2025.5.2[金]より角川シネマ有楽町、池袋シネマ・ロサ、渋谷シネクイント、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開
提供:Coproduction Office 製作:Yingfilms Pte. Ltd., Essential Films
共同製作:Cinema Inutile, ZDF/ARTE, Gold Rush Pictures, Teamfun International
2024年/シンガポール、ドイツ/中国語/107分/2K/カラー/5.1/1:1.85/日本語字幕:樋口裕子/英題:An Unfinished Film/配給・宣伝:アップリンク
© Essential Films & YingFilms Pte. Ltd.

イントロダクション

コロナ禍についての、まったくユニークで非常に重要な映画。『天安門、恋人たち』以来の最高傑作。☆☆☆☆。英ガーディアン紙

本作は、2024年第77回カンヌ国際映画祭特別招待作品として上映されると同時に、映画祭でドキュメンタリー作品に与えられる「金の眼賞」にもノミネートされた。英ガーディアン紙に「コロナ禍についての、まったくユニークで非常に重要な映画。『天安門、恋人たち』以来の最高傑作。☆☆☆☆☆。」と絶賛の評が掲載された。

2024年11月の中華圏最大の映画祭、台北金馬映画祭では、金馬奨の劇映画部門の最優秀作品賞と監督賞のダブル受賞。BBC中国語において高雄映画祭のディレクターを務めたチェン・ビンホン氏は「COVID-19により中国は大きく揺らぎました。ただ映画ではそのことを明確には語りません。中国の第6世代の監督であるロウ・イエは対立を求めるのではなく、ただ現実をリアルに映し出そうとしています」と評した。

カンヌ国際映画祭でドキュメンタリー作品に与えられる「金の眼賞」にノミネートされ、金馬奨は“劇映画部門”での受賞。
ドキュメンタリーと劇映画の要素を融合させたフェイクドキュメンタリーという形式に加え、コロナ禍で実際に撮影されたスマホ映像を織り交ぜることで、虚実が多層的に交錯する映画となっている。

映画の冒頭、10年前に撮影された未完成のクィア映画を完成しようとスタッフが集められる。そこで編集用のモニターに映し出される映像は、ロウ・イエ監督の過去作『スプリング・フィーバー(2009)』『二重生活(2012)』『シャドウプレイ(2018)』などの映像。それらの作品の主人公を演じたジャン・チェン(チン・ハオ)が俳優役としてスタジオに訪れる。シャオルイ監督と話し合いが行われ、撮影が再開される。映画は虚実が交錯する設定で始まる。

映画制作は無事に開始されるが、未知のウィルスに関する不確かな情報が錯綜する中、ホテルはロックダウンされ、スタッフ達はホテルに閉じ込められる。劇中では、コロナ禍で実際に撮影されたスマホの縦型動画が次々とスクリーンに映し出される。

東京フィルメックスで観客賞を受賞した上映後のXには「すごい映画を観てしまった。コロナ禍の私達の記憶を繋ぎ包み込む傑作。どんな時にも人間とは心を解放し前に進もうとする生き物だと言われたようだ」「生々しくあのロックダウンの記憶が蘇る。映画は終盤に向け虚実が入り乱れる。これ以上の「コロナ記録映画」は存在し得ないのでは」「映画の自由を存分に浴びた。スマホの自撮りを通して、映画とは何か?を問い直す傑作」など多くの熱いコメントがポストされた。 2019年コロナウィルスが発生したと言われる中国武漢に近い都市を舞台に映画制作を行っていた人々を描くことにより、パンデミック時の「集団的トラウマの記録」をリアルに描いた映画がロウ・イエ監督の最新作『未完成の映画』だ。

ストーリー

監督のシャオルイ(マオ・シャオルイ)は、10年前に中断されたクィア映画の撮影を再開するため、キャストとスタッフを集め説得する。そして2019年、10 年間電源が入っていなかったコンピューターを起動した。2020年1月、撮影がほぼ完了した矢先、新種のウイルス(コロナ)に関する噂が広まり始める。不穏な空気が漂う中、武漢から来たヘアメイクが帰宅を余儀なくされ、スタッフ達はスマホでニュースを追い続ける日々を送る。一方、シャオルイ監督は再び撮影を中断するかどうかの決断を迫られる。そんな中、一部のスタッフと俳優はホテルが封鎖される前の脱出に成功するものの、残ったスタッフはホテルの部屋に閉じ込められたまま、すべてのコミュニケーションがスマホの画面だけに制限される。そして武漢はロックダウンする。スタッフたちはビデオ通話を通じて連絡を取り合い、ホテルに閉じ込められたままの主演俳優のジャン・チェン(チン・ハオ)は、北京で1か月の赤ん坊と共に部屋に閉じ込められている妻サン・チー(チー・シー)を元気づけようと奮闘する。

ロウ・イエ監督インタビュー

『スプリング・フィーバー』(2009年カンヌ脚本賞)に続編の話がある中、パンデミック中にホテルで映画が撮影され『未完成の映画』は生まれましたが、この『未完成の映画』とは何なのでしょうか?
ロウ・イエ監督:
「続編」というのは、また別の実験的なバージョンの話で(笑)、まだ完成しておらず、最終的にどのような映画になるのかも分かりません。『未完成の映画』では、過去の素材もいくつか使われています。
なぜ過去の映画のドキュメンタリー素材を使用したのですか?
ロウ・イエ監督:
映画の冒頭は、当時の実際の携帯電話動画から始まり、10年以上も前のさまざまな映像素材も見つけたからです。
過去の映像を見たとき、どのように感じましたか?
ロウ・イエ監督:
今見てもまだ素晴らしいと思います。再度映像を見返すのは満足感があります。初期の素材は、主に『ふたりの人魚』(2000年)、『スプリング・フィーバー』(2009年)、『二重生活』(2012年)、『シャドウプレイ』(2018年)の未使用映像やドキュメンタリー映像で構成されています。『スプリング・フィーバー』の未使用映像の中で、アジェンとイエ・シャオがベッドで笑い合うシーンは、実はリハーサルの一環で、カメラが回り続けていただけのものです。でも、それはとても美しくリアルです。『スプリング・フィーバー』の最終版では、この2人のキャラクターのストーリーが完全にカットされました。
その他、チン・ハオの未公開映像も多く見られます。主に『スプリング・フィーバー』ですが、他の映画の映像も含まれていますよね
ロウ・イエ監督:
これは偶然の一致です。私の映画で、チン・ハオはさまざまな階層の役柄を演じました。振り返ると、その影響はとても大きかった。彼が映画でさまざまな異なる架空の役を演じたことが、中国の過去10年以上の歴史の変化を反映しているように感じました。これにより、古い映像に基づいて新しい映画を作りたいという欲求が生まれました。その後、パンデミックが発生しました。最初、私は日本で足止めされていたので、古い映像の収集作業は一時停止されました。他のプロジェクトが同時進行していたため、空き時間にしか作業を続けられませんでしたが、最終的に、この映画は当初の計画から逸れ、徐々にパンデミック中に映画を作る人々に焦点を当てたものとなりました。
映画冒頭に出てくるドキュメンタリー映像や、その後の「映画の中の映画」では、クルー全員が実際に自分自身を演じています。なぜ監督である自分自身を俳優に置き換えたのですか?
ロウ・イエ監督:
演技と監督を同時にすることは不可能で、どちらも中途半端になってしまう先入観がありました。また、画面に映る自分を見るのが居心地悪いからです。さらに、このプロジェクトをある程度フィクション化する意図もありました。完全なドキュメンタリーにすると、別の「言語」の枠組みに囚われてしまい、それは簡単なことではありません。そのため、半分フィクション化することで、映画を自由にすることができると考えました。しかし、映画の中で監督と俳優たちの関係は、現実の私たちの関係とよく似ています。

監督

ロウ・イエ(婁 燁)

フィルモグラフィー

  • 『デッド・エンド/最後の恋人』(1994年)
  • 『ふたりの人魚』(1999年)
  • 『パープル・バタフライ』(2003年)
  • 『天安門、恋人たち』(2006年)
  • 『スプリング・フィーバー』(2009年)
  • 『パリ、ただよう花』(2011年)
  • 『二重生活』(2012年)
  • 『ブラインド・マッサージ』(2014年)
  • 『シャドウプレイ』(2018年)
  • 『サタデー・フィクション』(2019年)
  • 『未完成の映画』(2024年)

ロウ・イエ(婁 燁)

ロウ・イエは1965年に上海の演劇一家に生まれました。幼少期を劇場で過ごし、上海美術学校で学んだ後、上海美術映画製作所でアニメーターとして働く。1989年に北京電影学院を卒業し、映画監督専攻を修了。
1994年、『デッド・エンド/最後の恋人』で監督デビュー。2000年、『ふたりの人魚』は当局の許可なしにロッテルダム国際映画祭に出品したため中国では上映禁止となった。2003年、チャン・ツィイーを主演に1930年代の中国と日本の間の対立を描いた『パープル・バタフライ』は、カンヌ国際映画祭の公式コンペティション部門に選出。2006年、天安門事件が起きた時代における、北京の大学で出会ったあるカップルの約18年にわたる愛の物語を描いた『天安門、恋人たち』がカンヌ国際映画祭で上映された結果、再び5年間の映画制作・上映禁止処分となる。禁止処分の最中、検閲を避けるためフランスと香港合作で作られた『スプリング・フィーバー』は2009年カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞。その2年後、2011年タハール・ラヒム主演で『パリ、ただよう花』をフランスで撮影。2012年、カンヌ国際映画祭“ある視点部門”オープニング作品に選ばれた『二重生活』は、映画制作禁止後に、ロウ・イエが公式に復活を果たした作品。2013年、『ブラインド・マッサージ』はベルリン国際映画祭にコンペティション部門に選出され、中華圏のアカデミー賞金馬奨で作品賞を含む6冠を受賞。2018年、広州・香港・台北を舞台にしたクライムサスペンス『シャドウプレイ』は金馬奨で4部門ノミネート。上海を舞台にした『サタデー・フィクション』はコン・リー主演、オダギリジョー共演による、1941年の太平洋戦争開戦前夜の上海租界を舞台としたスパイ映画で、第 76 回ベネチア国際映画祭コンペティション部門正式出品した。『未完成の映画』以降は、『少年の君』のイー・ヤンチェンシー(易烊千璽)と『象は静かに座っている』のチャン・ユー(章宇)が出演する『三文字(原題:三個字)」(公開未定)と、日本及び欧米でも有名なバンド「重塑雕像的權利(Re-TROS)」のドキュメンタリー(公開未定)の制作を行なっている。

フィルモグラフィー

  • 『デッド・エンド/最後の恋人』(1994年)
  • 『ふたりの人魚』(1999年)
  • 『パープル・バタフライ』(2003年)
  • 『天安門、恋人たち』(2006年)
  • 『スプリング・フィーバー』(2009年)
  • 『パリ、ただよう花』(2011年)
  • 『二重生活』(2012年)
  • 『ブラインド・マッサージ』(2014年)
  • 『シャドウプレイ』(2018年)
  • 『サタデー・フィクション』(2019年)
  • 『未完成の映画』(2024年)

海外レビュー

  • 「近年のパンデミックやその他の災害を描いた作品の中でも類を見ないほど脈動するようなリアリズムを達成している」
      Variety
  • 「COVID-19により中国は大きく揺らいだ。ただ映画ではそのことを明確には語らない。中国の第6世代の監督であるロウ・イエは対立を求めるのではなく、ただ現実をリアルに映し出そうとしている」
      BBC中国語
  • 中国の映画監督ロウ・イエは、苦悩と混沌の中から、神秘的で感動的、さらには深遠なものを生み出した。「未完成」であることが何を意味するのか。すべてが達成され、完了し、片付いたという満足感とともにこの世を去る者はほとんどいない。死を免れないということは、物事が終わらないまま終わってしまったと感じることなのだ。この作品は、2006年の勇気ある天安門事件ドラマ『天安門、恋人たち』以来、おそらく彼の最高傑作であり、2012年の映画『二重生活』の舞台にもなった武漢に近い都市を舞台にしている。
      The Guardian 2024年5月16日
  • 隔離生活が長引くにつれ、映画の中に実際のパンデミックのドキュメンタリー映像が織り込まれていく。それは、一般の人々がネットにアップロードした映像であり、『聖なるイチジクの種』に登場する抗議デモの映像と同じような「市民が密かに記録した映像」である。それらは公式の報道では隠された事実を暴露するものでもある。たとえば、医師が患者と共に踊る様子、窓から撮影された武漢の街並み、笛を吹いて亡くなった告発医師を追悼する場面、さらには武漢のドライバーたちが3分間クラクションを鳴らして犠牲者を悼む姿も映し出される。この映画には、時間と空間の圧縮感が常に存在している。ロウ・イエの作品世界が、私たちが経験した現実と衝突するのだ。
      New York Times

コメント

順不同/敬称略
  • あまりにも覚えがあることがありありと蘇った。
    コロナ禍、何をするのも、何もしないのも不安だった。
    私もどこで見てもらえるか定かではない作品を、仲間と、画面を通してだけのやり取りだけで作った。
    数えきれない程PCR検査を受けてようやく立った舞台では笑ってもらえなくて、『みんなマスクで笑いにくいんだ。』と醜い言い逃れをしたりもした。
    多くの人が、それでも変わらず、必死に、作品と向き合っていた。この映画の中の彼らのエネルギーもまた、発狂寸前になりながら、発散されないまま派手にぶつかりつつも、行き先を変えず「未完成の映画」の完成へと向かっていく。
    その変わらなさは滑稽で、その真っ直ぐさに心揺さぶられる。
    あの時間を乗り越えた全ての仲間を愛しく思った。

      呉城久美
    (俳優)
  • コロナ禍という時代の記憶は、いまや静かに風化しつつある。
    あの閉ざされた時間、世界は問われていた。
    ——私たちにとって、本当に大切なものとは何か。
    この映画は、その記憶に静かに光を当て、痛みと希望を交えながら、未完成のクィア映画の再開に挑むスタッフたちの姿を描く。
    ロックダウン下の孤独と、映画製作への情熱が交差するなか、映画は完成には至らないが、終盤には大きな感動が訪れる。
    未完成であること——それは、なお生き続けるということなのだ。
    ロウ・イエという監督は、まぎれもなく映画芸術の最前衛に立っている。

      小川真司
    (映画プロデューサー)
  • 観賞中、思わず涙がこぼれました。映画は私の心身を再びパンデミックの時期に戻し、まるで私は登場人物の一人になったかのように、彼らと一緒に隔離の体験をしているように感じました。この痛みと愛の入り混じった強烈な感情の衝撃は、ロウ・イエ監督の作品を観るときだけの特別な体験です。

      ホアン・ジー
    (映画監督)
  • 有名な俳優が商業的な圧力や龍標システムへの反対に参加することは、自身のキャリアに巨大なリスクをもたらす。ロウ監督の作品に登場する俳優たちは、そんな矛盾を抱えているのではないかと私は察する。物語は、映画内のストーリーと映画外の現実が相互に絡み合い、それが深い意味を持つ構造となっている。チン・ハオはジャン・チェン役を演じているが、映画の冒頭から役と本人の間に境界がないように感じられ、物語が進むにつれ、私はロウ監督のクルーの一員になったかのような錯覚に陥った。そして、映画を完成させるために幾度も矛盾と闘い、困難を乗り越えてきたロウ監督と作品に参加する一人ひとりの勇気に感服した。

      大塚竜治
    (映画監督)
  • この映画はフィクションとドキュメンタリーの境を自由に行ったり来たりしながら観客を 巧妙に虚実入り乱れる世界に放り込む。 ARRIの映画カメラやスマホの縦型動画で撮られた世界は、 まるで僕らの生きている世界と そのメタバースであるかのようで、 俳優はその境界を行き来する。 映画のこれまでの約束 事を次々と破っていくその手法はまさにアンチ・ヌーヴォーならぬアンチフィルムだ。 ロ ウ・イエ監督は最初期からこのアプローチを実践し続け進化させてきた。 パンデミック禍 で劇的に進化したテクノロジーを映画に取り込み、 更に進化したこの手法は観客に深く問 いかける。 「映画は死んでしまったのか?」と。 しかしそんなことは杞人天憂。 『未完成の映 画』 はアンチフィルムを取り込むことによって映画をさらに進化してしてみせたのだ。 か つてはロッセリーニやデ・シーカが、 そしてキアロスタミやパナヒたちが果敢に挑戦し、 映画の限界をさらに広げてきたように。「映画は死なない!」ロウ・イエ監督のこの言葉に 万来の拍手を!

      工藤将亮
    (映画監督)
  • とてつもない映画だ、と戸惑いすら感じた。

    コロナ禍に撮影されたスマホの縦型映像とフィクションを織り交ぜながら、国と人々の揺らぎをただありのまま、生々しく描き出す。あの頃の集団的トラウマの記録が観る者の記憶を呼び起こし、パンデミックの中で感じた出来ることへの限界と無力感を止まってしまった映画制作を通して共有する。分断された人々をスプリットスクリーンによって繋がりを演出するその構造と手法は見事としか言いようがない。春節の高揚によって見つける、その時にあった美しい時間はじんわりと心を包み込む。クリエイターとして表現への切実な思いが、スクリーンからひしひしと伝わる作品だ。

      寺嶋夕賀
    (映画コラムニスト)
  • "未完成の映画"が、次なる"未完成の映画"を作り上げる。映画を完成へと駆動させるのは撮影ではなく、記憶したい、記憶しなければ、という我々の衝動であることを作品は伝える。
    2022年からの数か月。数年間。咀嚼できずに残っていることがあるということが掘り返される。
    ロウ・イエ作品が静かな寄り添いとともに、消えることのない熱をまた残していった。

      小川のえ
    (シネマストーリーテラー)
  • わずか5年でこれほど記憶が朧げになっているとは思わなかった。圧迫感、閉塞感、緊張感。
    コロナ禍に突入した2020年。僕は仕事がほぼ無くなり、決まっていた海外ツアーも全て白紙になった。
    4月11日に開催予定だった主催イベントも翌日から緊急事態宣言が発布されるというタイミングだった為、周りからも説得されて中止した。

    だから僕は多くのものを未完成のままにしてきたのだ。
    僕だけではなく、世界中の人が日常を突然断ち切られてさまざまなことを未完成のまま置いてきたはずだ。ところがそれを忘れていた。

    本作で、そうした多くの未完成が、まるで古いハードディスクのデータを読み込むように蘇るだろう。そして、同時に混乱した行政による行動規制の記憶も蘇るはずだ。
    日本と中国ではその在り方もかなり違ったはずだが、人が本来持っている感情、生の本質は実は共通していることが年越しの瞬間の映画スタッフたちの享楽的な騒ぎから伝わってくる。
    その後には封鎖解除前の武漢の街並みを映しながら嗚咽する少女の声が響き、そしてロウ・イエ監督作の特徴とも言える歌が、ゆっくりとざわついた感情を包み込んでいく。

    あの時の未完成の続きを歌ってくれるのだ。

      ダースレイダー
    (ラッパー/映画監督)