シェール、イザベラ・ロッセリーニ、ブルック・シールズ、ほか
2017/アメリカ/102分/原題:Larger Than Life: The Kevyn Aucoin Story
INTRO & STORY
ケイト・モス、リンダ・エヴァンジェリスタ、
ナオミ・キャンベル……
数多くのスーパーモデルやセレブたちを虜にした
天才メイクアップ・アーティストの
短く美しい人生を描くストーリー
1990年代、細眉、リップライナーが流行、そして光と影を駆使して立体感を出す「コントゥアリング」が爆発的に広まった。その革新的なモードメイクによって世界を席巻したのは、21才の若さでレブロンのULTIMAのクリエイティブ・ディレクターとして起用され、そして資生堂ブランドINOUIの全盛期のクリエイターだったことでも知られる天才メイクアップ・アーティスト——ケヴィン・オークイン。しかし、このように人気絶頂だった彼は、頭痛と共に精神的苦痛に長年悩まされ、オピオイドによる中毒で2002年に突然の死を遂げる。
*オピオイドは手術中・手術後の痛み、分娩時の陣痛等、急性痛や長期間続く慢性痛に対する鎮痛薬として用いられる
本作では、時代を作ってきたケヴィンが、飾りすぎることを認めない風潮だった時代につけまつげを使ったり、極細眉を流行らせたり、全世界で2000万枚を売り上げたジャネット・ジャクソンのアルバム「Janet.」のジャケットの撮影をした際の裏話を紹介するほか、ケヴィンが多様性を意識し、"典型的な若い美人"とは違ったライザ・ミネリのメイクや、ブルック・シールズらに男装させる性差をも超えるメイクで、美の固定観念に挑戦していた姿も紹介。 CFDAファッションアワードのベスト・メイクアップ・アーティスト賞を史上初めて受賞したほか、著書がベストセラーになったり、「セックス・アンド・ザ・シティ」に本人役で出演するなど輝かしい功績を残した一方、保守的なルイジアナで同性愛差別に遭ったり、末端肥大症による鎮痛剤中毒で苦しんでいた影の部分にも迫る。
REVIEW & COMMENT
90年代、ケヴィンとは同じエージェント、ジェットルートでしたので、仕事上では割と近い存在でした。
彼は同じメイクアップアーティストとして、とても尊敬している一人でした。
彼のメイクはアートとも言えるもので、誰にも真似できない素晴らしいものでした。
この映画を通して、知らなかった彼のパーソナルな面や人生を知ることができて良かったと思っています。
彼の最期は想像を絶するものがあり、心が痛みとても残念に思いますが、彼は彼なりに頑張っていたんだなと、彼に対する尊敬の念は強くなりました。
メイクアップアーティスト)
繊細で、どこか儚くて、不器用で、そして愛に溢れたケヴィン・オークイン。
現代よりも”普通”を求められた時代に、
多様性の許容・美と創造に挑戦し続け、
大勢の人に刺激を与え続けたと思います。
自分らしく生きることがこんなに大変で、
でもとても素晴らしく、尊くて美しい。<
一人の人間の人生を通して、多くのことを学ぶことができました。
この作品に出会えて本当に良かったです。
メイクはその人の心まで変えられる。
それをケヴィンが最初に証明しました。
その人の美を引き出して、
気持ちまで魔法に掛けられたモデルたち。
彼女たちを見て、育って、憧れて、真似して
メイクを仕事の一部にしたわたし。
私ではない誰かになりたい。メイクで!
そんな気持ちにさせてくれたのはケヴィン。
逆に彼が本当の彼を知らないまま人生を終えた。
悲しみと苦しみに耐えながら人を
変身し続けていたことに感動しました。
メイクは人生そのもの。
人生もメイクしないと。
奇抜さと自分らしさを追求して
これからもケヴィンを思いながら
わたしは今日も真っ赤なリップを塗ります。
今では信じられないでしょう。
1人のメイクアップアーティストがどれだけの変化と美しさを生み出してきたのか。
彼には美を見つける力が存在していて、その人の中のそれを起動させることができたのだ。
この映画の中に登場するモデル達は、
ケヴィンのメイクによって仕草や表情までもコントロールされ、
また、それを思う存分に楽しんでいる。
(c)YUKARI TERAKADO
時代が変わるとき、なぜか多くの才能が綺羅星のごとく現れる。
ケヴィン・オークインはその中で最も輝く星だった。
彼が見出した”ビューティ”の光は、その儚い影とともに今も私たちのそばにある。
90年代、NYでのビューティー撮影で幾度か一緒になった、ジェントルで情熱的だったケヴィン。夢を生きる稀有な天才の生き様は、彼のシグネチャーの蝶が羽化するような変身メイクアップのようにドラマティックで、華やかな時代の記憶として蘇る。
「美とインスピレーションはどこにでもある」とケヴィンは云う。だが、顕在化させるのはなかなかに難しく、ましてやその価値を世間とリンクさせるとなると、ハードルはかなり高い。それを実現したケヴィンの夢の物語は、ハッピーエンドと捉えるべきである。ゲイへの差別も、モード界の残酷さも、明日なくなるわけではない。彼の純粋な情熱に振り回される人々の、華麗で滑稽な一幕劇を、散りばめられたキャンプな仕掛けとともに、大いに楽しんであげればいいと、私は思う。
この映画で改めて、ケヴィンの才能はもちろん
圧倒的な存在感と完璧主義な仕事への姿勢、周りへのコミュニケーション能力、
何よりも10代で描いた絵の上手さに驚きました。
80年代から00年代初頭の華やかだったNYファッション界のフッテージの数々も貴重。
90年代のNYで隣人だった僕と会う度にいつも優しかった彼を思い出しました。
自分が生まれる何年も前の雑誌の表紙、ヘアメイク、ファッションのトレンド、
どこを切り取っても興奮して、当時を生き、歩んでいた人達に酷く嫉妬しました。
女性から男性に、男性から女性に。常人ではまるで辿り着かない発想に至って、それを見事な形にする。
その背景では一体どれだけ悩んで、踠き苦しんでいたのか。
人は才がある人を評価して、望んで、羨みますが、本人からしたら人にはわからない心の弱さがあったのか、と。
この作品がなければ僕は彼に出会えないままだったと思います。
今、この瞬間に見れて良かった。
メイクをすることは不完全さを取り除くのではなく、むしろファンタジーへの祝福であるべきだ。自分自身の顔や輪郭をより深く知ってもらうチャンスを与え、少しの間だけでも自分を変えることを祝福することだ。「美」とは楽しくシリアスで幻想的なもの。そんなメッセージが詰まった、ケヴィン・オークインのインナー・ビューティーの世界を垣間見ることができる。
世界で最も影響力のあるメイクアップアーティスト、ケヴィン・オークイン。
どんな人にもその中に「美」を見つけ、その「美」をきわめていく。
その方法は今のメイク業界にも大きな影響を与えている。そんなケヴィン・オークイン自身の美しさを追ったドキュメントタリーだ。
90年代のスーパースキニー眉をはじめ、あらゆるアイコニックなメイク術を生み出した伝説のメイクアップ・アーティスト、ケヴィン・オークイン。2002年に40歳の若さで、珍しい下垂体腺腫と診断され、合併症や慢性的な痛み止めを摂る最後の様子など。数々の自身が撮影した親密なホームビデオや、親しい友人であったスーパーモデルの証言から、ケヴィンのスピリットが今また蘇る。
まるで画家のように、彼は絵を書いていたわ。彼と過ごした人は誰でも、自分がすごい人のように感じしてしまう力が彼にはあったのよ。彼が作り上げるんじゃない。その人が持っている魅力を引き出すのよ。
このドキュメンタリーは、あの驚くべき男性への完璧なオマージュよ。私の知らなかったケヴィンの側面を知ることができたわ。彼のすべてが描かれていて、今まで以上に好きになったわ。
CAST
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ケイト・モス
モデルロンドンに生まれたモデル界のレジェンド。身長170cm余りのファニーフェイスという「インパーフェクト・ビューティ」(不完全な美しさ)は、デビュー間もなくして『フェイス』誌で表紙を飾り、ジョン・ガリア―ノのショーに出演。その後、イギリス、アメリカ、フランス版『VOGUE』、『アナザーマン』『ヴァニティ・フェア』『フェイス』『W』を含む主要なファッション雑誌のほとんどに登場し、いずれも大々的に取り上げられた。 -
ナオミ・キャンベル
モデルイギリス出身のナオミ・キャンベルは、15歳にフォード・モデルの社長にスカウトされ、すぐにエリート・モデル・マネジメントと契約した。1980年代でデビュー以来、アズディン・アライアやイヴ・サンローラン、ジャン二・ヴェルサーチェなど、モード史に名を刻む数多くのデザイナーたちに愛され、その美しきスーパーボディは今日でも「異次元」と称えられる。彼女も1980年代におけるパリ版『VOGUE』の表紙を飾った初めての黒人モデルである。 -
ポーリーナ・ポリスコワ
モデル1984年、チェコ出身の18歳のポーリーナはスポーツイラストレイテッド水着の表紙に登場し、最初の東欧スーパーモデルとなった。その後、破格の契約金でエスティローダーと契約した23歳のポーリーナは、「エレガンスの象徴」の名を欲しいままにした美しく若さ溢れるバウンススキンの輝きに注目。1990年と1992年、ポーリーナは『ピープル』誌による「世界で最も美しい50人」に2度選ばれた。 -
シェール/Cher
歌手、女優「ソニー&シェール」のデュオとして1960年代から活躍し始め、リリースしたシングル『I Got You Babe』が全米第1位を獲得。歌手として活動する傍ら、1982年に映画の出演以降、女優としての頭角を現したシェールは計13本もの映画に出演している。歌手としてはグラミー賞最優秀ダンス・レコーディング賞受賞を果たし、女優としては、映画『マスク』(85)でカンヌ国際映画祭女優賞、『月の輝く夜に』(88)アカデミー賞主演女優賞などの受賞経歴を持つ。 -
イザベラ・ロッセリーニ
モデル、女優イタリアに生まれ。父親は映画監督のロベルト・ロッセリーニ、母親はイングリッド・バーグマン。ファッション・モデルとして有名ブランドの広告に出演したが、その中で、ランコムの「顔」としてトップ・モデルの地位を14年間に渡って維持し続けた。1976年、女優デビューし、デヴィッド・リンチ監督の『ブルーベルベット』(87)『ワイルド・アット・ハート』(90)などに出演した。
ABOUT KEVYN
ケヴィン・オークインについて
- 1960s~1970s:ルイジアナで差別やいじめに遭った幼年時代
1962年2月、アメリカ・ルイジアナ州で生まれ、生後1ヶ月目に同じルイジアナ州ラファイエットに住むフランス系のテルマとイシドール・オークイン夫婦に養子として引き取られた。
父親が野球のコーチであるにもかかわらず、ケヴィンは幼い頃から「男らしさ」を象徴する野球のようなスポーツには目もくれず、歌手のバーブラ・ストライサンドと美しいメイク、女性の絵を描くことに夢中だった。しかし、60年代の保守的なルイジアナ州の人々にとって、性別の規範を逸脱した彼の行動は理解不能だったのだ。
- 1980s:『VOGUE』『コスモポリタン』、ニューヨークで「美」を創造していく
アイデンティティーを求めて、1983年、ケヴィンは従兄と一緒にルイジアナ州の小さな町からニューヨークにやってきた。『VOGUE』からのオファーを皮切りに、彼はファッションの世界にようやく自分の居場所を見つけた。同誌の編集者ポリー・メレンからの要請で、表紙撮影をアレンジするようになったが、その後、3年間に渡っても『VOGUE』誌の表紙を担当。同時に『コスモポリタン』誌の表紙も7ヶ月連続で手掛けた。さらに、21歳の若さでレブロンのULTIMAのクリエイティブ・ディレクターとして起用された。彼によって作られたパレットの「ヌードカラー」は、当時華やかな主流の化粧品とは対照的であり、ナチュラルでヌーディに極めて画期的だった。
- 1980s~1990s:細眉、「コントゥアリング」、自らの「美の哲学」を作る
ケヴィンが業界に頭角を現したこの時期は、またエイズの時代と重なり、ウェイ・バンディなど多くのファッション業界の人物の命が奪われた。ケヴィンはウェイのメイク技術から彩度の低いメイクやグレーの濃淡を編み出し、さらに、その鼻を細く見せ、頬や顎を強調するウェイの技術の上に、カラーを取り入れた。輪郭を際立たせると同時に、メイクはシンプルかつヌーディに仕上げた。また、キャロル・ロンバード風の極細眉を提案し、スーパーモデルたちの眉毛を全部抜いた。エージェントが怒ったり、モデルたちは怖がったが、なんとひと晩で流れが変わった。皆が眉を抜き始め、細眉が引っぱりだことなったのだ。ケヴィンは流れを変えたのだった。
- 2000s:実母との再会、オピオイド依存に悩まされた
キャリアの頂点を迎えようにしたケヴィンは、やがて、ルイジアナの北部にいる実母と再会。ただ、実母は信仰により、ケヴィンの生き方を拒んだ。幼い頃に経験したのと同じような差別を再び味わい、ケヴィンは深く傷ついた。何よりそれが、血の繋がった母親からのものだったからだ。
2000年頃、頭痛と共に精神的苦痛に長年悩まされてきたケヴィンに、オピオイド系鎮痛剤が処方された。それ以来、彼は袋いっぱいの薬を持ち歩くようになり、次第に話が噛み合わなくなり、発音も不明瞭だった。また、末端肥大症による手術後の痛みが消えず、鎮痛剤がますます欠かせなくなっていく彼は、撮影現場で倒れた。新聞で騒がれると、人は彼の話を避けたがるようになり、そのことは彼のキャリアに大きな打撃を与えた。
2002年5月7日、天才のメイク・アーティストは鎮痛剤の服用過多による肝障害で死去、その短くも華やかな生涯に幕を閉じた。
DIRECTOR
監督:ティファニー・バルトーク
TIFFANY BARTOK
フィラデルフィアのザ・アーツ大学で美術学士号を取得後、バルトーク監督はニューヨークで女優業をしていたが、メイクアップ・アーティストとしての才能があることに気づき、撮影現場の有名人やスタッフを相手にメイクの技を磨くようになる。しかし最終的に映画そのものに魅せられ、映画制作の道に進む決心をした。これまでに携わった作品には、ドキュメンタリー『Altered by Elvis』(2006年/ジェイス・バルトークと共同監督)や、短編作品『Little Pumpkin』(2008年)、『Fall to Rise』(2014年/ジェイス・バルトーク監督)、『Suddenly』(2014年/メラフ・エルバス監督)、『Cocked and Locked』(2017年/メラフ・エルバス監督)、『Last Chance』(2020年)などがある。『メイクアップ・アーティスト:ケーヴィン・オークイン・ストーリー』はバルトーク監督の長編デビュー作品である。現在、ニューヨークを中心としたエンターテインメント業界における平等を訴える非営利団体であるFilm Fatalesの一員として、ティファニーは、バーレスターのディタ・フォン・ティースを紹介するドキュメンタリー映画を制作している。
MESSAGE
5年ほど前、劇映画を撮り終え「次に何を作ろうか」と考えた時、ドキュメンタリーを撮ろうと思いました。私はメイク畑出身なので、ケヴィン・オークインに興味があってきっかけを考えていたとき、アシスタントが「それって誰です?」と言いました。もう、びっくりしました。「ひと世代後の子たちは名前も知らないのか!」とね。美容業界はより大きくなったのに、この業界にいる人やメイクに興味がある人が彼を知らないなんて、許せなかったんです。
彼の話を紡ぐのに膨大な素材がありましたが、これまでにケヴィンを取り上げたドキュメンタリーもあるのに、どういうわけか彼自身のことがあまり知られていないのです。MTVなどのテレビ局に協力してもらい、彼が映っている映像を捜しました。素材を集め、映像を観ながら60人もの人々にインタビューしました。
私はケヴィンのすべてを知りたかった。でも、人々から画一的でない彼の話を聞くのは至難の業でした。彼らにとってケヴィンはとても大切な人物なのですから……監督として、ケヴィンに対する彼らの敬意を伝える責任があり、かつ、ありのまま伝えることも心がけました。ケヴィンは自分の技術を惜しみなく紹介しました。この映画が人々の心を打つとしたら、ケヴィンがメイク界の救世主であり、象徴であり、伝説だからです。
彼はどんな時も人間らしさを失わなかった。もちろん完璧ではないから辛いシーンもあります。でも、それも映画を観る人の励みになると思うのです。