Director Profile
監督:ジャスミン・デラル

監督:ジャスミン・デラル

イギリスに育ち、子供時代の多くを祖父母と共に南インドの村で過ごした。オックスフォード・ユニヴァーシティでフランス語とスペイン語を学んだ後、U.C.バークリーの修士号で短編映画を作り、ホームレスの写真家のドキュメンタリーで学生エミー賞を受賞。1990年代初頭、デラルはジプシーに関するある一冊の本に巡り合い、それが彼女を10年にわたるロマの映画作りに踏み出させることになった。現在はニューヨークに拠点を構え、社会性の高い芸術的映画を作る、リトル・ダスト・プロダクションを設立。若い監督たちを、彼らの映画を作れるように導くことに喜びを見出している。

 

フィルモグラフィ

2006 – 『ジプシー・キャラバン』
2000 - 『AMERICAN GYPSY: a stranger in everybody's land』
1993 - 『SHE SAYS』
1991 - 『IN HIS OWN IMAGE』

 
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バックグラウンド

ふり返ってみると、私自身が受け継いでいるものが、私に10年にもわたり、ロマの映画作り(『AMERICAN GYPSY』)をさせた理由のひとつだと思います。

私はイギリスで育ち、一時はインドでも暮らし、大人になってからはほとんど合衆国で暮らしています。だから私は多くの文化に属しているのです。ただし、その辺境にですが。あるインド人の友人は、私のことを評して“ミックス・ベジタブル”カレーだと言いました。

おそらくそのことが、ロマにかかわり、その文化を掘り下げるために長年を費やすことを、より魅力的にさせたのでしょう。結局のところ、彼らは究極の世界市民なのですから。地球上のほとんどどの国にもロマ市民はいるのに、ほとんどいつも辺境に追いやられています。たとえその地に百年以上いついていたとしても、社会に全面的に所属していることは非常にまれです。

これは奇妙な、インサイダーとアウトサイダーのパワー・ジレンマです。

プロジェクトのはじまり

前作『AMERICAN GYPSY』で、私はジプシー文化にのめり込みました。

ある日、ワールド・ミュージック・インスティチュートが連絡してきて、私がジプシーとその映画を作ることについてなにがしか詳しいと聞いてはいるが、自分たちが企画するジプシー・ミュージシャンたちのコンサートを撮影したくはないかと言ってきたのです。最初、私は笑いましたが、すでにロマの人々と音楽で頭いっぱいでした。

数ヵ月後、台湾のフィルム・フェスティヴァルで、私は大好きな映画『gimme shelter』のアルバート・メイズルスに、もしワールド・ミュージック・インスティチュートがコンサートを企画したら、ジプシー・ミュージシャンたちの映画を作るかも知れない、と告げました。メイスルスは、それなら自分がカメラマンの一人になるべきだ、と言ってくれました。私は、自分の能力以上のことをしようとしているのではないかとも思いました。



撮影中

12月の終わり、私は南インドに住んでいる母のところを訪ねたので、ラジャスタンに住んでいるツアー・ミュージシャンたちのところにも寄りました。

そして、春にはスペインと、ルーマニアと、マケドニアに、ほかのアーティストたちの家族と過ごすために行きました。なにひとつ予定通りに行ったものはありませでした――カメラは壊れるし、音声係は現れないし、私たちは夜の10時のブカレストで誰かほかの者を雇うしかありませんでした。私たちが撮影しようと思っていた人たちは、4日ほど町を留守にすることを告げるのを忘れていました。お金もたくさんかかったし、突然の結婚式があったり、葬式があったりと…ドキュメンタリーにとってはいつものことですけど。でもしまいにはうまく行き、編集室に入った時には、すばらしい映像の数々にとても喜びを覚えたものです。

映画の評価

私はいつも人々を笑わせたいと思ってきたし、私が映画の中の人々と共に生きたり働いたりしている時に感じる喜びや痛みを、少しでもみんなに感じてもらいたいと思ってきました。映画の主題となる人々が、ほんとうに自分たちが表現されていると感じてくれることも、私にとってはとても重要なことでした。そして私はラッキーなことに、すばらしいミュージシャンや編集者と仕事ができたのです。メアリー・マイヤースは長大な音楽を、誠実さと敬意を持って編集してくれました。そのおかげでどのミュージシャンも、私たちのカットに決して不服は申し立てなかったのです。

最後には、私はただ物語をできるだけ伝えることのみを考えていました。後のことはなんとかなるだろう、と。

最近のある映画祭では、一組のカップルが私のところに来て、目に涙を浮かべて言いました。「彼らを愛することを教えてくれてありがとう」と。

誤解され、抑圧され、汚名を着せられてきたロマの歴史は、みじめで苦しいものでありながらも、人間の魂が運命を吹き飛ばす勝利の歴史でもあります。私が出会った素晴らしい音楽と、ミュージシャンたちの魂を観客のみなさんに観せることができることを、誇りに思います。

 
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