2019年、突然チリのサンティアゴで民主化運動が動きだした。その口火となったのは、首都サンティアゴで地下鉄料金の値上げ反対がきっかけだった。その運動は、リーダーもイデオロギーもなく、爆発的なうねりとなり、チリの保守的・家父長的な社会構造を大きく揺るがした。運動の主流となったのは、若者と女性たちだった。150万の人々が、より尊厳のある生活を求め、警察と放水車に向かってデモを行ったのだった。
それは2021年36歳という世界で最も若いガブリエル・ボリッチ大統領誕生に結実する。
目出し帽に鮮やかな花をつけデモに参加する母親、家父長制に異を唱える4人の女性詩人たち、先住民族のマプチェ女性として初めて重要な政治的地位についたエリサ・ロンコンなど、多くの女性たちへのインタビューと、グスマン監督自身のナレーションが観客に寄り添い、革命の瞬間に立ち会っているかのような体験に我々を誘う。
かつてのチリの大統領サルバドール・アジェンデが始めた「永遠の改革」を捉えた世界最高のドキュメンタリー映画と評される名作『チリの闘い』、チリ弾圧の歴史を描いた 3 部作『光のノスタルジア』、『真珠のボタン』、『夢のアンデス』に続き、グスマン監督は過去の記憶と往来を重ね、劇的に変わりゆくチリを、若者と女性中心の新たな社会運動を前にして希望を信じ、かつて想像した国が実現することに願い込めて女性たちの言葉にフォーカスを当て記録した。
1970年から73年にかけてサルバドール・アジェンデ大統領の社会主義政権下で活動していたパトリシオ・グスマンはピノチェト軍事政権誕生によって迫害され、国外で亡命生活を送っていた。
あれから50年が過ぎようとしていた中で、2019年地下鉄の料金値上げがきっかけで、突然チリの民主化運動が動き始めた。グスマンは、すぐにも、遠く離れた祖国に戻り、民主化運動を記録しようと考えたが、コロナ等の状況で、1年近く遅れて、祖国に入る。そこで、グスマンが見た社会運動は、自分が50年前に見た社会主義政権の誕生時の熱狂にも通じるものがあり、懐かしさを覚えたが、50年前の革命とは、様々な面で異なっていた。
50年前は政党や労働組合等の団体が主導の運動であったが、21世紀の革命は、リーダーもイデオロギーもなく、政党とも無関係で、主体となったのは、若者や女性たちだった。かつては、政党や組織が主役であったが、今回は家父長制度が色濃く残るチリ社会の中で抑圧され続けた女性たちが主役であった。グスマンは、かつての社会運動との相違点に戸惑いながらも、女性たちが主役となり、150万人の人々が、より尊厳ある生活を求めて、警察や軍隊に立ち向かう姿に感動し、50年前に自分が想像した民主的な国になろうとしているチリの姿に感動する。この社会運動は、2022年に左派勢力の当時36歳のガブリエル・ボリッチが大統領選で勝利することにより結実する。グスマンは、自分たちの失われた歴史が受け継がれ、理想の国を作っていこうとするチリの姿に大きな期待を寄せる。
チリは1970年、社会主義者であるサルバドール・アジェンデが史上初めて民主的選挙によって選ばれたマルクス主義政権を樹立しました。アジェンデ政権は、土地改革や国有化政策を推進しましたが、経済不安や社会混乱が続き、1973年、アウグスト・ピノチェト将軍率いる軍事クーデターによって政権が倒されました。
ピノチェトは軍事独裁政権を敷き、弾圧と拷問が横行しましたが、新自由主義的な経済改革を導入し、外国資本を受け入れ、グローバル化が進展しました。チリは経済成長を遂げましたが、格差は広がり、社会不安は残りました。
1988年の国民投票でピノチェト政権は敗北し、1989年に民主化が進みました。しかし、軍事政権の影響は根強く、チリの政治・社会に長く影響を及ぼしました。
2019年10月、地下鉄料金の値上げが引き金となり、長年の経済的不平等や社会的不満が噴出し、全国的なデモが起こりました。このデモは「尊厳のための闘い」として広がり、政府は新憲法の制定を約束しました。
その後、2021年に36歳の若きリーダー、ガブリエル・ボリッチが大統領に選ばれ、社会改革を進めようとしました。
2022年にチリで行われた新憲法案の国民投票は、2019年のデモを受けて進められた憲法改正プロセスの一環でした。ピノチェト独裁政権下で制定された1980年の現行憲法を改正し、より平等で社会的包摂を重視する新しい憲法を制定することが目標でした。特に、先住民の権利保障や環境保護、ジェンダー平等の推進などが盛り込まれ、チリの社会・経済構造に大きな改革をもたらす内容でした。
しかし、この新憲法案は2022年9月の国民投票で、反対62%、賛成38%という結果で否決されました。 反対の理由には、新憲法案が急進的すぎると感じられたこと、内容が不透明だという懸念、そして多くの有権者が新憲法が不安定さをもたらす可能性を心配したことが挙げられます。また、一部では、保守派や経済界が反対キャンペーンを展開したことも影響しました。
2023年に入ると、チリ政府は新たな憲法制定プロセスを開始しました。改めて憲法評議会が設立され、よりバランスの取れた案を作成するための議論が行われました。
2023年12月17日、チリで新憲法草案の是非を問う国民投票が実施され、反対55.76%、賛成44.24%となり、新憲法草案は否決されました。
この国民投票は、2022年9月に行われた前回の新憲法草案の否決を受けて、2回目の試みでした。今回の草案は、前回よりも保守的な内容で、私有財産権の保護や移民・妊娠中絶に関する厳格な規則が盛り込まれていました。
ボリッチ大統領は、この結果を受けて「国は分極化し、分裂した」と述べ、新憲法を国民投票で制定する試みが失敗に終わったことを認めました。
政府は3度目の改憲プロセスは行わず、今後は議会を通じて年金と税制の改革を進めると表明しました。
この結果により、1980年にピノチェト軍事政権下で制定された現行憲法が引き続き維持されることになります。チリの市場指向型の経済ルールが継続するとの見方から、金融市場への影響は限定的になると予想されています。一方で、憲法改正を求めてきた国民にとっては大きな失望となり、政治に対する不満が高まる可能性があります。
ガブリエル・ボリッチは、1986年2月11日にチリのプンタ・アレーナスで生まれた政治家。クロアチア系の移民の子孫で、父と祖父は石油産業に従事していた。
ボリッチは高校時代から政治に関心を持ち、チリ大学で法律を学んだ。2011年のチリ大学学生連盟総裁選出を機に学生運動のリーダーとして頭角を現し、2014年には代議院議員に当選。2021年の大統領選挙に立候補し、公的年金制度への移行や教育・医療への投資増加などを公約に掲げた。決選投票で保守系候補を破り、2022年3月11日に第38代チリ大統領に就任。就任時36歳で、チリ史上最年少かつ世界で最も若い現職国家元首となった。
1941年8月、チリのサンティアゴ生まれ。
チリの大学で映画作りを学んだ後、スペインのマドリードの国立映画学校で映画演出の学位を取得。71年に帰国後、サルバドール・アジェンデ政権発足後最初の12ヶ月間を取材した初の長編『Elprimer año(最初の年)』を制作。フランスの映画作家クリス・マルケルが配給権を取得し、以降マルケルと密接な付き合いが始まる。以後、多くの作品は映画祭で上映され、国際的にも高い評価を得ている。
1972年から79年にかけては、サルバドール・アジェンデ政権とその崩壊に関する、上映時間5時間を超える3部作『チリの闘い』を監督。ピノチェトのクーデター後、グスマンは逮捕され、国立競技場に2週間監禁された。そこで模擬処刑を受け、幾度となく脅迫されたと、のちに語っている。『チリの闘い』は軍事クーデターの勃発により、撮影終了から完成までに数年の歳月を要したが、撮りためていたフィルムとともに1973年にキューバへ亡命、その後スペインそしてフランスに渡りクリス・マルケルの尽力により完成させた。この映画はグスマンの仕事の土台となっており、北米の雑誌シネアストは“世界で最も優れた10本の政治映画の1本”にこの作品を挙げている。
1997年から99年にはチリのドキュメンタリー国際映画祭(FIDOCS)のディレクターも務める。ヨーロッパおよびラテンアメリカのさまざまな学校でドキュメンタリー映画を講じ、著作も数冊発表。『光のノスタルジア』(2010年カンヌ国際映画祭出品)、『真珠のボタン』(2015年ベルリン国際映画祭出品)からなる3部作の最終章となる『夢のアンデス』は2019年カンヌ映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞(ルイユ・ドール賞)を受賞した。
制作年 | 日本語タイトル | スペイン語原題 | 英語タイトル |
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1968 | La Tortura y otras formas de diálogo | Torture and Other Forms of Dialogue | |
1969 | El Paraíso ortopédico | The Orthopedic Paradise | |
1971 | 『最初の年』 | El primer año | The First Year |
1972 | La Respuesta de octubre | The October Response | |
1975 | 『チリの闘い』第1部「ブルジョワジーの叛乱」 | La Batalla de Chile: La insurrección de la burguesía | The Battle of Chile: Part 1 |
1977 | 『チリの闘い』第2部「クーデター」 | La Batalla de Chile: El golpe de estado | The Battle of Chile: Part 2 |
1979 | 『チリの闘い』第3部「民衆の力」 | La Batalla de Chile: El poder popular | The Battle of Chile: Part 3 |
1983 | Rosa de los vientos | Compass Rose | |
1987 | En nombre de Dios | In God's Name | |
1992 | La Cruz del Sur | The Southern Cross | |
1995 | Pueblo en vilo | Town on Edge | |
1997 | Chile, la memoria obstinada | Chile, Obstinate Memory | |
1999 | La Isla de Robinson Crusoe | Robinson Crusoe Island | |
2000 | Invocación | Invocation | |
2001 | Le Cas Pinochet | The Pinochet Case | |
2002 | Madrid | Madrid | |
2004 | Salvador Allende | Salvador Allende | |
2005 | Mon Jules Verne | My Jules Verne | |
2010 | 『光のノスタルジア』 | Nostalgia de la luz | Nostalgia for the Light |
2015 | 『真珠のボタン』 | El botón de nácar | The Pearl Button |
2019 | 『夢のアンデス』 | La cordillera de los sueños | The Cordillera of Dreams |
2023 | 『私の想う国』 | Mi país imaginario | My Imaginary Country |
「この蜂起で、自分が花開いたと言えます。
私に力をくれたし、生きる目的もくれた。」
「女性や国民、地域や労働者への搾取や、
社会システムの抑圧に、気づいたのです。」
「あの無秩序の金曜日が、すばらしかった。
皆 踊って高齢女性まで…」
「失った目の写真を撮ってと言われました。
チリで人権が侵害されている事を気づいてほしいと」
「諦めて、家に帰るのが嫌なのです。
もう自分たちで実現させるしかないと」
「抗議は女性たちの姿であり声です。
この国で後戻りはない。女性たちは激怒しています」
「私たちは平等を求め闘います。そのために皆が
団結したからこそ、広場が美しく、盛り上がったのです」
「私たちは鍋を取り出し叩き始めました。
1時間たつと すばらしいオーケストラになっていた」
「私たちが独裁政権から受け継いだ問題を
野放しにした代償だと思います。」
「人々の望みは憲法の改正でした。
政府の隠蔽とは裏腹に現実に気づいてしまった」
「主導者もいない民衆蜂起です。
求めるのは社会文化と共に起こるべき変化です。」
「憲法改正と新憲法を守らなくてはなりません。
チェスは戦闘であり対決です。」
「今 私たちは同時に全てを議論しています。
大きな地殻変動が起こるところまで。」
「あの日 “もうたくさんだ”と叫んだ私たちの熱意で、
新憲法を作ります。それが最大の責任です。」
「決して敗北しないという意味の“マリシウエウ”は、
歴史的な強さがある言葉です。」
監督コメント
大規模な民衆の抗議が、まるで山のように発展し、国の歴史を揺るがしました。私たちはその時、現地にはいませんでしたし、コロナ禍ですぐに移動が制限されました。しかし、多くのチリの友人たちが撮影し、その映像を送ってくれました(その中には『夢のアンデス』に出演したペドロ・サラスもいました)。1年後、パンデミックが収束してようやく、私はチームと共にサンティアゴに行き、2回に分けて現地を撮影しました。これはドキュメンタリー映画ではよくあるプロセスで、現実に向き合い、それを撮影し、自分自身もその一部となるのです。最初の撮影は8週間、2回目は3週間でした。私たちは、まるでフィクション映画のように登場人物や状況、場所を選びました。
『チリの闘い』を1972年から1979年にかけて撮影していた時、私は当時のチリ人にとって象徴的なキラパユンというグループの音楽を使っていました。『私の想う国』では、その音楽の一部を再び使用しています。このメロディには、いつも稀で美しい感情が伴います。この映画は1970年のアジェンデの勝利の回想から始まり、若い左派のリーダーが選出されたもう一つの大統領選で締めくくられます。サルバドール・アジェンデは、私の世代にとって、より良い社会と生活の夢を抱かせてくれた存在でした。2021年のガブリエル・ボリッチの勝利でも同じようなことが起こりました。より公正な社会を求める民衆の古い夢が再び目を覚ましたのです。どう実現するか、あるいは実現するかはまだ分かりませんが、私にとっては同じ希望があるのです。
私たちは新しいチリを夢見る素晴らしい若い女性たちにたくさん出会いました。この社会運動がどれほど深く根を張り、運命に導かれてきたのかを実感しました。インタビューを受けた人々がピノチェトやクーデターについて語ることはよくありますが、私たちの主な関心事は社会的反乱と憲法制定会議についてでした。
映画のタイトルを『私の想う国』としました。私にとって、チリはまだ建設中であり、常に考え続けられている国です。そして、その探求は今も続いています。