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112人もの方から165万円のご支援をいただきました!
日本での全国劇場公開に多大なご応援をいただき、ありがとうございました。
募集期間:6/1(金)〜7/30(月)
目標金額:100万円
一緒にこの映画を作るはずだった友人・ヴァンサンが突然命を絶った。あれから10年間、監督は「ろう者の存在を知らせたい」という彼の遺志を継ぎ、この映画を完成させる。
ニコラ・フィリベール監督の傑作ドキュメンタリー『音のない世界で』(1992年)に登場していた、耳に大きなヘッドフォンをあて、声の出し方を教わる子どもたち。
「話すこと」を求められた彼らの、その後の物語ともいえる本作は、ろう者の存在に再び光をあて、彼らが抱える言葉にならない複雑な感情に“目”を澄ます。
1880年ミラノでの「第2回国際ろう教育国際会議」で手話を禁ずる決議が採択され、2010年バンクーバーで行われた「第21回国際ろう教育国際会議」でその手話の禁止を取り消す決議までの130年間、手話は各国から排除されていた。「この映画で描かれている問題はフランスだけではなく、世界各国で起きている」というレティシア監督の言葉通り、本作はモントリオール映画祭など数々の映画祭で上映され、観客の価値観を大きく揺さぶり、ろう者の強い共感と圧倒的な支持を得た。日本では2017年4月に東京ろう映画祭で『新・音のない世界で』として上映され大きな成功を収めた。
聴者。本作の主人公。ドキュメンタリー映像作家。若い時に手話に興味を持ち、デフクラブに「ろう者の友達募集」の広告を出したことがきっかけでヴァンサンと知り合う。ヴァンサンから、ろう者が生きづらい社会の現状と彼の苦悩を聞き、ろう者のことを世間にもっと知ってもらうため、二人でドキュメンタリー映画を作る約束をする。
ろう者。本作のもう一人の主人公。10年前にこの世を去った。両親は聴者。かつてフランスで主流だった口話教育で育つ。手話はあまりできなかったが、18歳の時に引っ越したパリで友人達の影響から上達した。手話劇の俳優を志し、ろう学校の教師も目指していた。ゲイであり、LGBTQ関連の活動に従事した。ステファヌの兄と友人で、彼の家によく遊びに行っていた。
ろう者。手話講師。レティシアに手話を教えた初めてのろう者。ヴァンサンとは友人として小さい時から共に過ごしてきた。ろう者の両親のもと手話で育つ。手話通訳者のファビエンヌと二人の聴者の子どもと暮らす。オーヴェルニュ地域には彼以外にろう者の手話講師はいない。
ヴァンサンの死は私にとって大きな衝撃だった。彼は多くのろう者と同じように口話教育を受け、聞こえないことを否定され、苦しんでいた。また、手話やろう文化、ろう者の世界との出会いが遅かったため、自分自身が何者なのか分かっていなかった。ろう者は障害者ではない。彼らは違う文化を持っているだけで、私たちと同じように生活している。問題なのは、彼らの存在を無視する社会である。私がこの映画で描いているのは、手話と出会えて、手話を言語として話せる人たち。映画界でも少数派の彼らに発言権を与えたいと思った。
1974年生まれ、フランス・ヴィシー出身。フォー・ラ・モンターニュにて活動し、現代アート作品を発表するが、学士入学したリヨンの美術学校でドキュメンタリー映画製作と出会う。卒業制作“D’un chagrin j’ai fait un repos(直訳:あまりの悲しみに休息を取った)”や長編ドキュメンタリー“Edmond, un portait de Baudoin(直訳:エドモン、ボードワンの肖像)”などが海外各国の映画祭で上映され、グランプリなど様々な賞を受賞。
フランス人シンガー。アカペラ・コーラスはもちろん、ヒューマン・ビート・ボックスやボディ・パーカッションを大胆に取り入れたパフォーマンス・スタイルで知られており、人間の生身の声と身体から発する表現を探求している。手話もその例外ではなく、彼女の公演では度々用いられてきた。本作中の音楽には楽器は用いられず、ハミングやスキャット、身体を叩く音などによってサウンドトラックが構成されている。
この映画は私の人生そのものだった。この世界を生きるろう者たちの痛みと喜びを如実に映し出していた。気がつくと涙が止まらない自分がいた。私の心の深いところを突いてきたこの映画をもっと日本に広めたい−−。そう思った私は、未経験ながらもこの映画を買い付けることに決めた。自分と違う世界を持つ相手を受け入れ、知ろうとするのは、実に難しい。それはろう者と聴者に限らず、誰でも起こりうることだ。だからこそ、ありのままを受け止めて欲しい。この映画が、家族でもない、手話通訳者でもない、なんでもない聴者とろう者が繋がるきっかけの一つになることを願っている。
   
 
 ろう者。会社に勤める傍ら、映像製作に携わる。ろう者の“音楽”をテーマにしたアート・ドキュメンタリー映画『LISTEN リッスン』(2016)を雫境と共同監督。第20回文化庁メディア芸術祭 アート部門 審査員推薦作品、第71回毎日映画コンクール ドキュメンタリー映画賞 ノミネートなど高い評価を受ける。既存の映画が聴者による〈聴文化〉における受容を前提としていることから、ろう者当事者としての<ろう文化>の視点から問い返す映画表現を実践している。2017年には東京ろう映画祭を立ち上げ、ろう・難聴当事者の人材育成と、ろう者と聴者が集う場のコミュニティづくりに努めている。 
この映画には、ろう者の「普通」の時間が流れている。
そこにある、理不尽な苦しみも、かけがえのない幸福も、色をつけずに映し出される。
これは、聴者のレティシア監督がろう者の友人たちと共生している、豊かな実例の記録なのだ。
スクリーンの全面から、この姿を見てほしい、私たちは誰だって共生できるのだ、という歓喜が、厳しい現実を押しやるように、あふれてくる。
この作品の存在そのものが、希望だ。
星野智幸
小説家
正直に書くと……とてもショックを受けました。
私はフランスで”生きていくため“にフランス語を必死に勉強しました。そう、生きていくために……。
手話はろう者が“生きていくため”に必要な言語です。
それが130年、禁止されていたなんて……。
静かに映像が流れていきます。手話は理解ができないけれども、そこから音が発生しているのではないかと思うほど手や指の動きに目と耳が吸い寄せられました。
いつの間にか、私の手も動いていました。
目の前にありのままのろう者の姿が映し出されます。聴者である私が想像したこともない悲しみ、痛み、喜びがそこにはありました。
ヴァンサンの思いがどうか多くの人に伝わりますように……。
中村江里子
フリーアナウンサー
ある人にとっての手話は、単なる言語というよりも、運命に等しいものとしてあることだろう。
この映画には「超自然的な力に支配されて、人の上に訪れるめぐりあわせ」としての運命に導かれて生きる人々が鮮烈に映っている。
そしてその背景には、手に運命を宿らせている世界中のろう者たちが並んでいる。
ぼくもまたその一人だ。
齋藤陽道
写真家
手が紡ぎ出す言葉は繊細で強くて美しい。
言葉以上に説得力や感情が伝わるような、そんな力がある気がします。
映画の中で、手話の絵本の読み聞かせのシーンがとても印象的でした。
手から繰り出される物語は、目の前にその情景が現れたような、とても臨場感がありました。
手話の禁止、口語の推奨、制圧や差別。知らない歴史ばかりで衝撃的でした。
学校で英語の勉強をするように手話がたくさん使われたり、私たちからも寄り添っていけるようになりたいです。
ももいろクローバーZ 佐々木彩夏
この映画の原題は「ろう者の視点で寄り添う」。
聴者の視点から聞こえ話せるようになれと、手話を封印されたろう者たち。
その怒りが爆発する。
ろう者の心の葛藤を知らない人工内耳推進耳鼻科医にぜひ観てもらいたい。
平野浩二
耳鼻咽喉科医師
本作の中で描かれるろう者たちの、生き生きとした姿を見よ。
表情を含めた豊かな表現力。仲間や家族といる時には楽し気に、時にはユーモラスに。
手話ポエムのパフォーマンスはエレガントそのもの。
切実な思いを訴える時の、その感情の深さには圧倒される。
まさしく手話は彼らの「言語」なのだ!
丸山正樹
小説家
ろう者に寄り添う。そして親友に語りかける。それも対等な関係で。
生きる上での障壁はあるけれど耳が聞こえないこと自体は障害ではない。
手話のコミュニティが果たす役割は聴者が思い描いている以上に大きな意味を持ち、ろう者の心の中にある渇望が鮮明に。
聴者と共に社会の一員として人生を生きたい。
ただ、それだけのために長い道のりを歩まなければ。
でも絶望はない。
私たちは常に対等であるという希望に溢れた素晴らしい作品。
臼井千恵
特定非営利活動法人にいまーる理事
瞠目とも開眼ともいえる経験だった。そして、これまでいかに自分が狭い世界に生きていたのかも痛感した。
手話の教師であるステファヌは、手話は、もっとも始原的な言語で人間の存在と同じくらい古いコトバだという。
現代は、あまりに言語に頼るあまり、体現されたコトバを忘れた。それだけではない。
手話は、手が動くたびに巻き起こる風のコトバでもあり、話す者の肉体から湧き起る息のコトバでもある。
いま、私はこう言いたい。手話は、人間の生命と深くつながったいのちのコトバだと。
だからこそ、生ける者だけでなく、亡き者たちにも、まっすぐに届く。
若松英輔
批評家・随筆家
少数派と多数派の社会的な関係は紙一重で普遍的な問題である。 この映画は万華鏡のように様々な人物との出会いを通して、ろう者の置かれた立場や孤独な感情、怒り、葛藤などを次々と私たちに見せてくれる。
Le Monde
本作品の最も素晴らしいところは、“障害”という言葉の相対化である。“障害”は、多数派によって少数派に貼られたレッテルにすぎない。
Télérama
本作品は衝撃的かつ優しい。不当な行為に対する闘いに衝撃を受け、決して紋切り型ではない、目と目を合わせて話す手話の温かさが伝わってくる。
Le Populaire du Centre
6/1(金)〜7/30(月) クラウドファンディング実施中!この映画をより多くの方にお届けするため、応援いただける方を募集します。早期支援者は監督来日試写会へご招待!
映画『ヴァンサンへの手紙』チラシ(表・裏)のPDFです。 ご自由にダウンロードしてお使いください。