映画『ミリキタニの猫』のリンダ・ハッテンドーフ監督と、主人公のミリキタニさんが来日しています。
その模様をレポートにまとめました。
2007年8月14日 ヤクルトホール一般試写会
8月14日、新橋のヤクルトホールにて、「ミリキタニの猫」試写会が催されました。 本編上映終了後、観客の感動さめやらぬ中、監督のリンダ・ハッテンドーフさんが舞台に登場。挨拶の後、会場から寄せられる質問に対し、真摯に、そして時にユーモアを交えて答えてくれました。
リンダ・ハッテンドーフ監督
今回、広島をご旅行されましたが、感想をお聞かせください
広島を訪問したことは衝撃的な体験でした。広島の式典において、私がとても感動したのは、これほどまでに傷ついた人々の中からこれほどまでの平和に対する強い思いが表現されたということです
リンダ監督にとって、ジミーさんはどんな存在ですか?
ジミーは私の“オジイサン”(日本語で!)です。私は今でも週に一度ジミーのいるホームを訪問するのですが、私のことを周りの人に『あの子は誰?』と聞かれるたび、『私の孫娘だよ』とジミーは答えています
なぜ、赤の他人とも言えるジミーさんと一緒に暮らそうと思ったのですか?
9.11以降全てが変わってしまいました。戦争、恐怖、憎悪が蔓延する中で、私は何かポジティブなことをしたいと思いました。人間の精神や魂は、もっと良いことができるはずだということを証明したかったのです
自分が登場人物の一人になったことについてはどうお考えですか?
まさか自分自身がこのドキュメンタリーの登場人物になるとは思ってもいませんでした。ところがある朝、ジミーと二人でお茶を飲んでいた時、彼が言いました。『きれいな日差しだな。撮影したらどうだい』と。そのときから、私は観察者としてこの物語にかかわるのはもう辞めようと思いました。私自身の主張を持ち、この作品に参加し、一人の語り部としてこの作品を紡ぎだすのだと
今、ジミーさんは何をしていらっしゃるのですか?
彼は今でも映画の中に出て来たのと同じ建物に住んでいます。猫を飼い、サムライムービーを観たりして過ごしています。彼の誕生日パーティーは、年々盛大になっています
突然歌いだすミリキタニさん
リンダさんの言葉に導かれる様に、ステージの上にジミー・ツトム・ミリキタニさんが登場。お気に入りの赤いジャケットと赤いベレー帽に身を包んだジミーさんは、万雷の拍手の中、「ツールレイク(収容所)で一緒におりました、今は亡き荒貞男先生の歌『男は泣かず』を聴いて下さい」とおもむろに歌を歌いだします。身振り付きの熱唱に、客席からは思わず手拍子が。その後も、天衣無縫とも言えるジミーさんの行動に、会場内から度々温かい拍手がわき上がっていました。
猫の絵を広げ
そんなジミーさんを、傍らから優しく見守るリンダ監督。連れ立って舞台から退場する際、リンダ監督がそっとジミーさんの背中に手を添え、寄り添う様に去ってゆく姿が印象的でした。
2007年8月6日 広島原爆の日平和祈念式
(左)ミリキタニさん(右)リンダ・ハッテンドーフ監督
当日はくもり空で、式典前には雨が降ったりして、例年の暑い8.6とは趣きの違う天候でしたが、広島平和公園を包みこむ蝉の鳴き声が62年前の広島を想起させる暑い鳴き声を発していました。
87歳のミリキタニさんは、早朝6時半頃から式典会場に来場し、原爆ドームなどをスケッチしていました。いでたちは、すぐにミリキタニさんとわかる赤いジャケットにオレンジ色のベレー帽。赤いジャケットのカラーには猫のブローチ。インナーのTシャツは猫の図柄と、映画の題名どおりの『ミリキタニの猫』一色で、ほほえましい雰囲気にあふれていました。
献花に並ぶミリキタニさん
メディアの取材に対し、広島の街を「3才から18才まで広島にいた頃と格段にちがい、モダンなビルの多い街」と感想を述べ、取材の間思いついたように小学唱歌「♪雨雨ふれふれ母さんが…(『あめふり』より)」「♪カラスなぜなくの、カラスは山に…『七つの子』より)」「♪しょ、しょ、しょうじょうじ…(『狸囃子』より)」などを口ずさみ、取材陣から拍手喝采を受けていました。