ALEJANDRO JODOROWSKY アレハンドロ・ホドロフスキー
1929年、チリのボリビア国境近くの町トコピージャで、ロシア系ユダヤ人の子として生まれる。 12歳の時に首都サンティアゴへ移住。サンティアゴ大学で心理学・哲学を学んでいたがマルセル・カルネの『天井桟敷の人々』に感動し、パントマイムにのめり込んだ後大学を中退。
1953年渡仏し放浪生活を送る中でマルセル・マルソーと出会い、『The Mask』『The Cage』という戯曲を共著、モーリス・シュバリエの芝居を演出した。パリでの学生時代にはトーマス・マン原作で実験映画を一本撮り、ジャン・コクトーに絶賛されたこともある。
1960年代中頃に、パリで作家フェルナンド・アラバールを知り、1967年、メキシコに移り、アラバールの原作で処女作『ファンド・アンド・リス』 (FANDO Y LIS) を完成。続く1970年に代表作『エル・トポ』(EL TOPO)を発表する。初興行の際、コロムビア、ユナイトといったメジャー系の配給会社から配給を断られ、音楽プロデューサーのアラン・ダグラスにより「エル・ジン」というスペイン語圏の映画を扱うミニシアター系の深夜上映が決定、1971年1月1日に封切られた。『エル・トポ』は噂が噂を呼び大ヒット、映画を観たジョン・レノンが虜になり、『エル・トポ』と次作の『ホーリー・マウンテン』(THE HOLY MOUNTAIN)の配給権を45万ドルで買い取ったという逸話もある。1973年に『ホーリー・マウンテン』を発表。1973年11月から1975年4月まで続くロングランを達成する。
その後、ミシェル・セドゥーのプロデュースによりフランク・ハーバートのSF小説『DUNE』の企画をスタート。本作で語られていたように、イギリスの画家クリス・フォスやフランスのコミック作家メビウス(ジャン・ジロー)、画家でデザイナーのH・R・ギーガー、『ダーク・スター』の特殊効果を担当し、後に『エイリアン』の企画、脚本を手がけたダン・オバノンを特殊効果のスーパーバイザーに配し、ミック・ジャガー、サルバドール・ダリの特別出演もかなったところで、金銭面の問題からプロジェクトが頓挫してしまう。1980年にはインドを舞台にした『TUSK』、1989年に『サンタ・サングレ/聖なる血』を発表。
ほか、バンド・デシネ(フランスのコミック)の原作者としてメビウスと『アンカル』を、フアン・ヒメネスと『メタ・バロンの一族』などを共作。また、フィリップ=カモワンと組んで、マルセイユ・タロットの研究・復刻事業にも取り組んでいる。
2013年に完成した23年ぶりの新作『リアリティのダンス』は、ホドロフスキー監督による自伝『リアリティのダンス』(文遊社刊)が原作。『DUNE』の頓挫により袂を分かったプロデューサー、ミシェル・セドゥーとホドロフスキーは本作『ホドロフスキーのDUNE』を通じて再会。ホドロフスキー曰く「彼は私のことを怒っていると思っていたんだ。我々は『DUNE』を完成できなかったから、彼とは話したくなかった。私は自尊心が強い男だからね。ところが会ってみると、まだ友人同士であることが分かり、2人とも『DUNE』を完成できなかったことを悔いていた。そこで私は新しいプロジェクトについて彼に話した。彼に何がほしいと聞かれたので、こう答えたんだ。“映画を作るために100万から200万ドルの資金がほしいが、内容は言えない。口を出されたくないんだ。私を信じてほしい。完成したら見せるから”すると彼は即座に“いいよ”と答えた。涙こそこぼしはしなかったが、彼の即答には本当に感動したよ。涙が流れる前に、その場を去らなければならなかったくらいにね」。
こうして作られた新作『リアリティのダンス』は、チリの田舎町を舞台に、権威的な父親、オペラを歌うように話す母親とその息子を中心とした家族の生活を、シュールレアリスティックなタッチや残酷さも交えながら描写。鮮やかな色彩と音楽、生命力に満ちた、ファンタスティックな作品となっている。
2013年のカンヌ国際映画祭で本作『ホドロフスキーのDUNE』と『リアリティのダンス』はともに監督週間部門でワールド・プレミア上映され、会場を熱狂の渦に巻き込んだ。
FILMOGRAPHY
- 2013 『リアリティのダンス』
- 1990 『The Rainbow Thief』(日本未公開)
- 1989 『サンタ・サングレ/聖なる血』DVD | Blu-ray
- 1980 『Tusk』(日本未公開)
- 1973 『ホーリー・マウンテン』DVD | Blu-ray
- 1970 『エル・トポ』DVD | Blu-ray
- 1968 『ファンド・アンド・リス』(日本未公開)