ラスタについて「語られていないことがまだまだある/what about the half
that’s never been told」のを忘れてはいけない。
鈴木慎一郎(信州大学 助教授:著書『レゲエ・トレイン』)
1970年代にボブ・マーリィは「第三世界出身の初の世界的スーパースター」と騒がれた。それから約30年が経ったけれど、レゲエを入り口にして外の世界がラスタに抱く好奇心は、なかなか衰える気配をみせないようだ。この『ラスタファリアンズ』もそうした好奇心の産物のひとつである。
あらかじめ告白しておくと、このドキュメンタリーとその作り手たちについて得ることのできた情報は、この映像自体の外にはほとんどないに等しい。だから、作り手自身が語った意図や目的についてあれこれ述べることはできない。そこでこの稿では、本作に登場する人や集団について解説を補い、そのうえで、本作を介してラスタを知ろうとする時の、僭越ではあるが口添えのようなことをちょっとだけしようかと思う。
サブタイトルが「ミスティーク・オブ・ボブ・マーリィ0ボブ・マーリィの神秘0」というだけあって、彼のアーカイヴ的な映像や語りが要所要所に挿まれているが、このキング・オヴ・レゲエについてはいまさら野暮な解説などいらないだろう。
リ・“スクラッチ”・ペリーは、70年前後のボブ・マーリィ&ザ・ウェイラーズの多くの重要曲をプロデュースし、70年代後半には自分のブラック・アーク・スタジオで独特の音世界を創りあげた人物で、近年ではメインストリーム系ポップ・カルチャーからもある種のセレブ奇人として面白がられてさえいる。その彼が本作ではドレッドの意味やアフリカ帰還やマーカス・ガーヴェイに関して、わりと普通といえば普通の受け答えをしている。
ベーシストのアストン・“ファミリーマン”・バレット、ギタリストのジュニア・マーヴィン、トランペット奏者のアーノルド・ブラッケンリッジは、60年代からの歴史を誇るザ・ウェイラーズの名を現在まで引き継いで活動しているミュージシャンたちだ。とくにファミリーマンはレゲエ界の至宝的なベーシストのひとり。ドラマーで兄のカールトンとともにバレット兄弟として、60年代末からザ・ウェイラーズのリズム・セクションを固めてきたほか、アップセッターズやハリーJ・オールスターズなどのスタジオ・バンドにおける仕事も特上級。
じつはファミリーマンは、ボブ・マーリィ&ザ・ウェイラーズの諸作にかかわるバレット兄弟のロイヤルティが不払いだとして、ボブ・マーリィの遺族とレコード会社を訴えてきた。06年5月に英国の高等法院がくだした判決はしかし、この主張を認めなかった。遺族側は、バレット兄弟はボブ・マーリィの「パートナー」ではなくセッション・ミュージシャンに過ぎなかったと語ったという!(『ジャマイカ・オブザーヴァー』紙などの報道による)。ボブ・マーリィはラスタの教えにのっとって遺書をまったく残さなかった。それが彼の死後のこうしたあまりにバビロン的な紛糾をひどくさせたのだとすれば、皮肉なことといわざるをえない。
レゲエ史の本はどれもボブ・マーリィを欠いた80年代以降のウェイラーズに冷淡なようだが、実際にはかれらは現在まで音源のリリースとライヴ活動を続けている。ギターの“ラス・メル”・グローヴァー、ヴォーカルのゲイリー・パイン、ドラムのドラミー・ゼブはこの『ラスタファリアンズ』にも登場している。
本作に出ているのをみてこちらが思わず「おお!」という声をあげてしまったのは、ベンジャミン・ゼファナイア。ジャマイカ系の出自を持つ58年バーミンガム生まれの詩人(彼自身の言葉によると「口誦詩人oral poet」)/著述家/俳優/アクティヴィストで、おもにレゲエからなるリズム・トラックをバックに詩を読んだアルバムも何点かリリースしており、また小説は邦訳も刊行ずみ(『フェイス』と『難民少年』、ただしカナ表記がゼファニアになってしまっている)。英国社会ではその発言がつねに注目を集める存在である。彼の公式ウェブサイト(www.benjaminzephaniah.com)は充実しているのでいちど訪ねてもらうといいと思う。そこにも記されているように、03年に彼はOBE(Officer of the Order of the British Empire, 英国国家がその貢献者に与える勲章のひとつ)授与の話を断り、拒否の理由を堂々と有力紙に寄稿したことがある。いわく、「帝国Empire」は過去の黒人奴隷制の記憶とけっして切り放せるようなものではないから、と。さらに、自分はアクティヴィストとしてこれまで何度もブレア政権に対話を求めてきたにもかかわらず黙殺されてきた、なのに今になって勲章をちらつかせてバッキンガム宮殿でお待ちしてますとはいったい何のつもりだ、とも書いている。
ジャマイカにいくつかあるラスタの組織(houseとかmansionといった語で呼ぶのが慣わしになっている)のうち、ここではボボ・シャンティとイスラエル12部族が取り上げられている。ボボ・シャンティはイマニュエルという人物によって創始された。本作では、66年ハイレ・セラシエ来訪時のレセプションに招かれた長老ラスタたちのなかに、イマニュエルをみとめることができる。彼のグループは初め西キングストンのスラムに拠点を置いていた。しかし60年代に政府がその地区を整理して貧困層のための公営住宅を建てた(それによって同地区は特定政党への支持に偏った悪名高いゲットーになった)後は、政党がらみの暴力ざたを避けて、キングストンから東へ離れたある丘陵でスクウォットを始めた。だからかれらはジャマイカ国内の政治難民だといえるかもしれない。本作にはその通称「ボボ・ヒル」での集団生活のようすが出てくる。イマニュエルは94年に死去したが、それがひょっとしたら転換点になったのかどうか、90年代後半以降には音楽業界で活躍するレゲエ・アーティストのなかにボボ・シャンティのメンバーが増えていった。ケイプルトン、アンソニーB、シズラ、ジュニア・ケリーなどがそうだ。
イスラエル12部族は、68年に設立されてから70年代以降とくに中産階級の間でメンバーを増やした組織である。メンバーは自分の誕生月によって、イスラエルの12人の息子の名をとった「部族」に振り分けられる。この組織は他の多くのラスタと異なり、新約のジーザス・クライストの神性を否定しない。また、レゲエのサウンド・システム・ダンスをときどき主催することでも知られている。イズラエル・ヴァイブレーション、ブリガディア・ジェリー、シスター・キャロル、チャーリー・チャップリン、フレッド・ロックスなどが、この組織のレゲエ・アーティストである。
最後に、ラスタに対する本作の視線について少しだけ述べさせてもらうと、いかにも異質にみえる要素(ガンジャ、ドレッド、独特の聖書解釈など)を強調しているようなところがやや感じられなくもない。それと関連するが、「ジャマイカといえばラスタ」という図式が外で幅を利かせている割には、ジャマイカの実際のラスタ人口はきわめて少ないとしばしば言われてきており、たしかに、ラスタ独特の生活信条をすべて守りかつ独特の聖書解釈を体系化させているという基準で判断すれば、そうした人は少数だろう。しかし、〈現在〉に過去の奴隷制や植民地主義との連続性をみるラスタの歴史認識は、割と多くのジャマイカ人にも、あるいは新世界各地の黒人の間にも、共有されてきたものでもある。ラスタをやたらと神秘化するのではなく、ポジションの取り方によっては理解可能なものとしてみていくことも大事なのではないか。というわけでラスタについては、彼らがよく用いる言い回しのとおり、「語られていないことがまだまだある/what about the half that’s never been told」のを忘れてはいけない。