欧米の英語メディアでsuicide attack, suicide bombingと表記され、直訳すると「自爆攻撃」「自殺爆弾」という言葉を日本の多くのマスメディアでは「自爆テロ」と訳しています。
『パラダイス・ナウ』では、アサド監督は映画の中で自爆攻撃を指令する集団を「軍(army)」と称していました。彼らは、軍服を着て、ヘルメットを着用し銃を携帯しているイスラエル兵と比較すると、全く普通のナブルスの市民にしか見えません。圧倒的に兵力に差がある戦時状態というのが映画の描かれているナブルスの現状です。
「自爆テロ」と称する時には、テロという言葉の持つ意味から、極悪な犯罪のイメージが付加されているように思われます。特に不特定多数の民間人を巻き込んだ場合がそうです。ただ、戦時下において民間人を巻き込むという事だけでいえば、空爆やロケット弾による爆撃の方が遥かに多くの民間人を巻き込んだ殺人を起こしているのも事実です。高価な兵器での殺戮を「攻撃」、安価な自爆による攻撃を「テロ」と称しているのが日本のメディアです。
アサド監督は、来日時に「“自爆テロ”という言い方はやめてほしい“自爆攻撃(suicide attack)”と言ってほしい」と日本のインタビュアーの人に言っていました。また、アラブでは「自爆攻撃」のことを英語で「suicide operation」というらしいです。(映画のパンフレットではこれを「自決作戦」と訳しました)
2001年9月11日の日本では「同時多発テロ」と称している事件はアメリカのメディアでは「September 11,2001 attacks」称しています。
映画の舞台のナブルスはイスラエルの占領下にあり、現在の状況は映画撮影時よりさらにひどく、ロケット弾が飛び交い、市民が射撃されており、市民の移動の自由もなく、人間としての尊厳が保てない状況にあり、隔離壁を作り続けているイスラエルは「民族浄化(ethnic cleansing)」を行っているということをアサド監督はインタビューで訴えていました。
『パラダイス・ナウ』の公開と同時期に神風特攻隊を描いた映画『俺は、君のためにこそ死ににいく』が公開されています。アサド監督は『パラダイス・ナウ』の製作にあたって特攻隊で亡くなった日本の若者の手記を読み参考にしたそうです。それを読んでアサド監督が感じた事は「神風特攻隊で亡くなった人たちにはそれぞれ個々の理由と物語があり、ステレオタイプ化できる事はないということが印象的でした。これはパレスチナの自爆攻撃者も同じです」とインタビューで答えていました。
『パラダイス・ナウ』は徹底してステレオタイプに語る事を拒むように、非常によく練られた脚本から出来上がっています。
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