Story

レストレポ前哨基地 PART.1

映画『レストレポ前哨基地』Part.1&Part.2

2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件を受けて米国主導で始まったアフガニスタンでの「テロとの闘い」は、ベトナム戦争の8年6ヶ月をはるかに超える米国史上で最長の戦争となり、2014年末までに米軍兵だけで約2200人、NATOの国際治安支援部隊(ISAF)全体で約3500人の死者が出ている。今なお、反政府武装勢力の鎮圧には至っておらず、2015年10月にオバマ政権は、2016年末までに予定していた米軍の完全撤退の見直しを迫られた。

2007年5月末から2008年8月初頭までの約15ヶ月間、イタリアのヴィチェンツァに駐屯するアメリカ在欧陸軍の第173空挺旅団戦闘団第503空挺歩兵(503rd Infantry Regiment, 173rd Airborne Brigade Combat Team)が、ISAFのミッションでアフガニスタン東部に派遣された。そのうち、先鋒隊として第2大隊のバトル中隊(Battle Company, 2nd Battalion)が、最危険地帯のコレンガル渓谷に配置された。約150名から成るバトル中隊はさらに4つの小隊に分かれており、本作はその第2小隊(the Second Platoon)に密着した記録である。

ヴァニティ・フェア誌から記者とカメラマンとしてアフガニスタンのレポートを依頼されたセバスチャン・ユンガーとティム・ヘザリントンは、アフガンに向かう空港で初めて顔を合わせた。その機中、ユンガーがヘザリントンに「1つの小隊を追いかけて、ドキュメンタリー映画と本を作りたい」と話をもちかけプロジェクトは始まった。当時、ユンガーはノンフィクション・ライターとして「パーフェクト・ストーム」や「ファイアー」などのベストセラーを出し、ヘザリントンはワールド・プレス・フォト主催の世界報道写真賞を2度受賞した報道写真家であり、すでに確かなキャリアを築き上げていた二人のコンビネーションが、この戦場ドキュメンタリーの傑作を生んだのである。

映画『レストレポ前哨基地』Part.1&Part.2

兵士たちの派遣期間中、二人で(時に別々に、時に一緒に)延べ10回コレンガルに赴き、1度に最長1ヶ月滞在し撮影した。ヘリコプターで渓谷に着くと、レストレポ前哨基地までは2時間歩かなければならない。レストレポ基地には水道設備はもちろん、電話もインターネットもなく、しばらくの間は電気もなかった。3000メートル級の山々に囲まれ、長い作戦の撮影には、少なくとも1週間分のカメラ・バッテリーが必要になるため、通常パトロール時の20キロ装備がさらに重くなった。

派遣期間が終了した3ヶ月後、兵士たちが帰還したイタリアでインタビューが行なわれた。これらのインタビューは当初、ナレーションの代わりに場面のつなぎとして使う予定だったが、その多くが撮影した素材の中で最も心に響く映像となった。兵士たちは自己を見つめ直し本音を語った。それは戦場では見せていない顔だった。

10ヶ月の編集期間を経て、2010年夏に全米公開されると、サンダンス映画祭、アカデミー賞、エミー賞、キャメリメージほか25もの賞に選ばれた。なお、ユンガーの書籍プロジェクトは、ヴァニティ・フェア誌に掲載された原稿をさらに膨らませるかたちで、ニューヨークのTwelve 社から「WAR」というタイトルで2010年に出版され、TIME誌が選ぶ年間ベスト・ノンフィクションの10冊に選ばれた。

アカデミー賞最優秀長編ドキュメンタリー賞ノミネートの授賞式に出席した6週間後の2011年4月20日、、ヘザリントンはリビアのミスラタで紛争を取材中に被弾し40歳で命を落とした。ユンガーは2年後の2013年、ヘザリントンの生涯を辿る「Which Way is the Front Line From Here? The Life and Time of Tim Hetherington」という映画を作り、HBOで放送された。


レストレポ前哨基地 PART.2

映画『レストレポ前哨基地』Part.1&Part.2

前作が2010年に全米公開され、その年のアカデミー賞最優秀ドキュメンタリー部門にノミネートされて間もなく、監督二人のうちティム・ヘザリントンがリビアの内戦を取材中に亡くなった。ヘザリントンと一緒にリビアへ行く予定だったセバスチャン・ユンガーは、所用で直前にその仕事を断ったこともあり、深い罪悪感に苛まれたという。なお、ユンガーはヘザリントンの死後、彼の足跡を知らしめる役割を自分が担うためにも、いつ命を落とすかもしれない従軍記者の仕事を辞めている。

生前のヘザリントンとユンガーは、前作で入れられなかったシーンを使って続編を作ろうと話していたが、残されたユンガーにとって映像素材を見直すことは過去に戻るようで辛く、作業ははかどらなかった。しかし、2013年にヘザリントンについてのドキュメンタリー『Which Way is the Front Line From Here? The Life and Time of Tim Hetherington』を完成後、ユンガーは編集に着手した。前作はナショナルジオグラフィック社に配給を任せたが、今作は45日間のクラウドファンディングを行ない、目標の7万5千ドル(約 900万円)を上回る11万7千ドル(約 1,400万円)を集め、完全にインディペンデントの配給・宣伝で2014年5月30日にアメリカで公開した。

パート1でも編集を担当したマイケル・レヴィ—ンの提案で、ユンガーが前作公開と同時に出版した「WAR」(ヴァニティ・フェア誌に掲載された戦地リポートに加筆した本)の三部構成 “Fear(恐怖)”“Killing(殺し)”“Love(仲間への愛情)”を倣い組み立てていったという。また、ユンガーは本作を、「兵士たちが戦場でどんな体験をくぐり抜けてきたのかを、彼ら自身が理解する上で助けになればとの思いで作った」と語っている。それは、コレンガル渓谷から帰還後にPTSDに苦しみ、パニック障害やアルコール中毒などになっている兵士たちの姿を、実際に見たからでもある。また、ユンガーは本作公開時にTED Talksに出演し、「なぜ退役軍人は戦争が恋しくなるのか」という演題で、アメリカ社会が抱える帰還兵の問題について講演している。その中でユンガーは、兵士たちが懐かしむのは、普通の社会で生まれる友情とは異なる仲間たちとの強い絆であり、一般社会に戻ってきて感じる疎外感が彼らを苦しめている、と述べている。