私たちパレスチナ人は20年以上も占領下にあり誰も自分たちのために闘う用意がなかった、そこに日本赤軍が来て私たちの解放のために闘ってくれた
足立: 『パラダイス・ナウ』を見て非常にうれしかった。なぜなら、主題とモチーフがとてもダイレクトにパレスチナ人の状況を伝えているからです。特にパレスチナ人の生き抜こうとする姿のスタイルを。しかも、主題は自決作戦。この映画は、あなたのパレスチナ人としてのアイデンティティがなければ、できなかったことでしょう。冒頭のイスラエル軍の検問のシーンから素晴らしかった。ほとんど、すべてのシーンがよかった。更に言うと、静かな語り口が、かえって若者の思いや心情をよく伝えてくれる。ただ、一点さえ除けばですが。
アサド: その一点とは?
足立:
ジャマール(組織の一員)が「君たちの時が来た」と言うところです。主人公二人が最初は義務として任務を与えられる設定になっているところが残念でした。もちろん二人は、最後には自分の意志で自爆作戦に行くか行かないかを決めるわけですが。アサドさんのインタビュー記事を読んで、あなたが自爆攻撃の賛成反対のどちらも支持するつもりはないと知り、ジャマールのような登場人物の造形と設定が必要だったことが理解できたのですが、あの点さえなければ、私はあなたの映画には全面的に賛同したい。
『パラダイス・ナウ』の制作当時2005年は、世界で似たような主題でたくさんの映画が作られました。スピルバーグの『ミュンヘン』を筆頭に、ドイツでもイタリアでも。その主題は、私の『幽閉者』も含めて、70年代の行動を現代からいかに見るか、という点で共通したものです。スピルバーグたちは、パレスチナ問題では「私たちは平和を愛するから、殺し合いの過去は捨てて、平和な解決が必要だ」というのが基本的なメッセージです。でも、『パラダイス・ナウ』は決してその立場は取りません。それが重要な点です。
パレスチナ人の自爆攻撃に“自爆テロ”という言葉を使ったのは、私の知る限り、アメリカやヨーロッパでは無かった。日本では、最初からそう言っている。これは、まったくもってジャーナリストの過ちです。自決作戦(Suicide Operation)というものが、『パラダイス・ナウ』の主題を通して、ブッシュの言う「見えないものへの戦争」が「見える」ようになるでしょう。それが、見えれば、自爆攻撃がテロリズムではなく戦闘作戦であることもわかるようになります。もちろん誰も“自決作戦”など望んでいませんが。私は、最初からパレスチナ人の闘争メソッドは自爆攻撃を含めてすべて支持してきました。民族の解放に向けて他に手段がない中での闘争の論理として、とてもシンプルです。このパレスチナ人の論理が、あなたの映画で日本の人々にも見えるようになると思う。この映画を作っていただいて大変ありがたく思います。
アサド: 大事だったことは、私たちパレスチナ人は20年以上も占領下にあって、誰も自分たちのために闘う用意がなかったわけです。まず、PLO(パレスチナ解放機構)が立ち上がり、それから日本赤軍が来て私たちの解放のために闘ってくれました。1972年のリッダ作戦(テルアビブ・ロッド空港事件/アラビア語の発音はリッダ)です。少年だった私たちにとって、日本赤軍はヒーローでした。学校で、ひそかに「僕たちも勇気を持たなければ!」と言うようになりました。なぜなら、日本のような物質に恵まれた豊かな国の人たちが、その生活を捨てて、私たちのために死にに来てくれたのですから。多くのパレスチナ人は自分たちがパレスチナ人だと言うことさえ恐れていましたが、勇気を持って、自分たちはパレスチナ人だと言うようになりました。占領下の暮らしぶりや、自分たちの権利などについて語り始めました。あなた方が私たちの意識を変えてくれたのです。これは、とても重要なことです。あなた方のような日本人が!!(感涙にむせぶ)とても感謝しているのです。ほんとうに、いつだって感謝しているのです。
足立: 当時、パレスチナ人の状況は国際的に見ても、とても絶望的なものでした。だから正義感と使命感が強い若者が、あのような作戦のためにパレスチナに赴いたのです。それでもなお、今日までのガザや西岸での状況と言ったら、イスラエルの占領支配が酷い。
アサド:パレスチナの闘争には多くの間違いがありましたが、あの作戦の成果で一番肝心なのは、全世界がパレスチナ人の置かれている事態を知ったということです。これは、もう忘れられることはありません。現実のシオニストのパワーは議論を誤った方向に導きましたが、それは問題ではないのです。人々はパレスチナが存在するということを、すでに信じているのです。
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