監督プロフィール/監督の言葉

リンダ・ホーグランド監督
プロデューサー・監督

リンダ・ホーグランド

日本で生まれ、山口と愛媛で宣教師の娘として育った。日本の公立の小中学校に通い、アメリカのエール大学を卒業。2007年 に日本で公開された映画『TOKKO-特攻-』では、プロデューサーを務め、旧特攻隊員の真相を追求した。黒沢明、宮崎駿、深作欣二、大島渚、阪本順治、是枝裕和、黒沢清、西川美和等の監督の映画200本 以上の英語字幕を制作している。
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監督の言葉

映画『ANPO』は、1960年の濱谷浩の『怒りと悲しみの記録』という写真集と、画家、中村宏の東京都現代美術館の回顧展との出合いから始まりました。彼らの写真や絵画には私がアメリカ人として育って、知っていたつもりの“日本"や“日本人"からは想像できない表情や表現があり、日本人と、そして日本のアーティストがこんなに燃えた時代があったことに大変驚きました。

私は本来、1960年の安保闘争について知る術も映像表現する資格もない、アメリカ人です。しかし、宣教師の娘として、山口県と愛媛県で育ち、地元の小学校や中学校へ通ったので、日本の戦争体験について、日本人の立場から学びました。特に日本人の子供達と一緒にアメリカが広島に落とした原爆について授業で教えられた時の記憶は鮮明です。先生が原爆の悲惨さを話し終わったら、小学校4年生のクラスメート達は一斉に唯一金髪で青い目のアメリカ人を振り返り、いったいどんな野蛮な国の人達がこんな無惨なことをしたのだろう、という眼差しで見られた記憶があります。その瞬間、私も自分の国がもたらした行為の酷さに、子供なりの罪悪感で胸を痛め、とにかくその場所から逃げ出したかったことを覚えています。私はその体験に対するこだわりから、大人になってからも、日本人とアメリカ人の狭間であの戦争と、そして今日までの日米関係について様々な視点から考えることとなりました。

日本で育ったもう一つのこだわりに、日本映画がありました。日本の素晴らしい映画の数々を見ながら、その映画の英語字幕を書くことに憧れ、やがては深作欣二、黒澤明や宮崎駿監督等の映画の、英語の字幕翻訳者になりました。そして、過去の邦画の傑作を見たり、字幕を書いたりしている中で、1960年に、日本に国民的なトラウマがあったことに気がつきました。大島渚監督は1960年に過激な時代を描いた映画を3本も作りました。今村昌平監督は1959年に、希望に満ちたエンディングの『にあんちゃん』を作ったのに、1961年には横須賀の米軍基地を舞台に、とことんニヒルな『豚と軍艦』を作りました。娯楽映画を100本近く遺した成瀬巳喜男監督の作品ですら、1960年を境に映画のトーンが暗くなったと感じました。1960年に日本で一体何があったのか、私の大きな疑問となりました。

そこで出会ったのが、濱谷さんの写真と中村さんの絵画でした。彼らの作品を通して、60年安保闘争がいかに国民的な運動であり、どれほどの人達の希望と熱意をかき立て、究極的にはどれほどの人達の絶望と挫折を呼んだのかも解り始めました。濱谷さんや中村さんのようなアーティストが他にもいるだろうと探し始めたら、映画監督を含め、何十人も見つかり、彼らの何百もの作品の迫力と美しさに目を見張りました。これらの作品を通して、60年安保闘争とは何だったのか、彼らを闘争に掻き立てたのは何だったのか、そして、その後遺症として未だに日本に残る米軍基地が日本にどういう影響を及ぼしているのか等を映画という形で表現することに決めました。

世界的に日本の近代アートは映画を含めて高く評価されていますが、露骨に戦争の記憶や米軍基地問題と向き合った作品は殆ど知られていません。そして、世界にこの素晴らしい「文化遺産」を紹介したいと思ったと同時に、日本の若い人にも知って欲しいと思いました。日本にも「抵抗」の歴史があることと同時に、その「抵抗」を世界級のアートとして表現し続けているアーティスト達は輝かしい存在ですし、彼らの作品や言葉には大変刺激されます。