── なぜこの作品を作ろうと思ったのですか。
この作品の第一目的は自閉症者のケアの現状について、公の機関に訴えることです。少なくともその実態に目を向けてもらうことです。そして自閉症者を抱える家族の代表として声を発したのです。したがって出発点には政治的な意図がありました。2001年から数年間、私は「自閉症者の日」(フランスで毎年行われる自閉症児者の為のイベント)の後援者となり、多くの家族が世間の目に触れないところで困難な状況を生きていることを知りました。声を上げて語らなければならないと思ったのです。
── 身近でありながら大きく重いテーマと向き合うため、あなたは作品を監督する決意をされたわけですね。
そうです。この映画のアイデアは何年も頭の中にありました。妹が入院して1年も経たたない頃に思いついたのです。彼女は結局5年間、病院で過ごしたのですが、入院して間もなく彼女の状態が悪化していくことに気づきました。これは異常だと思いました。妹のかつての美しい姿や才能を懐かしく思い起こしたのです。そこで昔、8mmカメラで妹を映した映像を夢中になって見返しました。これは私が現在、“アーカイブ映像”と呼んでいるものです。かつてのサビーヌと変貌してしまったサビーヌを比べました。なぜ彼女の状態がこれほど急激に悪化したのか理解したかったからです。
彼女が入院していた5年の間に私の怒りは大きくなる一方で、“いつかこのことについて映画を作ろう。絶対に作る!”と何度も自分に言い聞かせました。 しかし、女優である自分が妹についての作品を作ることは“セレブ的行為”の一つと受け取られてしまうのではないか、露骨で慎みがないことだと思われるのではないか、そんな懸念を抱いていたので映画化のプロジェクトを先延ばしにしていました。しかし、“自閉症者の日”の後援者となったことによって、一歩踏み出す勇気がわきました。人の役に立つ行動をしようと思ったのです。
── あなたとサビーヌの間には深い結びつきがあり、互いを思い合う気持ちが感じられます。しかし同時にあなたは悲壮感を排除し、妹の姿を容赦なく撮影している。あなたが築いたそのような関係性の中で、サビーヌは単なる不幸な被害者ではなく、一人の独立した人間として描かれていますね。
私はあるがままのサビーヌを撮りたかったのです。きれいなところ、美しいと言えないところ。優しい面と暴力的な面。罵倒している時は下品であり、バッハのプレリュードを演奏している時は音楽の名手です。自閉症者は必ずしも自分の殻に閉じこもった人ばかりではありません。また、映画『レインマン』のように天才的な才能を持つ人でもないのです。自閉症者について一般に語られている側面とは違うものを示したかったのです。非効果的で不条理なシステムを描くだけでなく、自閉症者と一緒に過ごす時間を描きたかったのです。
自閉症者の多くは人が思うほど不快な人間ではありません。彼らを恐れる必要もないのです。彼らの表現方法は一般人とは異なりますが、それほど大きな差があるわけではありません。不安や悲しみなど私たちと同じ感情を持っています。他者との関係において、私たちは感情をコントロールすることを知っていて、教わった規則やルールを守ります。そこが彼らと私たちの違いです。
しかし彼らの場合、感情が高まって抑えるのが難しくなった時、そして言葉で表すのが難しくなった時、体で感情を表現するのです。サビーヌは38歳ですが、精神的には幼児です。不満を表す時、子供のように自分の手を噛みます。子供の場合、教育と共に成長すると私たちは知っているので、手を噛んでも私たちはその行為を受け入れます。しかし大人の場合、同じ行為を受け入れることが難しいのです。
── この映画で私たちは、誤った診断や不適切な治療が、結果として取り返しのつかない障害を引き起こすという事実に直面します。
サビーヌの病状はきちんと診断されたことさえありませんでした。長い間私たちは、何が原因で彼女が苦しんでいるのか分からなかったのです。それに診断が下されるにしても、幼少期のうちでなければ有効ではありません。でも、たとえ兄弟が亡くなった時点で、サビーヌに自閉症の症状があると診断されたとしても、彼女の未来はそれほど変わらなかったでしょう。本当の問題は自閉症者、精神病患者を受け入れる専門的な施設が足りないことなのです。
── 最後にあなたは質問を投げかけますね。「彼女の状態は回復することが可能だろうか。機能が後退していくのは病気の進行過程なのだろうか。薬なしで生きられるようになるのだろうか。もう一度、妹と旅に出られる日がやってくるだろうか」。あなた自身、どれくらいの希望を持っているのですか。
抗精神病薬を最小限にとどめたら、いくつかの機能が回復する見込みがあります。でも回復が不可能な機能もあります。遠い所に旅行するのは無理でしょう…。この映画は別の方法でサビーヌと一緒に旅をする体験でもありました。カンヌ映画祭で上映されたあとDVDをサビーヌに送ったのですが、彼女は定期的に見ているようです。撮影する前に、私たちはこのプロジェクトについていろいろ話し合いました。彼女を題材にした映画を作ることに同意してくれるか知りたかったのです。サビーヌは了解してくれました。
撮影が終わったあと、私は彼女にこう尋ねました。「この映画を作ったことによって、何か得たものはある?」すると彼女は「仕事だったと思っているわ」と答えました。「そうね、本当の意味の仕事ね」と私も同意しました。彼女は自分が役に立ったと感じています。そして、とても癒されたのです。