出演
会田誠 Aida Makoto
1965年新潟県生まれ。日本の戦後の根本的な矛盾を油絵、漫画、彫刻、写真などに描写している。2006年から2009年まで、制作活動の傍ら武蔵野美術大学の非常勤講師を務める。また、アーティストグループ『昭和40年会』に参加したり、若手の芸術家や学生をまとめ、自宅で『西荻ビエンナーレ』を開催するなど、幅広い活動をしている。平面作品に限らず、映像作品の監督・出演、またフィギュアなどの制作も行っている。『横浜トリエンナーレ2001』『六本木クロッシング2004』などに出品。
朝倉摂 Asakura Setsu
1922年東京都生まれの舞台美術家・画家。日本舞台美術家協会理事、日本劇場技術家協会会長。彫刻家の父・朝倉文夫氏の影響のもと、日本画を学び、画家として1953年に上村松園賞受賞。70年ロックフェラー財団の招きで渡米。ニューヨークで舞台美術を学び、活動の場を舞台美術に移す。60年安保では学生を率いて参加。
池田龍雄 Ikeda Tatsuo
1928年佐賀県生まれの絵画家。メッセージ性の強いルポルタージュ絵画運動に参加。戦時中、16歳で神風特攻隊に任命された。戦後、他人の命令から逃れる為、アーティストの道を選んだ。 1954年最初の個展以来海外合わせて48回開催。国立近代美術館、都美術館等美術館の企画展に多数出品。オックスフォード近代美術館、ポンピドゥーセンターの「前衛美術の日本1910-1970」、池田20世紀美術館、「練馬の美術'97展」等。全国27ヵ所の公立美術館にコレクション。著書に『絵画の距離』、『夢・現・記』、『蜻蛉の夢』、『芸術アヴァンギャルドの背中』がある。
石内都 Ishiuchi Miyako
1947年群馬県生まれ、横須賀米海軍基地周辺で育った写真家。写真集『絶唱・横須賀ストーリー』では、自身の思い出に立ち帰り基地の町を赤裸々に捉えた。1979 年、『APARTMENT』(写真集)にて第4回木村伊兵衛賞受賞。 1996年には楢橋朝子とともに写真雑誌『main≪マン≫』を創刊。1994 年、グッゲンハイム美術館での「戦後日本の前衛美術」展に招待された。ヴェネツィア・ビエンナーレの2005年日本代表。最新の写真集、『ひろしま』は毎日芸術賞を受賞。
石川真生 Ishikawa Mao
1953年、沖縄生まれの写真家。高校卒業後に上京し、東松照明の写真ワークショップ「東松教室」に学ぶ。沖縄に戻った後、「沖縄Soul」、「フェンスOKINAWA」等、沖縄の米軍基地や地元の人達を中心に写真を撮り続けている。2000年に腎臓癌、2001年に直腸癌を患い、2度の手術を乗り越えたのを機に、近年ではセルフポートレイトを撮り始めた。また、写真家としてだけではなく、執筆、講演活動など幅広い活動を行っている。
嬉野京子 Ureshino Kyoko
安保改正後の沖縄基地問題を伝えるジャーナリスト、写真家。日本リアリズム写真集団の創立に参加。元日本写真家協会理事。1965年、米軍占領下の沖縄で米軍車両が少女をひき殺した現場を撮影し、大きな反響を呼んだ。1967年の伊江島での農民不当逮捕を撮影した為に米軍憲兵に指名手配され、住民の協力で「脱出」した経験も持つ。この時の取材を基に『沖縄100万の叫び』(1968年)を出版。
風間サチコ Kazama Sachiko
1972年東京都生まれ。60年安保闘争に参加していた父をもつ風間は常に権力に疑問を抱く。現実世界に渦巻く闇や社会問題を題材としながらも、ユーモアをまじえた作品の持つエネルギーは、見るものを圧倒し続け、彼女の大規模な漫画調の木版画は巧みに戦争責任の矛盾を浮き彫りにする。主な受賞歴は、第9回岡本太郎記念現代芸術大賞(TARO賞)優秀賞(2006年)。
桂川寛 Katsuragawa Hiroshi
1924年札幌市生まれの画家。1949年、勅使河原宏、関根弘、瀬木慎一、安部公房らが結成した「世紀の会」に参加。同年、関根弘の第一詩集『沙漠の木』の表紙絵を担当。その後前衛美術会に入会し、小河内ダム建設反対運動の山村工作隊の文化工作隊として、山下菊二らと小河内村に2ヶ月滞在し、ルポルタージュ絵画を制作した。戦争をテーマにした美術展を開催し続けてきた。
加藤登紀子 Kato Tokiko
1943年旧満州ハルピン生まれのシンガー・ソングライター。学生運動が盛況だった高校生の頃に60年安保のデモに参加し、東京大学在学中に歌手デビュー。アイドル歌手的人気を獲得しながら同時に、学生運動に積極的に参加する。「一人寝の子守唄」「百万本のバラ」等のヒット曲で知られる。また、地球環境問題にも積極的に取り組み、97年、WWFジャパン評議員に就任、00年にはUNEP(国連環境計画)親善大使に任命された。アジアやオセアニア各地を精力的に訪れ、自らの目で見た自然環境の現状を広く伝えるほか、音楽を通じた交流を重ねている。
串田和美 Kushida Kazuyoshi
1942年東京生まれの俳優、演出家。現在、日本大学芸術学部教授。 1965年、俳優養成所を卒業し、劇団文学座に入団。翌年劇団自由劇場を結成する。72年に自由劇場解散後、演出、美術を手がける。85年~96年Bunkamura中劇場のシアターコクーンの芸術監督に就任。コクーン歌舞伎、平成中村座公演を始めとする歌舞伎公演の演出もし、テレビCMなど多方面にて活躍している。17歳の時、当時の政治状況を分析した文章を書いて、60年安保のデモに参加することを同級生に呼びかけた。
東松照明 Tomatsu Shomei
1930年愛知県出身。戦後日本の代表的写真家。ヨーロッパやアメリカでも写真展を開くなど、海外での評価も高い。近年は長崎、沖縄、愛知、京都など特定のエリアに焦点を当てた写真展を開いている。安保改正決定後、1961年より現在に至るまで長崎で被爆者達の写真を撮り続けている。
富沢幸男 Tomizawa Yukio
60年安保闘争の運動の模様を記録したドキュメンタリー 『1960年6月安保への怒り』(1960年)を野田真吉と共に監督する。当時の映画業界数十名のボランティアと共に、「安保反対」「打倒岸内閣」を掲げたデモと警官隊との戦後最も緊迫した瞬間を捉えた。篠田正浩監督『夜叉ヶ池』(1979年)、勅使河原宏監督『サマー・ソルジャー』(1972年)では製作を務めている。
中村宏 Nakamura Hiroshi
1932年、静岡県生まれの画家。政治的社会的テーマや、空に浮かぶ蒸気機関車、セーラー服姿の一つ目少女などの心的世界をシュルレアリスムの影響のもとに、誇張した遠近法の組み合わせとモンタージュ技法によって描く。1950年代の米軍基地闘争をルポルタージュ絵画家として描き、60年安保闘争も斬新な様式で描いた。それ以降も、時々の社会状況と深く関わりながら表現を続けている。2007年には東京都現代美術館で回顧展が開催された。
細江英公 Hosoe Eikoh
1933年山形県生まれ。既成概念にとらわれることなく、自己の内面的な意識を表現し続ける写真家。1960年に発表した『おとこと女』では、肉体を裸形のオブジェにまで解放し、粗粒子やハイコ ントラストを用いて60年安保闘争のシュプレヒコールに応えた。 代表作として、三島由紀夫を被写体とした『薔薇刑』(1963年)、舞踏家・土方巽との連作『鎌鼬』(1969年)が知られている。2003年に英国王立写真協会から特別勲章を授与。
山城知佳子 Yamashiro Chikako
1976年生まれ、沖縄出身の映像作家。ビデオアートを通して、沖縄の悲惨な歴史を発掘する作業を続けている。沖縄の米軍基地問題や戦争体験継承などのテーマに刺激され、軽妙かつ慎重な作品を数々制作している。05年第1回倉敷現代アートビエンナーレ・西日本で優秀賞を受賞。映像集団ハイニシムイのメンバーとして活動し、短編ビデオアート作品準備中。県内外の展覧会に参加を予定している。
横尾忠則 Yokoo Tadanori
1936年兵庫県生まれ。60年代、寺山修司らのポスターを手掛け注目を集めた後、70年代のカウンターカルチャー全盛期に絶大な支持を得る。油絵、グラフィックデザインや立体など多岐にわたり活躍するアーティスト。1970年、米『TIME』誌に依頼された内閣総理大臣・佐藤栄作のポートレートは、アメリカ批判であると出版を拒否されたが、その後も数多くの展覧会や海外からの招待出品により、確固たる世界的評価を確立した。
佐喜眞加代子 Sakima Kayoko
1948年奈良県生まれ。1994年に米軍普天間飛行場のフェンス沿いに開館した、佐喜眞美術館館長婦人。人間の尊厳と命の重さを問い続け、修学旅行生に普天間飛行場の状況を語る。同美術館は丸木位里・俊夫妻作の巨大水墨画「沖縄戦の図」をメインに展示し、95年、国連出版の『世界の平和博物館』にも収録された。
ティム・ワイナー Tim Weiner
1956年ニューヨーク生まれ。米コロンビア大学卒業後、79年から新聞記者。フィラデルフィア・インクワイアラー紙記者としてCIAと国防総省の秘密予算をスクープし、88年にピュリツァー賞受賞。93年、ニューヨーク・タイムズ紙に移籍。CIAの自民党に対する秘密献金の存在をスッパぬき、日本の新聞全紙が後追いをした。著書『CIA秘録』は全世界27カ国で刊行されている。
半藤一利 Hando Kazutoshi
1930年東京都生まれ。『昭和史』の著者としても知られる作家・随筆家。週刊文春、文藝春秋の元編集長、同社の専務取締役などを歴任した。1965年、大宅壮一の名義で『日本のいちばん長い日―運命の八月十五日』を発表し、その後本格的に作家へ転身。歴史小説などを中心に執筆し、「歴史探偵」を自称する。また、活動の場をテレビにも広げており、NHK『その時歴史が動いた』など歴史番組にも出演している。
保阪正康 Hosaka Masayasu
1939年札幌市生まれ。出版社勤務を経て著述活動に入る。『六〇年安保闘争の真実』(2007年)の著者。主に近代史(特に昭和史)の事件、事象、人物に題材を求め、延べ四千人の人々に聞き書きを行い、ノンフィクション、評論、評伝などの作品のほか、社会的観点からの医学、医療に関する作品を発表している。公平なジャーナリストとして信頼される保坂は日本近現代史を中心に多数の本を出版している。 2004年、菊池寛賞受賞。
作品
阿部合成 Abe Gosei
1910年青森県生まれ。京都市立絵画専門学校で日本画を学んだ後、卒業後は油絵に転向。1936年に上京後、出征兵士を見送る群集を描いた「見送る人々」で二科展に入選するが、同作品を反戦絵画と指弾され、敗戦後はシベリアに抑留されるなど、苦難に満ちた時期を経験した。戦後は2度に渡りメキシコに滞在、日本画の技法を取り入れた作品が高く評価され、1960年には個展を開催するまでにいたった。また同郷である太宰治と親交が深く、その交流は太宰が亡くなるまで続いた。1972年、逝去。
石井茂雄 Ishii Shigeo
1933年東京都生まれ。1950年に文化学院を卒業した後、読売アンデパンダン展、画廊での個展を中心に作品を発表するが、幼少の頃からの持病であった喘息が原因で、28歳の若さで亡くなった。日常の中に潜む圧力や脅威をテーマに銅版画の鋭い描線で表現した。
井上長三郎 Inoue Chozaburo
1906年兵庫県生まれ、中国の大連で育つ。17歳で帰国後、社会的関心の旺盛な青年画家として制作活動を開始。1938年から2年間パリに滞在。1943年には親交の深かった靉光や松本竣介らの若手画家たちと、言論や表現の制限にとらわれず描きたいものを描くため、新人画会を結成。社会意識を鋭く突いた諷刺絵画を、ユーモアを交えつつ重厚なタッチで描いた。日本国際美術展、日本アンデパンダン展、平和美術展などに出品。1953年から56年にかけては日本美術会の委員長も務めた。1995年、逝去。
市村司 Ichimura Tsukasa
1922年、愛知県生まれ。29歳のときに行動美術展に出品。以降、鮮やかで独特な色使いが特徴の油彩画を京都アンデパンダン展、青美展等に出品。象元会・青年美術家協会会員。京都市在住。
長濱治 Nagahama Osamu
1941年愛知県生まれ。多摩美術大学彫刻科卒業後、1964年にアドセンターに就職。1965年よりフリーランスとなり、以降ファッション、広告、ポートレートなど幅広いジャンルで活躍。1972年の『暑く長い夜の島―長濱治沖縄写真集』をはじめ、『地獄の天使1968~1980 New York / San Francisco』(1981年)、『My blues road』(1992年)など、作品集も多数発表している。
長野重一 Nagano Shigeichi
1925年、大分県生まれ。慶應義塾大学の写真クラブで野島康三らの指導を受ける。卒業後は名取洋之助が編集長を務める『週刊サンニュース』の編集に携わるが、1949年には岩波映画製作所に入社し、『岩波写真文庫』の写真部員となる。1954 年に岩波映画を退職した後は、フリーランスのフォト・ジャーナリストとして戦後の日本の変遷を記録し続けてきた。市川崑監督の『東京オリンピック』(1965年)や羽仁進監督の『彼女と彼』(1963年)には、映画カメラマンとして参加している。
浜田知明 Hamada Chimei
1917年熊本県生まれの版画家・彫刻家。東京美術学校(現・東京藝術大学)に飛び級で入学。油画を学んだのち日本軍に入隊、20代の大半を軍隊で過ごした。終戦後、戦地での体験をもとに銅版画による作品制作を開始し、以後、人間社会や戦争の不条理、人間心理の暗部をテーマとした作品を発表し続けており、1993年にはロンドン (大英博物館日本ギャラリー)で回顧展が開催されるなど、国際的にも活躍。1983年からはブロンズ彫刻にも取り組み、92歳となった今も制作活動を続けている。
濱谷浩 Hamaya Hiroshi
1915年東京都生まれ。報道写真家、ドキュメンタリー写真家であり、アジア初のマグナムの寄稿写真家。主に日本の風土と、そこに生きる人間とのかかわりをテーマに作品を制作した。当初は都会を対象としていたが、1939年に取材で新潟県高田市を訪ね、雪国の厳しい自然条件にもかかわらず逞しく生きる人々の営みをとらえた。 60年安保に際してその闘争を大衆側から徹底的に取材し、『怒りと悲しみの記録』(1960年)にまとめて内外の反響を呼んだ。1987年には写真界のノーベル賞といわれるハッセルブラッド基金の「国際写真賞」を受賞。1999年3月、逝去。
林忠彦 Hayashi Tadahiko
1918年山口県生まれ。戦前より記録写真家として活動し『婦人公論』、『アサヒカメラ』、内閣情報部発行の『写真週報』などに作品掲載を行っていた。24歳の時、中国の北京に渡り、戦時下の様子を報道写真家として撮影。27歳で帰国した後はフリーカメラマンとして活動する。代表作として、戦後日本の復興を活写した写真集『カストリ時代』(1980年)、太宰治や坂口安吾といった文士のポートレイトシリーズがある。晩年は癌に冒され、脳内出血のため半身不随となりながらも、東海道を生涯最後のテーマとして写真を撮り続けた。1990年12月、逝去。
ポール・ロブソン Paul Robeson
1898年ニュージャージー州生まれ。オペラ歌手、舞台俳優、ミュージカル俳優、映画俳優として活躍。1928年、ミュージカル『ショー・ボート』出演のためにロンドンを訪れ、アメリカよりも人種差別の少ないことを理由に永住を決意。その後はヨーロッパを中心に活動していたが、映画『誇り高き谷間』(1939年)の出演をきっかけに考えを改め、凱旋帰国を果たす。アメリカにはびこる人種差別を痛烈に批判し、ソ連の共産主義に傾倒していったロブソンは、スターリンの政策を支持。1952年にはスターリン平和賞を受賞。1950年、アメリカ国務省はロブソンの活動を国内に制限するためパスポートを取り消したが、8年後に返還。1976年、脳梗塞により逝去。
丸木位里・俊 Maruki Iri, Toshi
広島出身の日本画家・丸木位里と北海道出身の洋画家・丸木俊(旧本名:赤松俊子)の夫妻。1941年結婚、原爆投下直後の広島で共に救援活動に従事して以降、『原爆の図』(1950年)をはじめ、夫婦協同で原爆の絵を描き続けた。1967年には埼玉県の自宅近くに原爆の図丸木美術館を設立、1995年には朝日賞を受賞、同年ノーベル平和賞候補に選出された。位里は94歳、俊は87歳でその生涯を閉じた。
森熊猛 Morikuma Takeshi
1909年、北海道生まれの漫画家。風刺を効かせた政治・世相漫画の描き手として知られ、共同通信社で30年間執筆したほか毎日新聞や新潟日報などにも執筆。日本漫画家協会の創立メンバーでもある。自らプロレタリア文化運動に参加、1931年には左翼的な漫画を描いたとして拘留を受けている。2004年9月、肺炎のため逝去。
山下菊二 Yamashita Kikuji
1919年徳島県生まれの画家。1938年に上京、シュルレアリストの影響を受ける。1944年から1949年まで東宝映画教育映画部に勤務する一方、第二次世界大戦中には2度に渡って召集を受ける。以来、戦争や部落差別などの社会問題を主題にし、戦争従犯者である自らの責任を問い続けると同時に、作品を通じて社会問題を訴え続けた。自らの内面をえぐりだすような、そのシュールで生々しい作品は国際的に高い評価を受けている。1986年、死去。