監督の言葉
私は、この出来事を記録したいと思った。自分は歴史家であり、社会学者だ。いま自分がやるべきことは何かといえば、これを記録し、後世に残すことだと思った。
映画を撮ったことはなかった。映画作りに関心を持ったこともなかった。しかし、過去の資料の断片を集めて、一つの世界を織りあげることは、これまでの著作でやってきた。扱うことになる対象が、文字であるか映像であるかは、このさい問題ではなかった。
いうまでもないが、一人で作った作品ではない。同時代に現場を撮影していた人びと、インタビューに応じてくれた人びとが、すべて無償で協力してくれた。
なにより、この映画の主役は、映っている人びとすべてだ。その人びとは、性別も世代も、地位も国籍も、出身地も志向もばらばらだ。そうした人びとが、一つの場につどう姿は、稀有のことであると同時に、力強く、美しいと思った。
そうした奇跡のような瞬間は、一つの国や社会に、めったに訪れるものではない。私は歴史家だから、そのことを知っている。私がやったこと、やろうとしたことは、そのような瞬間を記録したという、ただそれだけにすぎない。
いろいろな見方のできる映画だと思う。見た後で、隣の人と、率直な感想を話しあってほしい。映画に意味を与えるのは観客であり、その集合体としての社会である。そこから、あなたにとって、また社会にとって、新しいことが生まれるはずだ。