壊れた老人は取り替える、ただそれだけのことだった
父に捨てられた青年は囲い屋となり、父はホームレスとなって彼の前に現れた
主人公の男は、友人に誘われたことがきっかけで、囲い屋で働いていた。
ある日、それまでモノのように扱ってきたホームレスのひとりに、自らの父を発見する。
導かれるように父を連れて囲い屋を出た男は、自身の欠落を問うために車を走らせる。
現実と異世界を揺れ動くドライブの中で父と訪れた廃墟には、母親の幻影がさまよっていた。
そして、並行して描かれる、現実と幻想の狭間を航海する一艘の舟が向かう先には…
囲い屋から見える生の劣化
東京からホームレスの老人達を連れ去り、小屋に詰め込み、世話をする代わりに、その生活保護費をピンハネすることを生業にしている若者達を「囲い屋」と呼ぶ。「豊かな国」日本の中にあって、ホームレスまでも金に換える「囲い屋」が現れる歪んだ社会構造。生きるということは、ただ閉じ込められているホームレスの老人達のような状態ではなく、彼らをお金に換えることでもないはずだ。ここからは劣化した生が見えてくる。ホームレスをも金に換えようとする日本の生の劣化に抗いたいという想いで今作を完成させた。
東欧最大のカルロヴィ・ヴァリ国際映画祭でワールドプレミア
世界的にも歴史のある映画祭、第50回カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭のフォーラム・オブ・インディペンデント コンペティションに正式出品され、革命の国・チェコでのワールドプレミアは満員の観客に拍手で迎えられた。その後、第26回シンガポール国際映画祭にも正式出品。ひきこもりの青年を描き、国内外からの高い評価を得て、異例の大ヒットとなった前作『今、僕は』から、更なる飛躍をした竹馬靖具監督の新境地。