劇コメディアン・デラルテにおいては月に憧れる道化というキャラクターを形成させ、日本では月の兎の伝説として親しまれているものだろう。それらが一同に会し、『月世界旅行』(ジョルジュ・メリエス、1902)の系譜にある意匠とともに、月にまつわる寓話が道化たちによって寡黙に演じられているのが本作である。悪夢に接近するほど幻惑的な効果をもたらしているのは、白黒フィルムを青いフィルターを通してプリントする手法だけではなく、ソースイートな男声によるポップ・ソングという定着液に浸けられているせいだろう。 [五所]
B5『花火』 (1947年/白黒/15分)
夜の波止場、花火のごとく間欠的なリズムで明滅する光の中で、裸の男を抱きかかえる水兵。アンガーが演じる主人公以外の全員が白い水兵服を着ていたり、行き交う車のヘッドランプが何度か挿入されたりと、夜と光が作り出すコントラストが非常に美しい。だが、夢と欲望と暴力を巡るこの作品が今なお観客を惹きつけるのは、夜の光を生み出す「火」の美しさよりも、もはややり過ぎの域にまで達する「火」の激しさの方だ。タバコの火を借りたら、わらの束につけた松明のような炎を差し出される。暴力シーンもSM 的な快楽を想像させるというより、指をつっこまれた鼻から吹き出す血の勢いだとか、精液の隠喩とかどうでもいいほどドボドボかけられるミルクの量そのものの方がすごい。花火は憧れの水兵の股間で爆発し、なぜか首から生えたクリスマスツリーの上で燃え上がる。この狂騒の一夜があってこそ、その翌朝、前夜の名残であるかのように恋人の顔の上で音もなく瞬く花火がとてもいい。 [結城]