コメント

時空という概念を覆した建造物サグラダ・ファミリア。ガウディが地表に種を蒔き、建造に携わる様々な人々の力で天空に向かってそびえ続けるその佇まいは、人間のとらわれない創造性を讃える、建物というかたちをした果てしない小宇宙だ。合理性が優先ではない建築というものが毅然と存在する素晴らしさをこの映画で痛感した。

─ヤマザキマリ(漫画家)

ガウディの精神性を讃えるだけの映画かと思いきや、そうではない。彼の死後、著名人による建設中止の署名運動、彫刻表現をめぐる論争、トンネル工事との確執が起きていたことを初めて知った。が、それも抱きとめながら、様々な人々の想いでつくられ、愛されている。未完ながら、この建築はもはや社会的な存在なのだ。

─五十嵐太郎(建築評論家)

建築には、その建築に携わった人の数だけ「想い」が宿る。この映画を通して私たちは、愛情を注ぎ、情熱を込めながらつくり上げられた幸福な建築の神秘的な姿を目の当たりにする。百年以上も前からつくり始めたサグラダ・ファミリアは、完成する前から修復を必要とする意味で「生と死」が同居した稀有な建築だ。その「神の家」としてガウディが構想した壮大な夢のバトンは、今なお多くの職人へとたしかに受け継がれ、世界から祝福を受け続けている。

─光嶋裕介(建築家)

ファサードだけ作りガウディは死ぬ、そこに彼の希望も絶望も全てが記されている、人類史上最高のパスだ。あとはサグラダ・ファミリア作りに関わる全ての人が、主体的に「作る事」をビビり、悦びを学び、信じるものの為に祈りながら作れば良い。そんなビッグプロジェクトを命を継ぎながらやってるなんて夢過ぎる。

─岡啓輔(蟻鱒鳶ル)

初めてサグラダ・ファミリアを見たとき、まるで巨大な廃墟のようだと思った。古代ギリシアの時代から、ヨーロッパにおける廃墟とは、過去と現在をつなぐ神聖な場所。この映画を見るとやはり、サグラダ・ファミリアは「未完」の建築ではないと思える。むしろ失われた何かを蘇らせるために「修復」され続ける、聖なる廃墟として映るのだ。

─佐藤健寿(写真家)

神に仕える人、石に仕える人、カタルーニャの今を生きる人、ガウディの遺志を継ぐ人…3つの世紀をまたいで今なお建造中の歴史的建築物が、さまざまな人々の思惑をいかに飲み込んでいったかが見えるドキュメンタリー。2020年に向け建設ラッシュで賑わう今の日本でぜひ見ておきたい映画。

─林信行(ジャーナリスト)

様々な人たちにインタビューという形で問いながらこの映画は模索していきます。建築に従事している人たちの思いが印象的でした。それぞれの思いでサグラダ・ファミリアに息を吹き込んでいるのです。過去から未来へつなげていくこと、それがもっとも大切なことなのかもしれません。改めてロマンを駆り立てられずにはいられませんでした。

─丸山久美(スペイン家庭料理研究家・料理家)

ガウディは自分の生きているうちにサグラダ・ファミリアの完成はないと判断した時点で驚くべき策に出る。一面のファサードだけまず造るのだ。まるで映画のセットのようにペラペラの。建設を引き継ぐ人々が、ガウディのやりたかった事を一目で理解できるように。

─松原 亨(Casa BRUTUS編集長)