スタッフは皆、コンサートに客は来るのか、アーティストが国を出られないのではないか、北米に入れないのではないか(彼らのほとんどはジプシーであることは言うに及ばず、浅黒い肌のイスラム教徒であるため)と心配したが、ツアーは無事始まった。
映画スタッフもミュージシャンも、夜遅くのコンサートと明け方の撤収という、同じ厳しいスケジュールで行動していたため、ツアーバスはすばらしい等化装置となった。あまりに密接し合って旅を続けていたことによる論争も時には起こったが、ツアー・マネージャーの絶えざるユーモアと、いつも笑みをたたえているマハラジャたちのおかげで、緊張は常に和らげられることができた。
自分たちのコンサートを映像に収めることには熱心だったミュージシャンたちも、最初は個人的な生活を明らかにすることにはためらっていた。しかし、デラルと彼女の映画作りへのアプローチに心を温められ、手工芸的な細かいポートレートに結実させた。デラルは12月にインド、春にはスペインとルーマニアと、マケドニアで、アーティストたちの家族と過ごした。カメラは壊れる、音声係は現れない、突然の結婚式があったり、葬式があったりとなにひとつ予定通りに行かなかったが、すばらしい映像を撮影することができた。記録は200時間を超し、その多くが美しくて、興味深くて、ユニークなものだった。映画をひとつにまとめる語りの部分は、ロード・トリップと、ミュージシャンたちの間で深まりゆく友情に関するものだが、一番重要な語りは、ロマの人々や文化に対する、撮影スタッフの気持ちの内側からの変化だった。
コンサート・ツアーの記録映像に差しはさまれた、包み隠しのない親しげなポートレートは、私たちを苦しみや、貧困や、差別だけではなく、家族と分かち合う喜びのある、彼らの故郷の町や村へ連れていってくれる。友人や家族のための彼らの演奏は、子供たちのために生活を向上させる決意に支えられえ、ステージで見るよりも魔術的な光を放つ。
ロマは、北インド起源の移動型民族。移動生活者、放浪者とみなされることが多いが、現代では定住生活をする者も多い。"ジプシー"という呼称(他称)が差別的だとの理由で、彼ら自身の言葉(ロマニ)で人間を意味する"ロマ"を使用するという考え方がヨーロッパ中心に広がった。
しかしこの語は代表的な彼らの自称ではあるものの、東欧のこの非差別民などに限定して使用されているのが現状である。世界中の様々な自称を並べる訳にも行かず、この映画では便宜的に「ジプシー/ロマ」として表記する事とした。
西暦1000年頃に、インドのパンジャブ地方から放浪の旅に出て、北部アフリカ、ヨーロッパなどへとたどり着いた。旅に出た理由は分かっていないが、西に理想郷を求めた、などの説がある。彼らがヨーロッパに史料上の存在として確認できるようになるのは15世紀に入ってからで、「異教徒」として早くから差別と迫害の対象となった。
ナチス・ドイツ時代には徹底的迫害を受け、ユダヤ人と同じく強制収容所に送られ、少なくともヨーロッパ全域で50万人のロマの人々が虐殺されたが、ユダヤ人ほどこの事実は強調されていない。
現在も根強い差別は続き、生活、福祉、教育、職業などあらゆる面で不利益を被っている。