── あなたのドキュメンタリーを撮りたいというオファーはいつ、どのような経緯で話しが来たのですか?ご自身が報道写真という形で「現実の世界を切り取る」という事を仕事とされているわけですが、ご自身が対象となることについてどう思われましたか?
ある日突然、監督のソロが私に会いたいと連絡してきました。会って話しをしてみると、彼は私に関するドキュメンタリーを撮影したいというのですが、最初は断りました。しかしソロは諦めず、翌日再度会うことになりました。私は少し考える必要があったので、テスト撮影を開始する前に私は条件を出しました。それは私を英雄視しないという事、つまり私には取材が上手く行く事もあれば行かない事もあるという点と、取材活動の困難さをさらけ出すという点を含む事でした。
自分自身が被写体となる事自体はそれほど困難な事ではありませんでしたが、撮影の初日から明確にした点があります。それは、この映画はあくまでもソロの作品であって私との共同制作ではないという点、つまり私自身もドキュメンタリストであるがゆえ、私は同時に被写体と制作者にはなれないという事です。一度にカメラの両側に立つことは不可能ですから。ただし、軍事的な理由からソロが撮影に立ち会えない場合にのみ、ある特殊なやり方で撮影を行いました。私たちはスチールと動画を同時に撮影できる特殊な装置を開発し、私が撮影してきた素材を監督が編集するというやり方です。
── 常に世界中の関心が集まるイスラエル・パレスチナ問題に対してあなたは、イスラエル人としては当事者であり、ジャーナリストとしては観察者でもあるわけです。その中であなたはご自身のアイデンティティーをどのように位置づけますか?
紛争当事者の両側で撮影することは、特に私がイスラエル人であるという点からも非常に危険な行為です。しかしプロパガンダではなくフォトジャーナリズムを成立させるためにはバランスの取れた取材をしなくてはなりません。撮影する時に心がけるのは、個人の意見や思想が写真に影響を及ぼさないようにする事です。可能な限り、個人的な目的に左右されることのないよう、事実をあるがまま写したいと考えています。時々、自分が海外のジャーナリストだったらどれだけ楽だった事かとも思います。