撮影:サミュエル・ラフ/編集:エマニュエル・ジョリー、パブロ・サラス/
録音:アルバロ・シルヴァ・ウス、アイメリク・デュパス、クレア・カフ/
音楽:ミランダ・イ・トバー/
出演:フランシスコ・ガシトゥア、ビセンテ・ガハルド、
パブロ・サラス、ホルヘ・バラディットほか
(チリ、フランス/2019年/85分/1:1.85/スペイン語/
原題:The Cordillera of dreams)
日本語字幕:原田りえ 配給・宣伝:アップリンク
1973年9月11日、チリ・軍事クーデター。世界で初めて選挙によって選出されたサルバドール・アジェンデの社会主義政権を、米国CIAの支援のもと、アウグスト・ピノチェトの指揮する軍部が武力で覆した。ピノチェト政権は左派をねこそぎ投獄し、3000人を超える市民が虐殺された。
監督のパトリシオ・グスマンはアジェンデ政権とその崩壊に関するドキュメンタリー『チリの闘い』撮影後、政治犯として連行されるも、釈放。フィルムを守るため、パリに亡命した。「2度と祖国で暮らすことはない」と話すグスマンにとってアンデス山脈とは、永遠に失われた輝かしいチリ=グスマンの夢の象徴である。
クーデターがもたらしたものはそれだけではない。ピノチェトは世界で初めて、新自由主義に基づく経済の自由化を推し進めた。米経済学者のミルトン・フリードマンを中心に形成されたシカゴ学派の学者たち――いわゆる「シカゴボーイズ」が招かれ、経済政策の顧問団を形成した。新自由主義は、芸術、文化、健康、教育すべてにおいて利益を追求すべきという利益最優先の価値観を人々にもたらした。結果、チリ社会は国民の間に激しい格差を生み、主要産業である銅の採掘は今やほとんどを多国籍企業が担っている。ピノチェト政権は国の財産を売り渡したのだ。
インタビューに登場するのは、アンデスの原材料を使って作品を制作する彫刻家のビセンテ・ガハルドとフランシスコ・ガシトゥア。歴史や小説の作家であるホルヘ・バラディッドは、現代のチリの社会・経済構造におけるピノチェトのプロジェクトの継続について語り、音楽家のハビエラ・パラは、子供の頃に目撃した暴力を思い出す。1980年代以降、政治的抵抗や国家による暴力行為を記録するために活動してきた映像作家であり、アーキビストでもあるパブロ・サラスはこう語る。「記録し、どんな時代だったのか次の世代に伝えたい。二度と過ちを繰り返さないために」
パトリシオ・グスマンは1941年にチリのサンティアゴで生まれました。マドリードの国立映画学校で学び、ドキュメンタリー映画に自らの人生を捧げてきました。彼の映画は多くの映画祭で上映され、国際的にも高い評価を得ています。1972年から79年にかけては、サルバドール・アジェンデ政権とその崩壊に関する5時間の3部作『チリの闘い』を監督しました。この映画は彼の仕事の土台となりました。北米の雑誌シネアストは“世界で最も優れた10本の政治映画の1本”にこの作品を挙げています。
ピノチェトのクーデター後、グスマンは逮捕され、国立競技場に2週間監禁されました。そこで彼は模擬処刑を受け、幾度となく脅迫されました。1973年に彼はチリを離れ、キューバ、スペイン、フランスに移住しましたが、心は自分の祖国とその歴史を強く引きずったままでした。
彼は1997年に発足したチリのドキュメンタリー国際映画祭(FIDOCS)の主催者です。『光のノスタルジア』(2010年カンヌ映画祭上映)、『真珠のボタン』(2015年ベルリン映画祭上映)からなる3部作の最終話とな『The Cordillera of Dreams』は2019年カンヌ映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞(ルイユ・ドール賞)を受賞した。
2015年2月、私のドキュメンタリー映画『真珠のボタン』はベルリン映画祭で上映され、銀熊賞を受賞しました。数ヶ月後、チリでFIDOCS(22年前に私がサンティアゴで設立したドキュメンタリー映画祭)の一環として、『真珠のボタン』を上映しました。私はそこでの映画の受けとめられ方に、本当に驚きました。
私はその映画を擁護するために、長い議論のリストを事前に用意していました。ピノチェトのクーデターを扱った内容のため、私のドキュメンタリーが論争を巻き起こすことには慣れていたのです。本来、一般大衆は行方不明者や独裁政権によって殺され、拷問を受けた人々、政治犯についてなど聞きたくないものです。ですが今回は、映画の意図を正当化する必要などありませんでした。観客はこれまで以上に興味を持ってくれて、オープンでした。『真珠のボタン』はサンティアゴの映画館で非常に長い間上映され、何千人もの方々に見てもらえたのです。
その後まもなく、チリの教育省は大学、高校、中学で鑑賞するため、私の他の映画のコピーを取得までしたのです。“記憶がない”と思っていた私の国が、過去の記憶を調べ始めたのです。記憶喪失から抜け出し、自分の国に関するテキストの埃を払ったのです。私はまた、新世代が囚人や銃殺の犠牲者や亡命者の運命に強い興味を持っていることを知りました。
何十年間も続いた弾圧が今頃話題になっているということでしょうか?この事は私にとっては新鮮で、40年以上も私の作品を通じて探求してきた祖国と私との関係を変えました。実際、『光のノスタルジア』と『真珠のボタン』の後、10年前から取り掛かった3部作の最終話『夢のアンデス』の観点を変えることにさえなったのです。の観点を変えることにさえなったのです。
このことは映画の意図を形にするところを形にする上でとても助けになりました。この映画を通して相変わらず人間、宇宙そして自然、この三者の対立を描くことに変わりはありませんが、私の主題の中心であるこの巨大な山脈は、全てが失われたと思うとき、私にとっては不変のもの、私たちが残したもの、共に存在しているもののメタファー(隠喩)であったのです。コルディレラに飛び込むことで、私は自分の記憶にダイブします。険しい山頂を入念に調べ、深い谷に踏み込む時、おそらく私は、私のチリの魂の秘密を部分的に垣間見る内省的な旅を始めるのです。