東北復興の願いを込めて

『神が守りたまう人の命は消せない』

 本作の邦題メインタイトルは「恋する輪廻」であり、原題の「オーム・シャンティ・オーム」は副題として併記しています。インドで「オーム」は聖なる祈りの音、「宇宙の始まりと終りを表す」とされ「シャンティ」は「平安・安寧」等の意味があります。インドの人々はヨガや宗教的行事以外の場でも折に触れ口ずさむといいます。ところで、映画の冒頭シーンの原題「オーム・シャンティ・オーム」の下に『神が守りたまう人の命は消せない』との言葉があるのにお気付きになられたでしょうか?(本作をこれからご覧になる方は冒頭のシーンに御注目下さい。)

 ファラー・カーン監督の「恋する輪廻」は、映画というジャンルを超えた正にインドを代表する決定的な作品のひとつと断言できるでしょう。インド映画のオーソドックスなフォーマットに則った豪華絢爛なミュージカル作品。インドでは勿論、アメリカをはじめ世界各国で興行的にも大成功しており、インド国民から宗派や階級の差を越えた広範な支持を得ているのですが、秘められたメッセージがあるのです。勿論、「輪廻転生」(注1)という要素は作品中に出てくるのですが、国境を越えて世界中の人に伝わり得るメッセージが隠されていると思うのです。

 インドでは多くの人が輪廻ということを信じています。ベナレスへ巡礼してガンジス河で沐浴して死んだら灰として流されて……と、ベナレスに限らず清濁を呑み込み、生者と死者が混在する日常風景。その日常の中で死者を目の当たりにして暮らす人々。そういうインドの人々の感覚、日常の死生観というものがこのミュージカル、娯楽映画の中に自然な形で取り込まれています。

『一瞬の夢を見るのよ。』

 私は1995年1月17日、阪神淡路大震災で息子を亡くしました。

 真冬の、空まで凍りつくような時期、遺体安置所となった鳴尾高校の体育館に、昨夜、語り合ったはずの息子がいた。一・二歳の乳飲み子から白髪の老人まで百人近い遺体とともに、眠れぬ夜をすごし、明(あく)る日の午後、体育館を出発し裏六甲、藤原台の自宅に着いたのは翌19日の朝だったと思います。息子の遺体と四・五日くらし、やっと葬儀会場に移動するも火葬場も行列でそこでも二日ほど待たされ多くの遺体との夜を過ごした。茫然とする暇さえなく辛うじて葬儀は執り行いましたが、悲しみは日とともにつのり、「この世には神も仏もないのか」と慟哭し、天を恨み、神・仏を呪いたいような気持に襲われました。涸れるかと流したはずの涙が後から、後からとあふれ、胸は張り裂けんばかり、足は宙を舞うありさま、日々、暗い部屋で灯をともし、魂や神々との出会いの書をむさぼるように読み暮らしました。しかし、冬が過ぎ、春が訪れ、夏を迎えるうちに、「天」というか目には見えない魂の存在というものは、私たちの住む現世と断絶したものではない。と、感じるようになりました。そして私がようやく日常生活へもどりはじめたのは夏の真っ盛り8月頃でした。 

 この映画の主人公は死を迎えると同時にラジェ・カプールの赤ん坊として生まれ変わります。それから30年後、大スターとして転生前の自分の母親や友人と再会します。それがエンターテイメントの通常のドラマの形で自然に描かれる。もちろん最後は歌って踊って、です。監督のファラー・カーン自らもスクリーンの中に登場する。最後のエンディングシーン、歌い踊った宴の後が片づけられていく中、ファラー・カーンは腕時計を見て軽く手をはたき『一瞬の夢を見せたのよ』とでも私たちに伝えるかのように立ち去って行く…….  「人生、長い短いはあるけれども、地球(46億年)、人類(数百万年)の歴史の中でみれば一幕(一瞬)の演劇に過ぎない。だからこそ、それぞれ天命を全うし、明るくしっかり生きていきましょう」というメッセージが込められているのではないでしょうか。

『捜せば神さえも見つかる。』   

 「恋する輪廻」の公開は東日本大震災から2年目にあたる3月11日(月)の週末、3月16日(土)です。私は劇場公開前に東北で無料上映したいと提案しましたが、スタッフや関係者からは「こんなにぎやかな娯楽映画を震災のあった地域で上映してどうするんだ」と反対された。しかし私はそうじゃないと思うんです。

 戦争が終わり間もない時期、沖縄音楽の巨人・照屋林助の師匠ブーテンという方が「命のスージ(お祝い)」をしていたと林助さんは伝えてくれています。(注2)沖縄戦で20万もの人が命を落とした後ですから、「命のスージ? このような時にどうしてお祝いをするんですか。みんな悲しんでいるのに」と怪訝な顔をする人がいた。しかしブーテンは「今度の戦争では本当にたくさんの人々が亡くなりました。だから、命の助かった者たちがお祝いをして元気を出さないと、亡くなった人たちの魂も浮かばれません。さあ、はなやかに命のお祝いをしましょう」と歌を唱ったり踊ったりしたところ、最初は悲しんでいたり不機嫌だった人たちの表情も、次第に晴れてきたそうです。「生き残った者には、明るく生きていく義務があるのだ」と林助さんもひしひし感じられたそうです。似た発想はインドにもあって、私はチェンナイの大通りで亡くなった方を荷車に載せ、花などをいっぱい飾って楽器をならし、歌を唱い、踊りながら進みいく行列を見たことがあります。お祭りかと思ったら、人が亡くなったというんです。(勿論、亡くなった直後は我々と同じように嘆き悲しんだに違いありません。)かつて日本でも歌を唱いながらの野辺送りがありましたが、現在の日本では多くの人々は黒い服を着て司会者の式順に従って静かに送り出す葬儀に慣れています。そんな今の人々にはとてもと信じられないかもしれませんが、私は自ら阪神淡路大震災を経験した者としても、インドの人々に限らずこうした死生観から感じ得るものは少なくないと考えています。

 この映画を見てハッピーになり、「天」というか目では見えない魂の存在は今を生きる私たちを見守っており断絶したものではないということ。そして少しでも「生き残った者は、明るく生きていく義務があるのだ」ということを感じて頂ければ、本作を様々なリスクを乗りこえ日本に輸入した者として望外の幸せを感じます。ところで映画の後半オーム・カプールはムケーシュに『捜せば神さえも見つかる』と語っています。冒頭の『神が守りたまう人の命は消せない』というメッセージとともに震災の後、私の支えとなった言葉をお伝えすることをお許しいただきたい。

「私(神)は自然の中に、あなたの中にいる。あなたが私を捜すのなら」
「神は我々全ての中にいる。我々はみな神の一部だ」
「真の神は、あらゆる宗教の上にいる「一なるもの」である」(註3)
拙稿をお読みいただき、本映画に関心を持って下さった全ての方々に深くお礼、感謝申し上げます。

平成25年(2013年)1月17日
朴 炳陽


本稿内『』内の言葉は本作映画からの引用。

注1)「輪廻転生」に関して以下の資料をご参考にしてくだされば有難く思います。
「輪廻転生とは、私が宗教上の教えとして受け継いできたものの一つです。若いころからハシデイズムやその基盤となったカバラ、キリスト教新プラトン主義、チベット仏教、それに二十世紀の神秘主義―神智学やフリーメーソン主義、薔薇十字団などに代表される―に接してきたおかげで、たしかに幅広い考え方ができるようになったと思っています。
 輪廻転生が真実だという証拠については、そのほとんどが(物的証拠ではなく)状況証拠ではありますが、きわめて有力なものがそろっている現在、理屈のうえで輪廻を認めるのに特に問題はないと思われます。(「輪廻転生驚くべき現代の神話」J・L・ホイットン著 片桐すみ子訳人文書院 P7-8から抜粋) 「人間は何回も転生する。転生を認めていると、少しは前進しようという気にはなるだろうね。」「誰でも悪に転ぶけど、善にも転ぶし、クリアしようと思えばクリアもできるわけ。クリアできるまで輪廻転生が繰り返される。何十回、何百回と続くかもしれない。転生の数が多いのはそれだけカルマも多いんだからね。魂には年齢があって、肉体は二十四歳でも魂が一千歳ということもある。」(「芸術は恋愛だ」横尾忠則著 PHP研究所 P.146-147から抜粋)

注2)「てるりん自伝」照屋林助著 北中正和編 みすず書房

注3)「空にかけのぼった朝」編・発行者 朴 炳陽・兪澄子
(編集協力 野村文男,梁 昊泰,印刷製本虹文社)



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