2005年にタリウムによる母親毒殺未遂事件を起こして世間を騒がせた「タリウム少女」をモチーフとした問題作、誕生秘話。
この作品の出発点は、タリウム母親毒殺未遂事件が起きた2005年までさかのぼる。実の母にタリウムを飲ませていた少女の書いたブログに衝撃を受けた土屋監督は、このことをいつか作品にしたいとおぼろげながら考えをめぐらす。ただ、この時点では次回作へむけてのアイデアのひとつでしかなかった。やがて、このタリウム少女の不可解な胸中と、『PEEP“TV”SHOW』のときからテーマとして見据えていた仮想世界と現実世界の境界が溶解しつつある現代のあり様が、土屋監督の頭の中でリンク。早速、シナリオ作りに取り掛かり、2010年に今回の作品の前バージョンとなる「NEW HELLO」というタイトルの脚本を書き上げる。
当初はバジェット3000万ぐらいの劇映画のフォーマットに則った作品としての成立を目指す。映画祭マーケットでのプレゼンなどを行うものの、扱う題材や描く内容から資金集めは難航の一途を辿る。この現状を見て土屋監督は自己資金での制作を決断。バジェットも1/10ぐらいに修正して、すべてを自分でコントロールしての映画作りへとシフトチェンジする。それにともない作品の内容もより自分のやりたいことと主張を前面に押し出したものにしようと決心。脚本を大幅に変更する。フィクションとドキュメンタリー、現実と非現実が融合する現在の作品に存在する独特の世界観は、このとき生まれたアイデアで当初の脚本にはないものだった。
現代のコミュニケーションツールが導きだした、新世代のタリウム少女
脚本が固まり、次に行うはキャスティング。まずは主人公のタリウム少女役探しが始まった。しかし、監督の中で思い浮かぶ人物がいない。そこで土屋監督は、なんとなく漠然と自分が“タリウム少女”から思い浮かべるキーワードを適当に打ち込んで女優やアイドルをネットで検索してみることに。そこで浮上してきたのが倉持由香だった。実際会ってみると、土屋監督の思い描いたタリウム少女役にぴたりとはまる。即断で主演女優は決定した。その後、渡辺真起子、古舘寛治らが出演を承諾し、思い通りのキャストが実現。2011年9月、クランクインを迎えた。
一匹の金魚が、どのように死に至るのか。
生死の一部始終を“きちんと”見せることへのこだわりり
印象に残るシーンが数々ある本作だが、一匹の金魚が死に至るまでを収めた場面も忘れがたいところ。これは、土屋監督の中でも“きちんと”見せようと最も意識したシーンだったという。その理由を監督はこう明かす。「生から死に至るまでをちゃんと見たことのある人はあまりいないと思う。僕自身もなかった。ひとつの生命がどうやって死に至るのか? その瞬間を見つめることで、“生”も“死”もきちんと受け止められる気がする。だから、このシーンは編集を一切していない。賛否あると思いますが、僕はこのシーンをみたとき生まれる感情を観客と共有したかった」
生物学者、美容整形外科医、身体改造アーティスト・・・
各界のスペシャリストたちがドキュメンタリーパートへの出演を快諾!
撮影は俳優陣によるフィクションパートを撮る一方で、ドキュメンタリーパートとなる様々な人への取材も精力的に敢行された。ここに登場するのはすべて、土屋監督がピックアップした人物。2005年~2010年までの作品の模索過程で、“もしかしたらつながる存在になるかも”と新聞や雑誌記事、ネットニュー スなどで知り、チェックしていた人物だった。その人選は生物学者、美容整形外科医、身体改造アーティストなど実に多彩。そういった人々のもとへ実際に取材で足を運び、対話を重ねた。そこで得た知識、その分野のスペシャリストや当事者が実際に語る見解は、作品の大きな力になったと監督は言う。iPS細胞の研究者も登場するが、この取材は、山中伸弥教授のノーベル賞受賞によってiPS細胞が一躍脚光を浴びる前のこと。決して、話題性にのって後付けで作品に入れ込んだわけではない。
フィクション/ドキュメンタリー/アニメ/フェイクドキュメンタリー・・・
いくつもの階層が積み重なる「/(スラッシュ)」ムービーの誕生
扱った題材自体もチャレンジングだが、観てもらえばわかるように、映画の作り自体も果敢な試みがいくつもなされている。まずそのひとつに土屋監督が挙げるのが、映画の階層化。捉え難い“現実”をレイヤー構造として映し出すことで、観客はフィクションと現実を行き来しながら、自分の意見や見解を深めていく。あらゆるところに比喩が隠され、さらにそれが二重三重の意味を成している。そんな感覚に陥る映画の構造、構成を目指したという。
次に挙げるのが、現代の映像ツールの挿入。劇中には、スマホやグーグルアースといったツールが随所に登場する。これも監督のアイデア。例えば、パソコンで地図を見て、自分の現在地から地球を俯瞰で見ているところまで一気に引いてみる感覚や、自分の見たものをスマホで撮影し、それが瞬時に不特定多数の人間とシェアできてしまう感覚の再現を試み、大胆にも映画に取り込んでいる。こうした理由について監督は「今の時代は、ものの見方の尺度がすでにスマホやパソコン的になっているというか……。少なからずスマホやパソコンを介して、あらゆる物事を眺めているような気がする。その感覚をもって、この作品を観たときにどういった反応があるのか楽しみですね」と語る。こういったこだわりが細部にわたり、撮影終了後の編集を含めた完成に至るまでの作業は長き時間を要した。最終的に本作が完成したのは2012年6月のことだった。