マルジェラが語るマルタン・マルジェラ” Martin Margiela: In His Own Words

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INTRODUCTION

この映画について
INTRODUCTION

公の場に一切登場しない、
撮影・対面インタビューにも応じない。
型破りでエレガント、突然の引退から10年以上経った今も大きな影響力をもつ
謎の天才デザイナー、マルタン・マルジェラがついに沈黙を破る。

常に時代の美的価値に挑戦し、服の概念を解体し続けたデザイナー、マルタン・マルジェラ。
キャリアを通して一切公の場に姿を現さず、あらゆる取材や撮影を断り続け匿名性を貫いた。
本作の監督のライナー・ホルツェマー(『ドリス・ヴァン・ノッテン ファブリックと花を愛する男』)は、難攻不落と思われたマルジェラ本人の信頼を勝ち取り、「このドキュメンタリーのためだけ」という条件のもと、ドローイングや膨大なメモ、初めて自分で作った服などプライベートな記録を初公開し、ドレスメーカーの祖母からの影響、ジャン=ポール・ゴルチエのアシスタント時代、ヒット作となった足袋ブーツの誕生、世界的ハイブランド、エルメスのデザイナーへの抜擢就任、そして51歳にして突然の引退――これまで一切語ることのなかったキャリアやクリエイティビティについてカメラの前でマルジェラ自身が語る、貴重なドキュメンタリーを作り上げた。

なぜ、マルタン・マルジェラは評価され続けるのか?
革新的、繊細で優しく、かつ大胆不敵、
本質を見極め、決して妥協しない。
マルジェラの創造性と仕事術、その全貌が明かされる。
  • 映画『マルジェラが語る “マルタン・マルジェラ” Martin Margiela: In His Own Words』
  • 映画『マルジェラが語る “マルタン・マルジェラ” Martin Margiela: In His Own Words』
  • ファッション界のバンクシー、
    マルタン・マルジェラが
    自身の人生とキャリアについて
    感情的に自問自答している
    ハリウッド・レポーター
  • 創造性のためにブランドを去ったのは思い切った決断だ。
    あれほど服と仕事を愛してる人が辞めたのはすごく勇敢だと思う
    ジャン=ポール・ゴルチエ
    ファッションデザイナー
  • 初めて一般人をモデルにしたのは彼。
    マルジェラは
    モードの革命児で今も新しい。
    たくさんのランウェイにまだ彼がいる
    カリーヌ・ロワトフェルド
    『CR Fashion Book』創立者
  • マルジェラが想定したのは
    ユーモアのある女性。
    自由で知的な女性ね
    サンドリーヌ・デュマ
    映画監督/マルジェラ モデル
  • 彼は時代を築いた。30年前に始まって、次の20年も彼の時代が続きそう。
    50年もファッションをリードするなんて本当に偉大よ
    リドヴィッジ・エデルコート
    トレンド予測家

マルタン・マルジェラについて
MARTIN MARGIELA

1957年
ベルギーのルーヴェンで、イタリアにルーツを持つポーランド人の父親とベルギー人の母親のもとに生まれる。
1976~1980年
アントワープ王立芸術学院で学ぶ。
1980年
ミラノのファッション会社に勤務。
1982年
ベルギーの会社のスポーツウェアをデザインする。また雑誌にイラストを描く。
1983年
ベルギーで開催されたゴールデン・スピンドル賞のおかげで、初めての2つのコレクションを企画。この賞の審査員には、ジェニー・メイレンスとジャン=ポール・ゴルチエが名を連ねていた。
1984年
ジャン=ポール・ゴルチエのアシスタントに就任。
1988年
ジェニー・メイレンスの支援を受けて、メゾン・マルタン・マルジェラを創設。
初のファッションショーを開催。
1989年
第1回アンダム・ファッション アワード(フランス国立モード芸術開発協会主催)で最優秀ファッション・デザイナー賞を受賞。
1990年
アンダム賞の賞金でカンパニーをパリのサン=ドニ通りに移転し、“アトリエ・アーティザナル”をオープン。
1991年
ガリエラ美術館で初のコレクティブ・エキシビジョンを開催。
1994年
ヴィンテージの素材を使った初のシリーズを発表し、“レプリカ”と名付ける。メゾンをパサージュ・ルエルにある600平方メートルのビルに移転。
1997年
“6”と名付けた新しいベーシックス・ラインを始動。このラインは後に“MM6”と改名される(2004年)。ロッテルダムのボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館が、初のメゾン マルタン マルジェラの回顧展を企画。またはエルメスのウィメンズプレタポルテ部門のアートディレクターに指名される。
1998年
ライン“10”(メンズ用ウェア)を発表。またメゾン マルタン マルジェラの象徴ともいえる有名な白いタグが(フランス)産業財産庁によって登録された。
1999年
メゾン マルタン マルジェラのオフィスとスタジオをフォーブール・ポワッソニエール通りに移転。
2002年
メゾン マルタン マルジェラのブティックを東京・恵比寿、ブリュッセル、パリにオープン。イタリアのOTBグループ(代表:レンツォ・ロッソ)がカンパニーを取得。ジェニー・メイレンスが引退。
2004年
メゾン マルタン マルジェラのオフィスとスタジオをリュ・サン=モールに移転。
2005年
アクセサリーライン“11”とシューズライン“22”を発表。
2006年
“アーティザナル・コレクション”が別のラインになり、パリのオートクチュール・プレゼンテーション・カレンダーに加わる。
2007年
マルタン・マルジェラがOTBからの離脱を表明。
2008年
9月29日のメゾン マルタン マルジェラの20周年を記念するショーで、マルタン・マルジェラがハウスを離脱。

監督
DIRECTOR

  • 監督
  • ライナー・ホルツェマー

    1958年、ドイツ・ゲミュンデンに生まれる。80年代にドキュメンタリー映画の脚本、監督、撮影、編集の技術を独学で学ぶ。ニュルンベルクでインディペンデントのフィルムメーカーのグループを結成。文化、歴史、社会的なテーマを扱った数本のドキュメンタリーで共同監督、撮影、編集を担う。1983年にライナー・ホルツェマー・フィルム・プロダクションを設立。現在に至るまでに、30本以上のドキュメンタリー映画やアーティストのポートレイトを制作しており、特に写真の分野のアーティストのポートレイトは、彼の作品の重要的な側面をなしている。日本での公開作品に『マグナム・フォト 世界を変える写真家たち』(1999年)、『ドリス・ヴァン・ノッテン ファブリックと花を愛する男』(2016年)などがある。

監督の言葉

ドリス・ヴァン・ノッテンに密着したポートレイト、『ドリス・ヴァン・ノッテン ファブリックと花を愛する男』が成功した後、また別のファッション・デザイナーを選び、その人物を追いかけて新しいドキュメンタリーを撮ることは簡単なことではなかった。候補リストのトップにはマルタン・マルジェラの名前があったが、彼をカメラの前に引きずり出すことなど、どう考えても不可能だと思いこんでいた。だが、いくつかの理由と事情が重なり、不可能が可能になった。2018年2月、彼と初めてパリで会ってすぐ、この無謀な冒険に一緒に乗り出すことを決めた。当時、マルタン・マルジェラのすべてのコレクションの回顧展(『Margiela / Galliera 1989-2009』 )の準備中だったことが、我々の背中を押したのだ。

彼が過去を振り返って、自身の言葉で自らの作品の哲学やその発展を説明したいと思っていたのは、本当だった。悪名高い彼が、信じられないほど謙虚に話したのだった。長年、正体を明かさずに生きている、この魅力的で有名な人物を撮るが許されたことは、私にとって嬉しくも光栄なことだった。と同時に、この映画が難しい作業になることが分かっていた。自分自身のことよりも、常に自身の作品を一般に公開することに重きを置く彼の人物像に迫るというのは難しい課題だった。

マルタン・マルジェラのことを誰にも知られずに撮らなければならなかったが、このことが私にとって問題があるわけではなかった。カメラのフレームからすばやく彼の顔を外せばいいわけだ。手付き、仕草、ハンドメイドへのこだわり、そして何よりも自身の作品へ注ぎ込んだ愛情から彼の存在を感じさせることができるからだ。自分自身や自身の作品に皮肉やユーモアは、今なお健在だ。このドキュメンタリーを通して、マルタン・マルジェラが観客を笑顔にすることは間違いないだろう。

この映画は単なるサクセス・ストーリーではない。何よりも私にとっては、自らの道を歩み続け、そのポリシーから“不滅”の存在へとなった男のストーリーである。彼は自らの幸せのために、キャリアの絶頂期に辞め、命を削るファッションの世界に背を向けた勇気ある男の物語なのだ。

コメント
COMMENTS

※50音順、敬称略

有名モデルの着る有名デザイナーの服を有名人が買う    そんな商業主義を転覆したのがマルタン・マルジェラだった。顔を隠したモデルの着る不在のデザイナーの服は、いわばブランド商品の否定として市場に出されたのだ。逆説的なのは、それが最新のブランド商品となり、作者が新種のカリスマとなったことだろう。賢明なマルジェラはやがて激化するブランド競争から身を引く。メゾン マルタン マルジェラあらためメゾン マルジェラの現在のデザイナーはジョン・ガリアーノだ。
いま顔を隠したまま当時のことを淡々と語るマルジェラにルサンチマンは感じられない。
だが、彼は満足しているのか? 映画の最後が物語るように、答えはおそらく「否」だ。
そしてわれわれも、顔に替わって映画の主人公を演ずる二つの手がつくりだす服をもう見られないことを心から残念に思う。

浅田彰

批評家

ファッションというフレームでしか語らないのはあまりにも勿体ない。
タブーが常識に変わっていく瞬間を捉えた映像には息を呑まずにはいられません。
アンビバレントでフラジャイルな美しさは、虚構としてのファッションを壊し、僕達にその喜びを戻してくれました。
そして何よりマルタン自身の声が聞けるという衝撃。

片山正通

インテリアデザイナー Wonderwall® 代表、武蔵野美術大学 教授

理髪店で働く父のハサミから落ちていく髪たち。 祖母から教えてもらったバービー人形の洋服作り。 早熟で無口な少年は観察したあらゆる物を方法論として洋服のデザインに与えていた。 その方法は今までの洋服に対する概念とは違っていた。 それにしても彼の華麗な手先は美しく常に止まることがなく動いている。

北村道子

スタイリスト

ファッション・デザイナーの歴史を振り返るドキュメンタリーが製作される場合、服は保存されていても過去の作品制作中の画像を発掘し、使用できる可能性は低い。しかし幸運なことに本作品で監督のライナー・ホルツェマーはデザイナー本人であるマルタン・マルジェラが自身の展覧会を準備する作業を記録することが出来た。ファッション史に残るマルタンの諸名作が如何に制作されたのか?展示準備をする本人の「手」にフォーカスして撮影することによって「再現」したのだ。

栗野宏文

ユナイテッドアローズ 上級顧問 / クリエイティブディレクション担当

マルジェラが本当素直な人で、僕もずっと素直さという技術について研究しているつもりですが、なんか勝手に同志だと思っていたのですが、まさに、素直な人間、でした〜
とにかく、すぐに古着でもいいから布を買って服を作りたくなりました。
今すぐ作りたくさせる、これが芸術家ですもんね!

坂口恭平

作家、画家、音楽家

84年当時、ジャン=ポール・ゴルチエのアトリエに顔を出すと、まだ入りたてのマルジェラが働いていました。長身、真面目そうで「新任の先生」のような印象で、エトランジェの私に優しく繊細に語りかける言葉と笑顔は、とてもとても素敵でした。
この頃から私はパリコレの有り方に疑問を持ち始めるのですが、88年にマルジェラは、答えを出してくれたのです。レアールでのファースト・ショーは、まさしくそうで、当時、想像もしえなかったレアールの古いカフェ・ディスコで「シュールレアリズム」をテーマに異質でモダン、常識を覆したショーからアンダーグラウンドシーンが産声をあげたのです。
あの、1920年代モンパルナスのアート・シーンのように。

島津由行

スタイリスト/ファッション・ディレクター

マルタン・マルジェラは、衣服のデザインをした人ではなく、「衣服とは何か?」を服にした人。それはファッション史の中で川久保玲に次いで2番目の革命家だったが、彼はより思索的に服を仕上げて、世に送った。
僕はマルジェラ本人に会ったことがあるが、事前に聞いていた噂どおり「田舎の学校の先生」のような極めて地味で朴訥とした人物だった。そして、この映画を見て確信した。彼は「ファッションとは何か?クリエイションとは何か?」を楽しげに教える先生だったのだ。

菅付雅信

編集者/株式会社グーテンベルクオーケストラ代表取締役

マルタン・マルジェラの偉業を再認識させられる作品である。
常に革命的で自らは公の場に姿を現さない。 横柄とも謙虚とも取れる姿勢を貫いた彼の引退から早10年以上が過ぎた。
最後のシーンで「ファッションで全てを語れましたか」と問われた彼は、 2009年の資料に眼鏡を置いて「ノー」と一言。復活への期待感が膨らんだ。

祐真朋樹

ファッションディレクター

マルジェラに会えたのは、ほんの数回でした。僕も参加した写真展で、誰もまだ来ない時間に間違えて行った時。彼は一人でその空間にいました。映画を観て思い出した[We]でない彼の姿。今、彼が[We]でなく彼の言葉で語ってくれたことの意味は、マーケティングとsnsに奪われた自由と崇高な孤独を取り戻すためなのかもしれない。

鈴木親

写真家

自分にとってMMM(メゾン マルタン マルジェラ)と言うレーベルは哲学や思想的なコンテクストで形作られている印象がありました。ですが、今回のフィルムによってそのイメージにマルタン・マルジェラ本人の人格がレイヤーされ、MMMが如何に彼自身を映し出したレーベルであったかと言う事に気付きました。このレーベルが時を超えて愛される理由が、彼自身の魅力に起因する事が分かり、自分自身もまた彼に深く魅了されました。

ナカアキラ

AKIRA NAKA / CREATIVE DIRECTOR

マルタン・マルジェラとは、誰だったのか?    この誰もが知りたかった問いに対する、マルジェラとは何だったのか?という回答。掴み所のない90年代ファッションから00年代のリアル・クローズ全盛期までを貫く一つの例外的な個性の歴史。作中の批評的言説に、見た人は飽き足らないだろう。モードについて語り合う欲求を刺激される映画。

平野啓一郎

小説家

映画はずっとマルジェラと一緒にいるような気分。
やさしくわかりやすく、ドローイングと共にマルジェラが語っていく言葉のひとつひとつが ついに大きく繋がった。
ファッションへの深い思いをこれほど直截に伝えようとしたデザイナーがいただろうか。

平山景子

ファッションディレクター

ファッション界のマルセル・デュシャン。
彼の登場により洋服の定義が大きく変わる。
洋服屋にない洋服、1992年パリで学生だった私もコレクションを見るための列に並んだ。
最も羨ましいその強い意志。
そんな彼が初めて語る幼少期からの自分。
あぁ〜、顔が見たい。

古田泰子

TOGAデザイナー

マルタン・マルジェラの服を最初に目にしたのがアーミーのソックスを袖にしたTシャツ。 とても感覚的で印象に残った。パリの小さな展示会だった気がする。
映画ではひかえめな言葉で語られるルーツや白い世界観、ネームラベルの誕生など 今まで知らなかったマルタン・マルジェラの世界と美意識、否定的な美から生まれるヨーロッパのエレガンスにひかれる。

堀越絹衣

スタイリスト

人間マルタンによる素朴で純粋な思い、子供心のようなユーモアあふれるアイディアが込められた革新的な衣服たち。当時のミステリアスで知性的、近寄りがたい印象も、本作によって大幅に一新された。マルタン・マルジェラの作り出した作品と姿勢は、現代ファッションデザインを理解する上で最も学ぶべき対象であり、今後のファッションを作り出すものにとっても重要な指標となることは間違いない。

山縣良和

writtenafterwardsデザイナー、coconogacco代表

マルタン・マルジェラのショー会場に着くと、いつも故郷に戻った子供のような気持ちになった。 誰もが自分自身でいられる、自由で、創造的で、何が起こるかわからないワクワクする世界。 未だかつてなくファッションの存在意義が問われる今、マルジェラの手、声、服には、 その問いに対するゆるぎない答えがある。彼だけが成し得た真実が。

渡辺三津子

VOGUE JAPAN編集長

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