監督・脚本:タルザン&アラブ・ナサール
出演:ヒアム・アッバス、マイサ・アブドゥ・エルハディ、マナル・アワド、ダイナ・シバー、ミルナ・サカラ、ヴィクトリア・バリツカ、他
(2015/パレスチナ、フランス、カタール/84分/アラビア語/1:2.35/5.1ch/DCP)
字幕翻訳:松岡葉子 提供:アップリンク、シネ ゴドー 配給・宣伝:アップリンク
STORY
パレスチナ自治区、ガザ。クリスティンが経営する美容室は、女性客でにぎわっている。
店主のクリスティンは、ロシアからの移民。美容室のアシスタントのウィダトは、恋人で、マフィアの一員アハマドとの関係に悩んでいる。亭主の浮気が原因で離婚調停のエフィティカールは、弁護士との逢瀬に向けて支度中。戦争で負傷した兵士を夫に持つサフィアは、夫に処方された薬物を常用する中毒者だ。敬虔なムスリムであるゼイナブは、これまでに一度も髪を切ったことがなく、女だけの美容室の中でも決してヒジャブを取ることはない。結婚式を今夜に控えたサルマ、臨月の妊婦ファティマ、ひどい喘息を患っているワファ、離婚経験のあるソーサン…それぞれの事情をもつ、個性豊かな女性たち。
戦火の中で唯一の女だけの憩いの場で四方山話に興じていると、通りの向こうで銃声が響き、美容室は殺りくと破壊の炎の中に取り残された…。
COMMENTS
敬称略・順不同
ヨシダナギ
フォトグラファー
「美容室」という限られた空間のなかに、詰まりに詰まった女のドラマと、そこへ複雑に絡む政治や宗教の問題。それらが映像として見ている者にすら息苦しさを感じさせるほどの閉塞感を生み、結果紛争でしか知られていないガザ地区の日常を、半強制的に想像させることに成功している。この映画はそんなパワー溢れる作品だ。
山下敦弘
映画監督
政治的な側面を描かざるを得ない監督たちのジレンマが、美容室という閉鎖的な空間にヒリヒリと充満していた。銃撃のひとつひとつが監督たちの叫びなのだとしたら、いつかその叫びから解放された先の映画を観てみたいと思った。だってそんな映画、絶対に自分には作れないから。
松田青子
作家、翻訳家
この映画は、しかめっ面をする少女の表情からはじまる。もうその瞬間、好きだと思った。どんな状況下でも人生を最大限輝かせるため、美容室を訪れる女性たちの姿は、私たちの姿でもある。彼女たちが身につける口紅の色は、強く生きる、という決意表明だ。こんなにまっすぐな色をほかに知らない。
西加奈子
作家
映画を観終わっても、彼女たちのことをずっと考えている。
彼女たちは笑っているだろうか、それとも泣いているのだろうか。
栗野宏文
ユナイテッドアローズ 上級顧問
クリエイティブディレクション担当
映画は‘つくりごと’である。戦闘下の美容室内での女達の混乱のドラマもつくりごとなのだが、様々なことが無かったことにされてしまう国に住む我々も‘何がつくりごとで何が真実’なのか混乱している。この映画はおとこたちによる争いのもとに暮すおんなたちの体験を通し‘なかったことには出来ないリアル’を描く作品である。
鳥飼茜
漫画家
銃撃のさなか、震える手で身支度に精を出す女たちの態度は無力な個人が全身で「戦争」に抗う姿そのものだ。他人の日常を、自分のそれと同じように尊ぶことでしか「戦争」は免れない。対岸にいる私たちだって、あらゆる「戦争」的なものを目の前にしている今、なにを日常として守るべきなのか、手綱を放してはいけないのだ。
小林エリカ
作家、マンガ家
戦争状態にある中で、それでもムダ毛を脱いたり髪を巻いては恋話をするような女たちの日常を敢えて描こうとする挑戦は、真に勇敢だ。
藤田貴大
演劇作家/マームとジプシー主宰
これは、まなざしの作品だった。さいしょからさいごまで、徹底して、いくつものまなざしを捉えていた。視線のさきの、現実。ほんとうは、うつくしい色たちで溢れているはずだった、日常。きこえてきた音たちに、震えるのは、潤むのは、やはりまなざしだった。鏡のなかで彩られていく世界にて、みつめていくこと。抗うこと。
松尾レミ
GLIM SPANKY
わたしたちはいつだってオシャレを楽しんでいたい。それが心の薬になる時だってある。戦争で閉じ込められたガザの美容室の中、銃声響き渡る時でも口紅を塗ったり髪を結うことが、辛い世の中への密やかな抵抗に感じました。女性の強く切ない美しさに胸を打たれる作品。
町山広美
放送作家
パレスチナの成瀬巳喜男は、双子の兄弟監督だった。女の醜さ強さ。男の弱さ。せまく設定した画面の構図の妙、会話の妙を楽しむうちに、ガザの現実をかいま知る。そして、無法状態は今や身近であることも。
ユペチカ
漫画家