ストーリー
1987年、家族と恋人のいる故郷を離れ、中国東北地方から北京の大学に入学する美しい娘ユー・ホン。そこで彼女は運命の恋人チョウ・ウェイに出会う。学生たちの間には自由と民主化を求める声が高まり、キャンパス内では新たな息吹を感じさせる。そんな恋に落ちた2人は狂おしく愛し合い、そして激しくぶつかり合う。しかし1989年6月4日天安門事件を境に、2人は離ればなれになってしまう。チョウ・ウェイはベルリンへ脱出、ユー・ホンは国内各地を転々としながら仕事や恋人を変え生活している。数年後、心の中ではお互いを忘れることができない2人が再会を果たすが・・・
コメント/寄稿
コメント
曽我部恵一
(ミュージシャン)
ぼくのすべてと言ってもいい映画です。
青春と愛、それらが失われてしまうこと。それでも生きていく人間の強さと弱さ。
そのすべてがあまりにも美しく、心を癒すと同時に傷つける。あとはもう叫び出すしかない、その一歩手前の激情が140分のフィルムに焼き付けられている。
すべての生きることは芸術です。この映画はそう言っています。永遠の傑作!
工藤将亮
(映画監督)
ロウイエの映画にはフィルムには焼き付かないはずの” 匂い” を感じる。 時代や人間を通した社会の匂いだ。 暗闇でもがき苦しむ若者たちの 「生」 がしっかりと” 匂い” を纏って観客に訴えかけているのはフィルムによる所為かもしれない。 今回新たに作られたDCPはあえてデジタルレストアすることなくフィルムの質感を残すようにしたと聞いた。 傷やノイズを修正することなく、 作り手の意図や当時の観客が感じた空気そのものを閉じ込めたのだ。激動の時代、 社会や政治に翻弄される恋人たちの行き場の無い集燥感が伝わってくるこの映画を映画館の暗闇で体験してほしい。
高陽子
(女優)
ユー・ホンの日記をこっそり見せてもらった。
羞恥心が芽生える前の自分を思い出した。誰しもが苦しみもがいた、夏の嵐のような青春時代。ユー・ホンは光に向かって走り続け、自分を解放できたのだろうか、それともまだ孤独の中にいるのだろうか。ロウ・イエ監督の表現に見事に浸ってしまった。大尊敬するハオ・レイさんが、命を削り骨の髄まで絞りきった名作を、ぜひ劇場でご覧ください。
きっと愛を渇望していた、あの頃の自分を思い出すはずです。
呉城久美
(俳優)
私は彼女に夢中になった。
『私がここに生きているんだ!』
彼女はたったそれだけを全身全霊で伝えてくる。
笑う彼女も怒る彼女も、廃れた彼女も、裸の彼女も、とんでもない力で画面を震わしてくる。
こちらの感覚まで震わされてしまい、こんなにも痛くて、青くて、乱暴で、目も当てられないはずのあなたが強烈に美しく見えてくる。
正直、映画館で見逃して後悔したな、、っていう作品は私も数あれど、この振動は、映画館で直に感じて欲しいと思うのです。
岩井志麻子
(作家)
「愛してる」国にも恋人にも、この言葉は容易く言える。
口にすると、自分が気持ちいいから。
「愛してない」国にも恋人にも、この言葉はなかなか言えない。
自分を愛せなくなりそうだから。
川口敦子
(映画評論家)
自由を幻視した恋人たちの鮮やかな夏、青春のその後を耐える辛さを国のそれと重ねて映画はまざまざとみつめ切る。
だからこそ20世紀末のあの眩しい夏を、冬枯れに向かう季節の重さを21世紀の今、フィルムに刻まれた傷を修正しない形で大画面に見ることのスリルが胸に迫る。ロウ・イエ渾身の快作を貫く戦慄(ふる)えを、痛みを、直視し、体感しよう!
寄稿
晏 妮
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(日本映画大学特任教授)
原題の『頤和園』は、人工の湖と山を有する歴代皇帝の離宮であり、現在市民に開放されている公園だ。そもそも本作に登場する「北清大学」とは、名門である北京大学と清華大学の名称をミックスした架空の大学だが、両校とも「頤和園」の近くに位置していることで、北大生と清華大生にとってこの公園はデートに使う恰好な場所なのだ。本作が日本公開時に、おそらく映画の背景となる1989年の天安門事件を意識して邦題『天安門、恋人たち』をつけたと思われるが、原題は作者が青春に捧げるオマージュの時代風景として付けたものではないかと思う。
二重の「青春残酷物語」
宇野維正
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(映画ジャーナリスト)
2024年に『天安門、恋人たち』を日本で観ること、あるいは観直すことから、一体どのような意味が立ち上がってくるのか? そのようなテーマを設定して本稿に取り掛かろうとした途端、あらゆる角度から光が乱反射して、その光線の一つ一つを追っているうちに目眩のような感覚に陥らずにはいられない。改めて、ロウ・イエが自国で公開されることは当面ないであろう(その状況は18年経った現在も変わらない)ことを覚悟した上で、2006年(日本初公開は2008年)に映画史の海原に解き放ったこの作品の持つ持久力に感嘆するしかないが、それは「優れたアーティストならではの先見性」というのとは少し違う話かもしれない。
『天安門、恋人たち』と2024年に出会い直すこと
北村匡平
続き
(映画研究者/評論家)
雨が滴る音——。建造物を下から捉えたカメラは配達員の顔に接近すると、そのまま建物内の薄暗い通路を歩いていく男を追跡する。『天安門、恋人たち』の冒頭の舞台は中国の辺境、北朝鮮との国境付近にある図們(ともん)。カメラは裏ぶれた路地で働くヒロインと、彼女に北京の大学合格の手紙を届けにきた恋人を映し出す。すると何の前触れもなく、唐突に土砂降りの雨がスクリーンに降り注ぐ。
生/性の倫理としての『天安門、恋人たち』