インタビュー


まとめ 古居氏 四方田氏 足立氏

四方田犬彦氏との対談

ナブルスでの撮影はたやすいことではなかった

四方田: 『パラダイス・ナウ』というフィルムは多くの点で非常に興味深い映画でした。 例えば私は、日本の映画がどのように民族的に少数派に属する在日韓国人を描いているのか、ということについて映画史家として調査をし、論文を書いていました。また、テルアビブでもイスラエル映画がパレスチナ人の問題を、またパレスチナ人だけではなく、いわゆるイスラエル・アラブと呼ばれる人々を、どのように描いているのか、という調査をしました。1990年代には、とても多くの映画がありました。その後、イスラエル軍の検問所を通って、ジェニンやラマラに行きました。しかし唯一入れなかったのが、ナブルスでしたね。


アサド: そうです、とても入りにくいのです。


四方田: 特に外国人にとっては。ですから、最初の質問は、どうやって、また、なぜナブルスを撮影場所に選んだのですか?ジェニンやラマラやヨルダン川西岸などではなくて。


アサド: 一番の理由は、映画撮影上の観点からです。ナブルスは2つの丘に挟まれています。 それがスラム街を際立たせます。ほとんど空が見えず、カメラを向けるといつも壁が映ります。映画撮影ではこれは有利な点だと思ったのです。ナブルスの町は、貧民街ばかりです。どこにカメラを置いても、閉塞感が描けます。青い空どころか“空”自体、見えないのです。


四方田: 町そのものの景観が、包囲されて閉じ込められている人々を象徴する役割を果たすわけですね。物語の構成のためにナブルスにしたのですか?


アサド: 構成のためでもあり、ストーリーのためでもあります。ストーリーをひとつひとつの“絵”に転換しなければなりません。そして“絵”がストーリーを語らなくてはなりません。ナブルスはジェニンよりも私の描きたいストーリーを象徴していたのです。なぜなら、ジェニンは、開放的な空間があります。空が見えるのです。


四方田: ナブルスの人々はあなたが映画を撮ることの趣旨というか、『パラダイス・ナウ』のテーマについて、理解を示しましたか?


アサド: とても扱いにくいテーマですから、ナブルスでの撮影はたやすいことではありませんでした。5年間も包囲されている町に住む人々は、町を出ることもできないのです。彼らは何に対しても大変疑い深くなっています。あるレジスタンスグループは、映画撮影隊は自由と民主主義のために戦っているのだから、やりたいことをやりたいようにやってくれ、と言ってくれましたが、他のグループは、映画がパレスチナ人の良いイメージ作りに貢献しないという理由で妨害しようとしました。そのときは、いさかいが起こりましたね。全般的に地元の人々は、映画のテーマに対して、とても懐疑的で何か恐怖を覚えているようでもありました。


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<四方田犬彦氏プロフィール>
1953年生まれ。東京大学で宗教学を、同大学院で比較文学比較文化を学ぶ。その後、韓国の建国大学、コロンビア大学、ボローニャ大学などを「さまよえる流れ者学者」として放浪、2004年にはテルアヴィヴ大学で客員教授を勤めた。
 現在は明治学院大学教授として映画史の教鞭をとっている。主な著書に『見ることの塩』『パレスチナ・ナウ』(ともに作品社)『貴種と転生・中上健次』(ちくま文庫)があり、 他にパゾリーニ、サイード、ボウルズなどの翻訳がある。

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