イントロダクション
内部被曝の実態を訴え続ける肥田舜太郎被爆医師(95歳)
福島原発事故以降、放射能に不安を抱く人々の要望に応え、2012年に95歳となった肥田舜太郎医師は、自身の広島での被爆体験と被爆治療にあたった経験を元に低線量被曝、内部被曝についての講演を日本全国で重ねている。
映画の中で肥田医師は、直接被爆していない人々も、ただ体がだるいといった原因不明の症状を発症していくことの疑問を、戦後30年経った1970年代にやっと理解できるようになったと語る。その理解の元となるのは、アメリカの原発製造会社ウェスティングハウス社に勤めていたスターングラス博士が低線量被曝についての実態を研究した著書『低レベル放射能』である。
スターングラス博士は、原発からは平常の運転時でさえ放射能が漏れていて、その地域の癌の発症率が高いというデータを挙げており、原爆投下後の調査でも低線量被曝の影響をアメリカは意図的に隠してきたと憤る。
2006年にフランス人のマーク・プティジャン監督が描いた本作は、日米両政府が被爆者の実態を隠してきたことを明らかにし、原爆投下から67年経ち、福島原発事故が起こった後でも、日本政府の対応がなんら変わっていないことを訴えるドキュメンタリーである。
「どれくらいの放射線が人体にとって限界なのか、広島、長崎での調査を元に、アメリカのABCC(原爆障害調査委員会)が基準を決めている。ほんの少し体内に入った放射線の粒がどれだけ人体に影響を与えるのか、科学を名乗った最も権威のある集団が嘘をついているのです」
──(肥田舜太郎)
なぜ日本政府は米国政府と結託して嘘をついたのか
なぜ日本政府は、アメリカ政府と結託して、原爆による死亡者の数を隠そうとしたのでしょうか? 日本にとって、原爆は忘れ去りたい過去であり、敗戦の屈辱を思い出したくなかったからかもしれません。そしてなにより、被爆者の認定は、国の賠償責任にもつながる問題だったからでしょう。
1945年に原爆が落とされてから、数千回もの核実験が世界で繰り返されてきました。そして、何千発もの核弾頭が、いつ爆発するか分からずに眠っています。何百という原子力発電所が稼動し、放射能を含んだゴミが、毎日、生まれています。 (『核の傷』ナレーションより)
ナレーション
日本版ナレーション:染谷将太
1992年9月3日生まれ、東京都出身。
2001年、友松直之監督の『STACY』で映画デビュー。2009年、冨永昌敬監督の『パンドラの匣』で長編映画初主演を果たす。主な出演作は、市川準監督作『あおげば尊し』(06)、瀬々敬久監督作『泪壺』(08)、篠崎誠監督の『東京島』(10)、主演を務めた瀬田なつき監督作『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』(11)、石井裕也監督作『あぜ道のダンディ』(11)、青山真治監督作『東京公園』(11)、瀬々敬久監督作『アントキノイノチ』(11)、石井岳龍監督の『生きてるものはいないのか』(12)など。
2012年には山崎貴監督の『ALWAYS 三丁目の夕日 ’64』、滝田洋二郎監督の『天地明察』、英勉監督『貞子3D』などの出演作が待機している。
今、最も注目を集める若手俳優の一人である。