CAST

James Brown
 ジェームス・ブラウン

1933年、アメリカ・サウスカロライナ生まれ。「ソウルのゴッドファーザー」「ショービジネス界で最もよく働く男」と称され、20世紀のポピュラー・ミュージックに最も影響を与えた人物。そのシャウトを用いたボーカル・スタイルと熱狂的なダンスで名を馳せた。この50年間に音楽的な影響を与えた人物の1人として、エルヴィス・プレスリーや、ボブ・ディランらと共にその名を並べている。ブラウンには先見の明があり、音楽を新しい場所に押し上げた改革者だった。ファンクに起源を持ち、アフロビートやアフリカのポピュラー・ミュージックのリズムに影響を与えもした。シンガー・ソングライターであり、バンドリーダーであり、レコード・プロデューサーでもあり、博愛主義者で市民権活動家でもあった。「ソウル・パワー」は1971年に発表されたシングル、1972年のベスト・アルバム『SOUL CLASSICS』にも収録された。「ペイバック」は、1973年に発表された同名タイトルのアルバムに収録。ポピュラー・ミュージック界で最初のファンク・ソングと称される「コールド・スウェット」(1967年)、エンドロールで流れる「セイ・イット・ラウド:アイム・ブラック・アンド・アイム・プラウド」(1968年)は市民権運動の時代に聖歌となった。ヒット歌は900曲以上に及ぶ。2006年12月25日、ジョージア州アトランタでうっ血性心不全で亡くなった。

Mick Jagger
ミック・ジャガー

1943年、ロンドン生まれ。1963年のデビュー以来、ローリング・ストーンズのフロント・マンであり、実質的リーダーとして精力的に活動をつづけている。映画のプロデューサーとして、『ジェームス・ブラウン~最高の魂(ソウル)を持つ男~』(2014年)などをてがける。 HBOの音楽TVドラマシリーズ『ヴァイナル』(2016年)もマーティン・スコセッシと製作を担当している。

Al Sharpton
アル・シャープトン

1954年生まれ。1973年から1980年までの間、ジェームス・ブラウンのツアー・マネージャーを務める。その後、牧師として、そして人権活動家として活動。2004年には、民主党の大統領候補となった。

Maceo Parker
メイシオ・パーカー

1943年生まれ。1964年、サックス・プレーヤーとしてジェームス・ブラウンのバンドに参加。その後1975年にP-FUNKに参加した。坂本龍一やプリンスらとコラボレーションを行うほか、ソロ作も精力的にリリースしている。

Melvin Parker
メルビン・パーカー

1944年生まれ。1964年、兄のメイシオとともにドラマーとしてJB'sに加入。いちどバンドを離れるものの1969年に再加入し、アルバム『セックス・マシーン』のドラムを担当。メイシオのバンド、オール・ザ・キングズ・メンにも参加している。

Clyde Stubblefield
クライド・スタブルフィールド

1943年生まれ。1965年にジェームス・ブラウンのバンドに参加。以後ドラマーとして「コールド・スウェット」ほか数々の楽曲に参加。彼の叩く「ファンキー・ドラマー」は、ヒップホップで最もサンプリングされたリズム・パターンと言われている。1997年に初のソロ・アルバム『Revenge Of The Funky Drummer』を発表した。

Alfred "Pee Wee" Ellis
アルフレッド“ピーウィー”エリス

1941年生まれ。1950年代にジャズのサックス・プレーヤーとして活動を開始し、1965年から69年までジェームス・ブラウンのバンドに参加して音楽監督を担当。その後もCTI/KUDUレーベルのアレンジャー、ヴァン・モリソンやジンジャー・ベイカーとの共演、メイシオ・パーカーやフレッド・ウェズリーとのJ.B.ホーンズなどで精力的な活動を続けている。

Martha High
マーサ・ハイ

1945年生まれ。ボーカルグループ、ジュエルズに加入後、ツアーに同行したジェームス・ブラウンに見出され1960年代よりよりバック・シンガーとしてバンドに参加。以後、ジェームス・ブラウンと30年以上活動を共にしてきた。2000年の脱退後も、メイシオ・パーカーのバンドやソロ作品など活発な活動を行っている。2015年11月に初の単独来日公演を行った。

Danny Ray
ダニー・レイ

1931年生まれ。1960年代にジェームス・ブラウンの世話役としてショービジネスの世界に入る。その後、ステージの司会を担当し、熱演するブラウンにダニー・レイがマントをかける演出はJBのライブの代名詞となった。

Bootsy Collins
ブーツィー・コリンズ

1951年生まれ。ベーシストとしてキャットフィッシュらとペイスメイカーズを結成。1970年、メイシオ・パーカーらジェームス・ブラウンのバンド・メンバーがボイコットをしたため、ペイスメイカーズがJBのバックを務めることになり、JB'sとなる。71年脱退後は、ジョージ・クリントンのファンカデリックに参加。以後、パーラメントや自身のバンド、ブーツィーズ・ラバー・バンド、Pファンク・オールスターズなどで活躍。

Fred Wesley
フレッド・ウェズリー

1943年生まれ。トロンボーン奏者として、1960年代から1970年代にジェームス・ブラウンのバンド・メンバーとして活動。70年代はJB'sのリーダー・音楽監督となり、多くの作曲・アレンジを担当した。その後も、ジョージ・クリントン、パーラメント、ファンカデリックなどに参加した。

Chuck D
チャックD

1960年生まれ。1982年に結成されたヒップホップ・グループ、パブリック・エネミーのリーダー。1987年のデビュー以来、政治・社会問題についてのリリックや活動で世界的な人気を獲得する。1989年発表の「Fight the Power」は、スパイク・リー監督の映画『ドゥ・ザ・ライト・シング』のテーマ曲に使用された。

Ahmir "Questlove"
Thompson
アーミア“クエストラブ”トンプソン

1971年生まれ。1993年にデビューしたバンド形式のヒップホップ・グループ、ザ・ルーツのドラマーとして活動のほか、DJやエルヴィス・コステロ、ディアンジェロ、エリカ・バドゥ、ジェイZ、アル・グリーンなどのプロデューサーとしても活躍。